17
リステアードをエリンツィアの執務室に案内したジルだが、退室しようとするなりエリンツィアに引き止められた。
「ああ、君はここにいてくれないか」
「はい? いいんですか」
問い返してしまったジルに、エリンツィアがいささか青い顔で頷く。
「給仕をお願いしたい。あとで話もある。――何よりうるさいんだ、こいつ」
「お言葉ですね、エリンツィア異母姉上。まさか僕が厄介者だとでも? まさか何度書簡を送っても返事がなかったのは、わざとだったと? まさかラーヴェ帝国第一皇女でもあらせられるエリンツィア皇女殿下が、そのような卑劣な真似はなさったと僕は思いたくないのだが」
「ほら見ろ、うるさいだろう。ひとりで耐えきれない」
同意を求められても、ジルは頬を引きつらせることしかできない。ではと一礼して出て行くロレンスが恨めしいくらいだ。
(でも、ロレンスの奴あっさり引き下がったな。まさか盗聴器をしかけてるとか……いや、それならエリンツィア殿下かリステアード殿下が気づくか)
できればロレンスを野放しにはしたくない。カミラやジークと違い、ロレンスはクレイトス王国出身、立派な貴族だ。ジェラルドの部下に取り立てられるだけの能力も事情もある。つきあいが長かった分、敵に回したら厄介だということもよくわかっていた。
とはいえ、今はこちらが優先だろう。周囲をよく検分しながら、とりあえず給仕をしようと思ったら、リステアードは勝手知ったる顔で棚を物色し、紅茶を淹れていた。
そして応接ソファに腰かけてひとくち飲んで、言った。
「相変わらず姉上のところの茶葉はまずい」
「勝手に淹れて飲んでその言い草か。飲めればいいだろう。ここは宮廷じゃない、騎士団だ」
「僕の竜騎士団ではいつも最高級の茶葉を用意してますがね」
気安い軽口をたたけるのは、それなりに交流と信頼がある証だ。
(異母でも仲が良いんだな、陛下の姉兄って。……まさか、陛下だけが仲間はずれ……)
遠い目になりつつ、ジルは護衛らしく出入り口の扉の前に警備代わりとして立つ。
「率直に聞きます、姉上。どちらにつく気ですか」
「お前な。竜騎士団見習いとはいえ、ジルがいるんだぞ。少しは周囲を気にしろ」
「守秘義務も理解できないような見習いなら、即座に首を飛ばすことをおすすめしますよ」
ちらと一瞥されて、ジルは慌てて了承を示すために何度も頷き返した。この場合飛ぶ首は間違いなく職ではなく身体的なほうだ。
「それに、聞かれて困ることなど僕は聞いていません。叔父上が新皇帝を名乗り、あの馬鹿が偽帝だと帝都を追放されたことを知らぬ人間など、今のラーヴェ帝国にはいない。三公、各諸侯が叔父上につくのかあの馬鹿につくのか、どこもかしこも固唾を呑んで見守っている」
(あの馬鹿って、陛下のことか?)
だが、敵視していると判断するには、叱りつけるような含みがあった。
「では聞くが、お前はどちらにつくんだ?」
「それを判断したくても、あの馬鹿が雲隠れしてるんだろうが!」
だん、とリステアードが拳でテーブルを叩いた。
「叔父上は捜索を命じているが、どこもまともに動かない! 捜索隊を出したら叔父上の支持を表明したことになるとか、そんなことを気にしてばかりだ。そういう問題じゃないだろう、あの馬鹿を叔父上と対等な表舞台に立たせてから判断すべきことだ!」
「無茶を言う。そういうお前はどうだ、叔父上とハディス、どちらの天剣が本物だ?」
「はっ。三百年も消えていた天剣を、辺境にいたあの馬鹿が帝都に持ち帰った。今になってそれが偽物で、叔父上が見つけた天剣が本物だと? そう都合よくラーヴェ皇族の宝剣が偽物になったり本物が見つかったりするものか、馬鹿らしい」
「その言い方だと、お前の中ではどちらが本物かの結論は出ているようだが」
苦笑いまじりのエリンツィアに、むっとしたらしいリステアードが勢いをなくす。
「……僕の感性には合わない田舎者だが、あれは竜帝だ。間違いなく」
ひそかに目を見開くジルの前で、エリンツィアが頷き返す。
「そうだな。同感だよ。あの子は竜帝だ」
「言っておくが、だからって皇帝だと僕は認めたわけじゃない。帝都が占拠されても素知らぬ顔で雲隠れする馬鹿など認めてたまるか。やる気がないなら今すぐ僕にでも譲位しろ!」
「お前はハディスと同い年じゃないか。年齢順で言えばヴィッセルだろうに」
「僕のほうが二ヶ月年上です。それに、身分的に考えても僕が順当ですよ。……そうすれば、いきなり辺境から連れ戻されてなんの後ろ盾もないのに皇太子だ皇帝だと振り回されることもなかったんだ、あの馬鹿弟め」
ぶすっとした顔でそうつぶやくリステアードをまじまじ見つめながら、ジルはなんだか感動した。
(言い方があれだけど、いいひとじゃないか!? 味方、いるじゃないか陛下……!)
エリンツィアの言い方も、敵意は感じない。
ちゃんと事情をあかせば、このふたりは味方になってくれるんじゃないだろうか。そうすればハディスもいつまでもあそこで野菜作りにいそしまなくてすむ。本人は楽しそうだということは目をそらして、いっそこの場でさぐりを入れてみようか。
「しかもあの馬鹿、結婚したとか聞いたぞ!? ろくな後ろ盾もないくせに、どこの馬の骨ともわからん、しかも子どもだという話じゃないか! 本当にあの馬鹿は、どこまでッ……幼女趣味まであったのかと思うと、僕はもう情けなくて、情けなくて……!」
「ああ……それはさすがに、私もどうかと思ったけどな……何かの間違いだと願おう」
言い出すのがはばかられる空気になって、ジルはひたすら口をつぐむことにした。