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「君はまだ見習いだろう。ということは、竜騎士団の中についてまだ詳しくないな。僕についてきたまえ」
そう言うなり、リステアードはジルを先導して歩き出した。
(い、いいんだろうか。わたしが案内されてるみたいになってるが)
しかも、歩幅が違うジルに合わせてゆっくり歩いてくれている。紳士だ。
「リステアード殿下は、ここの内部にお詳しいのですか」
「僕は一度、ここに入団しているからね。一年ほどだったかな」
「皇子殿下がですか?」
「直属の竜騎士団を作るためにどうしても見ておきたかった。ノイトラール竜騎士団といえばラーヴェ帝国でも精鋭中の精鋭だ。そこから学ばない手はない。おかげで友と呼べる仲間も大勢できた。今の僕の副官もそのときの同期だ」
「……それってここからごっそり引き抜いたっていうことでは……」
ジルのつぶやきに、リステアードが振り向き、にやりと笑い返す。
「ノイトラール竜騎士団にもいい勉強になっただろうよ。はっはっは」
そんなことをしてここに顔を出せる度胸もすごい。
だがここまで堂々とされると、憎めないのだろう。廊下ですれ違う顔見知りらしき竜騎士の面々は、苦笑気味にリステアードを見ている。ただし中にはあからさまに不審や敵意を隠さない眼差しもあった。
「なんであいつ、リステアード殿下と一緒にいるんだ? ドサ回りのはずだろ」
竜の厩舎に向かう外へ出たところで聞こえた非難で、ジルは勘違いに気づいた。敵意や不審を向けられているのは自分らしい。
藁を運ぶ作業をしているらしい見習い達の幾人かが、ジルに気づいてとげとげしい視線を投げている。ジークが作業をする手を止めて、声をあげた。
「どうだっていいだろ。仕事しろよ」
だがひそひそ話も忍び笑いも止まらない。
「まさか引き抜かれるのか、レールザッツ竜騎士団に?」
「んなわけないだろ。殿下のメイドさんに立候補したんじゃね?」
「ああ、女の子だもんなー。色仕掛けすりゃお仕事はいくらでもあるってわけだ」
「そこの見習い諸君、言いたいことがあるならここまできて、はっきり僕に言いたまえ」
突然声を張り上げたリステアードに、周囲が静まりかえった。
くるりと振り返ったリステアードが、静かに作業中の見習い達を見据える。
「彼女に案内を頼んだのは僕だ。なら僕にその不満をぶつけるべきだろう。違うか?」
「……」
「どうした? こないのか。僕がこの国の第二皇子だからなどと遠慮することはない」
「あのー、じゃ、いっすか」
呑気に手を挙げたのはジークだった。ジルはぶんぶん首を横に振って自分は平気だと訴えるが、ジークは堂々とリステアードの前まで進み出る。
(何を言う気だ、ジーク!)
