18
ジルが沈黙を選んでいる間に、エリンツィアがふと窓の外を見るような仕草をする。
「いずれにせよ、ハディスの味方にはなってやれないだろう。私も、お前も」
きっぱり言い切られ、リステアードが眉を動かした。
「あの馬鹿が竜帝だとわかっていても?」
「言わせるな、リステアード。私の母はノイトラール公爵家の姫で、お前の母はレールザッツ公爵家の姫。叔父上が私達に安易に手を出せないのは、ノイトラール公、レールザッツ公の後ろ盾あってこそだ」
「そうだ。僕達はあの馬鹿とは違う、三公の血を引く由緒正しきラーヴェ皇族だ。だからこそ叔父上の暴挙をこのまま放っておけない」
「だが、ノイトラール公もレールザッツ公もハディスを認めない。それぞれ皇太子を亡くしてるんだ。私とお前の、兄だ」
ハディスから聞いてはいたが、浮上しかけた希望が一気に潰えた気分になった。
(あの女神、もう一回くらい追加で折っとけばよかった!)
今もどこかで笑っているのかと思うと腹が立つ。
「……ハディスが見つからないことに叔父上が焦り始めている。うちにも圧力めいた通達が届いた。叔父上はあの馬鹿のように甘くない、厳格な方だ。正当性のために、犠牲を厭わないだろう。あの馬鹿の誕生日――夏をこえたら泥沼化しかねない」
「あの天剣があるからなのか、とにかく夏をこえる算段があるのだろうな、叔父上は。だから今、名乗りをあげたんだと私は考えているが」
「ならあの馬鹿が即位する前になぜ、自分こそ真の竜帝だと皇太子として名乗りをあげなかったんだ、呪いだと次々皇太子が死んでいく中で! 叔父上のやり方は卑劣だ」
強く言い切ったリステアードを、エリンツィアは目を細めて眺め、頬杖をついた。
「……気持ちはわかる。だが、現実をみろ。ハディスにはつけないだろう。帝城にはお前の母親も妹もいるんだ」
奥歯を噛みしめるリステアードをなだめるように、エリンツィアは続けた。
「お前の話はわかっているつもりだ。せめてハディスが表舞台に出られるよう、助けてやれというんだろう。うちは基本中立だし、私自身も身軽だ。お前と違って、帝城に誰も残っていない。兄上だけでなく、母上はとうの昔に死んだし、他に兄弟もいない」
エリンツィアの自虐めいた分析に、リステアードが眉尻をさげて情けない顔をした。
「――そういう意味では。ただもし姉上がハディスの味方をするなら、僕は」
「敵にはならない。約束できるのは、それだけだ」
聞き覚えのある言葉が、ジルの胸をついた。――このひとは似たようなことを言って、最期、自死を選んだのだ。
「ジル」
「……え、はいっ!?」
「長々と話を聞かせるだけになってすまない。昨日のローザについて、話があったんだ。まずは謝罪させてくれ。ローザがすまなかった。怪我がなくて本当によかった」
いきなり話を向けられたジルは戸惑いつつも、首を横に振る。
「いえ、わたしこそ……その……相性が悪くて、お手数をおかけしました」
「気にしなくていい。私だって驚いたんだ。まさかローザが君に敵対――威嚇するなんて」
「……威嚇? ローザが?」
唇を引き結んでうなだれていたリステアードが、ふっとジルに目を向けた。
「それは本当ですか、姉上。赤竜がこんな子どもを威嚇した? 警告ではなく?」
なんだか妙な驚かれ方をしていることに気づいて、ジルはまばたく。
「どうも、わたしは竜に嫌われてしまうようで……あ、わたしは大好きなんですが!」
「赤竜だぞ、無視するのが普通だ。それとも君は道ばたの石が気に入らないといって蹴っ飛ばすことはあっても、威嚇するのか?」
「いえ、しませんが……」
「それと同じだ」
赤竜にとって、人間は道ばたの石みたいなものなのか。
「つまり……どういうことですか?」
「見習いの中で勘違いしている者も多いが、ローザが君を威嚇したのは、君を同格の相手、あるいは脅威と見なしたからだ」
ぽかんとしたあとで、ジルは自分を指さした。エリンツィアが頷いて、肯定する。
「赤竜が人間相手に非常に珍しい行動だ。後方支援で研究を主としている人間が検証したがっている。ローザが襲いかかる危険性があるので無理にとは言わないが、もし話がきたら協力してやってくれ」
「姉上、まさか」
何か言いかけたリステアードを片手で制して、エリンツィアが続けた。
「もちろん、何かあった際には止めに入れるよう私も立ち会う。どうだろう?」
「……はい。それで、何かお役に立てるなら」
「ありがとう。では、お願いするときは私から呼び出すので――」
「そんなまだるっこしいことをしなくても僕がいる。僕が彼女を預かろうではないか、姉上」
先ほどまでしょぼくれていたのに、颯爽とリステアードが立ちあがった。
エリンツィアが顔つきを険しくして、中腰になる。
「彼女はうちの竜騎士団見習いだ」
「だから? 言っておきますが僕は説得を諦めませんよ、姉上。となれば、姉上は滞在中、僕に護衛か従者か、誰かつけねばなりません。僕は部下をつれてきてませんので」
「堂々と言うことか。どうせ部下の制止を振り払ってお前がひとりで飛び出してきたんだろうが。引き取りの連絡をしに今すぐ竜を飛ばす」
「だが、どんなに急いでも二日はかかる。その間、彼女に僕の世話係を頼みましょう」
え、と顔を向けたジルを一瞥もしないまま、リステアードは続ける。
「さっきの竜の検証も、僕が立ち会えば一石二鳥。ブリュンヒルデは赤竜の金目、姉上のローザより上位の竜だ。不足はないでしょう」
「リステアード、話を勝手に進めるな。何を企んでいるんだ」
「企む? 何かとお忙しい姉上を手伝いたいという弟の気遣いですよ。それとも、僕に手伝われては困るような企みが、姉上にはあると?」
エリンツィアが初めて苛立ちを隠さずリステアードを睨めつけた。顎をあげて上から見おろすリステアードは涼しい顔、むしろ得意げだ。
先に目をそらしたのはエリンツィアだった。執務椅子に座り直し、舌打ちする。
「……勝手にしろ」
「お優しい姉上に感謝を。では君、よろしく頼むよ」
「えっあ、はいっ!」
背筋を伸ばして敬礼すると、リステアードが満足そうに頷いた。ジルがあけた扉から、当然のように出て行く。仕えられていることになれている人間の動作だ。
「では失礼します、エリンツィア団長」
「ああ。ジル。――すまないが、弟を頼んだ」
ふと意味深な気がして顔をあげたが、エリンツィアは穏やかに微笑んでいるだけだ。
頭をさげたジルは、慌ててリステアードを追いかけた。