16
ラーヴェ帝国の若き皇帝は呪われている。
あったなそんな話――と思うのはやはり、ジルが他国の人間だからだろう。
だがラーヴェ帝国にとっては違う。ハディスが皇太子になるまで続いた誕生日に皇太子が死んでいく呪いを見てきたのだ。実際はハディスを孤立させるための女神の嫌がらせなのだが、周囲はハディスが引き起こした呪いだと思っている。
信じてくれるとしたら、実際に女神の聖槍により襲撃を受けたベイルブルグの人間だけだろう。
「詳細は知らないが、そう簡単に忘れられる恐怖じゃないんだろう。だから夏が終わる頃までは、どこもどちらの味方にもならず、のらりくらりかわすんじゃないのかな」
ハディスは夏生まれなのか。
こんな基本的なことを知ったとき、まだまだつきあいが浅いのだと思い出す。
(なるほどな。呪いが怖くて、夏までは判断保留にするわけか。ここは助かったというべきなんだろうが……)
まるで女神がハディスを守っているようではないか。腹が立つを通りこして殺意がわく。
苛立ちが顔に漏れ出たのだろう。少し先を歩くロレンスがまばたいた。
「どうしたんだい? そんな顔して」
「お気になさらず。事情はわかりました。だから手配書が回っているわりには、積極的に捜索隊も出さないのですね。わたし、そろそろ捜索にかり出されると思っていたので」
「ここは政治的な争いは中立をとることが多いから、捜索には消極的だと思うよ。だからこそ安全を確保するために、精鋭の竜騎士団が必要になる」
では、ハディスの捜索のためというよりは、中立という立場を確保するために竜騎士団見習いを臨時で募集し、戦力の増強をはかっているわけか。
(その竜騎士団を叩き潰して追い込んだのはわたしとお前だけどな! 今思えば、こいつが竜の生態に詳しかったのはここで間諜をしてたからか)
竜の活動限界時間や習性につけこむ策を立て、エリンツィアの竜騎士団を半壊させたのはロレンスだ。
ロレンス曰く、竜を殴って倒すジルのほうがおかしいということだったが。
「だが竜騎士団は優秀な裏方が必須だ。兵站部隊なんかが特にそうだ」
「ああ、だから竜との相性が今ひとつだからといって、即クビにはしないんですね」
「そう。今は竜に見向きされずとも、座学を学び、うまく世話ができるようになった見習いが真っ先に竜騎士に叙任なんて珍しくない。誰にも扱えない気難しい竜を乗りこなす騎士が元補給部隊なんて話もざらだ。だからクビにはならないが、ここに回され、自分の適性を見極める聡明さもなく愚直にもなれない人間は、諦めがちだ」
「だからふるい落としではあるけど、少し違うと。――その話、他の人にしてあげたらどうなんですか?」
「所詮、俺の持論だよ。それに実際問題、竜の世話に早々と向かう同期を見送って街の警邏に回されるのは、屈辱なんだろう。正規ルートで竜騎士に邁進する連中からは、街の便利屋さんだって笑い者にされることも少なくない」
「どっちも必要な仕事でしょうに、優劣をつけるなんて馬鹿馬鹿しい」
だが、見習いなんてそんなものだろう。士官学校でもくだらないいじめはあった。そこから驕りや無力を悟って一人前になっていくのだ。
ジルの横で、ロレンスが足を止めた。
「ロレンス……さん?」
「ロレンスでかまわないよ。ほとんど同期だろう、ジル。――実はね、噂があるんだよ」
意味ありげなロレンスの優しい笑みに、ジルは思わず一歩さがった。
(知ってる、こいつがこういう顔をするときは、獲物を引っかけるときだ!)
「噂は正確な情報収集を阻害するので結構です!」
叫んで両耳をふさいだジルに、ロレンスがぽかんとした。が、すぐさま口元だけで笑って、両手を引きはがしにかかる。
「何するんですか!?」
「まあそう言わず、聞いてくれ。ノイトラール公爵家――エリンツィア団長が捜索隊を出さない理由について、もうひとつ噂があるんだ」
「聞きませんし、聞こえませんから!」
「そう言い張るならどうぞ? 実は今クレイトスから、さる御方が――」
いきなり日陰になったと思ったら、突然の突風と一緒に大きな影が旋回した。
竜だ。助かったとばかりにジルは上空を見あげて話題を変える。目の色は見えないが、鱗の色は見えた。
「赤竜ですね。エリンツィア様でしょうか?」
「いや。見習いに竜の厩舎を案内している時間のはずだ」
なぜ知っていると思ったが、つっこんだら藪から蛇を突き出すようなものだ。そのまま会話の流れに乗った。
「じゃあ他の竜騎士の方ですね。意外といるんですね、赤竜」
「まさか。今、赤竜を持っているのは、ラーヴェ皇族か三公だけだよ」
「おい、そこのふたり!」
上空から声がしたと思ったら、人影が落ちてきた。あっと思ったが、竜から飛び降りたその人物は綺麗に地面に着地する。
(いい体幹だな。魔力も……クレイトスでも高いほうだな、これ)
ラーヴェ帝国では珍しいのではないだろうか。埃をはらいながら何でもない顔で立ちあがった人物を、ジルはまじまじと観察する。
「君達はノイトラール竜騎士団の見習いだな?」
ジルとロレンスの腕章を見て、青年が尋ねる。ジル達が答える前に、上空で竜が非難するような鳴き声をあげた。
端麗な眉をよせた青年が、上空に向けて声をはりあげる。
「ブリュンヒルデ。すまないが先に厩舎へ行っていてくれ。僕もあとから顔を出す」
竜が不満そうに一声鳴いたが、旋回をやめて飛んでいく。それを見送って、やっと青年がこちらに向き直った。
切りそろえられた深紫の髪が風に流れ、銀の瞳がロレンスとジルを見て細くなる。品物を検分するような高圧的な眼差しだが、不思議と不快にさせない気品があった。
「取り次ぎを頼みたい、エリンツィア皇女殿下に大至急だ。今は竜騎士団の団長をしているんだろう?」
「失礼ですが、あなたはどなたでしょうか?」
慇懃無礼とも取れるロレンスの誰何に青年は一瞬顔をしかめたが、すぐしかたないといったふうに首を振って、自分の胸元に手を当てた。
「これは失礼した。僕はリステアード。リステアード・テオス・ラーヴェ」
ロレンスが眉尻を動かした。知らない相手のようだ。
ジルも知らない顔だった。エリンツィアと違い、戦場でも会わなかった。
「ラーヴェ帝国第二皇子、と言い替えてもいい。異母とはいえ、弟が姉に会いにきたんだ。まさか、会わないなどとは言わないだろう?」
なぜなら彼は、開戦前に死ぬ。
異母兄弟であるハディスのやり方に異を唱え反乱を起こし、処刑されるのだ。