固唾を呑んで皆が見守る中で、ジークはリステアードの目を見て言った。
「給仕させたらこの世のものとは思えないまずい茶が出るんで、気をつけてください」
しんと別の種の沈黙が広がった。身構えていたリステアードも目をぱちくりさせている。
「……そうか。……君は、彼女の?」
「ただの同期です。持ってる弁当にだまされないでください。本人はほんっとーに裁縫も家事もだめなの、確認してます。世話係とか一番向いてないんで、お知らせしとこうと」
「な、なるほど。……わかった、気をつけよう。忠告、感謝する」
うつむいたままでジルは薄く笑った。
(今晩はわたしが作った料理を食べさせてやる)
もちろん、ジルはハディスが作ったおいしい料理を食べる。
「でも剣の腕はピカイチです。なめた真似はしないほうが身のためだ」
フォローのつもりなのか、最後に低くそう告げたジークは作業に戻っていった。
(何がしたかったんだ、あいつ。まあ空気は変わったが)
見習い達は何事もなかったかのように作業を再開している。リステアードが顎に手を当て、ちらとジルを見おろした。
「牽制と警告か。……君と彼は、本当にただの同期か?」
「えっ? はい。わたしがこの見た目ですので、よく気にかけてくれてます」
リステアードは答えず、踵を返した。
「まあいい、行くぞ」
「あの、リステアード殿下! さっきは有り難うございました。かばってくださって」
「僕は当然のことを言っただけだ。礼を言われるようなことは何もしていない」
まっすぐ前を歩いて進んでいるのに、やはり歩調をジルに合わせてくれている。
いいひとだ。ジルの顔がほころぶ。
――この先の未来、ジルがかつてたどった歴史で、リステアードはハディスを止めようとして処刑されたと聞いている。エリンツィアに至っては、ハディスの足を引っ張るまいとして自死を選んだ。
(ふたりとも、陛下のいいお姉さんとお兄さんになってくれそうなのに)
でも、届かなかったのだ。
まだ何も起こっていないのに、そのことが悲しい――なんとか、できないだろうか。いやなんとかすべきだ。
「ブリュンヒルデ」
考えこんでいる間に、竜の厩舎に辿り着いていた。ちょうど胴につけられた鞍をはずしてもらったところらしい。
厩舎前の広場にいた赤竜が、ゆっくり振り返ってジルを見る。金色の目だった。
「挨拶の方法は知っているな? やってみるといい」
「あ、はい。では……失礼します」
せかすリステアードに戸惑いながら、ジルは前に進み出る。
竜に攻撃されるのはかまわない。リステアードが止めるだろうし、いくら魔力がないと言ってもよけることくらいはできる。
(だが、威嚇は普通じゃない反応……もしかしてあやしまれてるのか、わたし?)
足を止めて、ブリュンヒルデを見あげた。金色の目が、ジルを見おろしている。賢そうな目だと思った。
どうするのが正解だ。威嚇させないためにはどうしたらいい。
竜妃なら、竜にどう命じるのが正解だ。とにかく誤魔化さねばならない。ハディスを守るために。
「……おい、どうし――ヒルデ!?」
リステアードが声をあげたそのときには、ブリュンヒルデが翼を広げて宙に浮いていた。ふいっと視線をそらし、大空に舞い上がってしまう。
「……無視、されましたね……」
つぶやきながら、ほっとした。これでこの間の威嚇の件は、ローザの機嫌が悪かったとかそういう話になるのではという希望的観測をこめてリステアードを見て、返ってきたものすごい眼差しに硬直する。
「なん、なんですか!?」
「いや。……逃げたな」
「あ、はい。逃げられちゃいました」
「そうだ、逃げた。赤竜金目のブリュンヒルデが、人間ごときを見て逃げ出した」
――上位の赤竜にとって人間など道ばたの石ころと同じ。わざわざ逃げるはずがない。
(あ、これ威嚇よりまずいんじゃ?)
「……ブリュンヒルデが、さっきと同じ反応をしたことが一度だけある」
眉間にしわをよせてすごい顔をしたリステアードが、じりと距離を詰める。引きつった愛想笑いを浮かべつつ、背中には冷や汗を流しながら、ジルは一歩引いた。
「あ、あのそろそろお昼ですし、座学があるので今日はこのあたりで……」
「ハディス・テオス・ラーヴェ。僕の不出来な異母弟を見かけたときだ」
「では失礼致します!」
聞こえない素振りで脱兎のごとく駆け出した。だがすぐさまうしろから、土埃をあげてリステアードが追いかけてくる。
「逃がすかああぁぁあぁぁ! 君は何者だ、何を隠している、吐け!」
「ギャーーーーーー!」
思わず悲鳴をあげたジルは全速力に切り替える。だが魔力の少ない子どもの体で、相手は大人だ。引き離せない。
そのまま竜騎士団の兵舎を舞台にした鬼ごっこは、エリンツィアが止めるまで続いた。