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ロレンス・マートンとジルが出会ったのは、ジェラルドが対ラーヴェ帝国戦のために作った士官学校に入る少し前だった。
ジェラルドの婚約者になったジルはまず妃教育を受けたが、ジェラルドは半年ほどで「君は淑女より軍人に向いている」とさっさとジルの仕官を決めた。ちょうどジェラルドは正規の軍の他に、王太子直属の魔力の高い遊撃隊を欲しがっていて、その部隊長になってほしいと言われたのだ。そのときに副官候補として、ジェラルドの部下だったロレンスと引き合わされた。
一緒に士官学校へ入学し、一年ほど叩き上げられて従軍した。異例の早さでの従軍は、開戦を見込んだジェラルドの意向である。
今思えば、ロレンスはジルの監視も兼任していたのだろう。ジルには――いや、誰に対しても一線引いたところがあった。
だがジェラルドの読み通り、卒業後一年とたたずラーヴェ帝国と開戦し、初陣と幾度かの戦場、死線をくぐりぬけながら部隊を作りあげた頃には、名実ともにジルの副官になっていた。
剣の腕はそれなりでも魔力量が平均値以下のロレンスは、クレイトスでは落ちこぼれだったが、魔力の少なさを補ってあまりある知能と知識があった。いつも穏やかで人当たりのいい柔和な笑顔を浮かべながら、なかなか腹の内を見せないロレンスに、狸軍師とあだ名をつけたのはジークだったか、カミラだったか。
それでもあの六年後の未来、ジェラルドよりジルを選んでいてくれたという確信がある。
だがそれはあくまでジルが彼と信頼関係を築いた未来の話であって、今は間違いなくジェラルドの部下だ。
その彼が今、ここにいるということは――。
(こいつ、間諜まがいの仕事までしてたのか! ジェラルド様の部下だったときの話、少しくらい聞いとけばよかった……わたしの部隊、身上過去を問わずだったから……)
ラーヴェ帝国出身のカミラとジークの過去も、最近やっと知ったところだ。ちょっと大雑把すぎる人事をしすぎたかもしれない。
だが、後悔してもしかたない。そもそもこの秘密主義で、一癖も二癖もあるこの男が聞いて素直に教えたとも思えない。
むしろ、ジルがロレンスの正体を知っている分、有利に立ち回れることを考えるべきだ。
「ジル、か。確か、サーヴェル辺境伯のご令嬢が同じ名前なんだよ。知ってる?」
――いや、そうとは限らないかもしれない。
「へ、へー! そうなんですね、知りませんでした! ところで、他の方は?」
目線を泳がせながら答えたジルに、ロレンスは笑う。
「ああ。俺は一月ほど前の入団なんだけど、最近めっきり誰もこなくなったな。そういう君はひとり? 他のひとは?」
「呼ばれてるひとはいましたが……やっぱりこれ、ふるい落としでしょうか?」
「小さいのに勘がいいね。でもちょっと違う。――時間だし、見回りに行こう」
噴水広場にある時計を見あげ、本を持って立ちあがったロレンスは、先に歩き出した。追いかけるジルに歩調を合わせながら、話を続ける。
「竜と相性がいいと判断された見習いは、竜の世話係を始めるんだ。一方、適性が今ひとつと思われた見習いは、こうして街の警邏をさせて、土地に馴染ませる」
「土地に……馴染ませる?」
「これは座学もまじえた俺の持論だけど、竜の存在はラーヴェ帝国の領土問題だ。竜神ラーヴェの加護がある空の下でこそ竜は産まれ、育つ。魔力を嫌うって話だって、神話上は敵国のクレイトスに魔力の強い人間が多いから、防衛本能でそうなってるだけだろう。竜の火は魔力を焼き払うんだから怖がっているわけではないし、逆に言えば魔力がないからといって好かれるわけでもない」
「確かに……」
魔力の少ないお前が実際ここにいるしな、とは言わないでおく。
「だからこの街を守りたい、この帝国を守りたいという想いが強い人間――おそらく竜神ラーヴェの思想に近い人間に、竜はなつきやすい」
「はあ、なるほど、だから街の警邏なんですね」
ひとの顔を見て、街に愛着を持てば、竜との相性も変化する可能性があるということだ。
「持論だからあまり信頼度は高くないよ」
「いえ、わかりやすかったです。つまり愛国心の問題なんですね」
そうなると、ラーヴェ帝国の間諜にきたロレンスが、竜と相性が悪いのは当然だ。
(まさか、わたしが嫌われるのもそのせいか? 別にラーヴェ帝国を攻めようとか思ってないが……過去やったことも関係してるとしたら……あー心当たりありすぎる)
何頭も殴りまくって撃墜したし、ラーヴェ帝国内にも攻め入った。エリンツィアが死亡し後継者争いで混乱したこの城塞都市を占拠したことも、取り戻しにきたラーヴェ帝国軍と争ったこともある。
すべて今はなかったことになっているが、ジルの記憶には残っている。
「難しいですね……」
「君はやっぱり竜騎士になりたいんだ?」
「というより、金目の黒竜が欲しくて」
目を丸くしたあとで、ロレンスが弾けるように笑った。
「それはすごいな。まずさがすのが大変だ。ラーヴェ皇族でも会えるのかどうか」
「そういえば今、帝都のほうが騒がしいみたいですが」
世間話の素振りでそれとなくさぐりを入れてみる。ロレンスはあっさり頷き返した。
「ハディス・テオス・ラーヴェが偽帝だっていう話だろう? 天剣が偽物だとかで。諸侯は真偽を問いただすためにハディス・テオス・ラーヴェを目下捜索中だそうだが、実際はどちらにつくか決めかねて日和見するだろうね」
「えっそうなんですか?」
周辺諸侯はゲオルグの手に堕ちたとばかり思っていたジルに、ロレンスは苦笑いを浮かべる。
「みんな気にしてるんだ。ハディス・テオス・ラーヴェの二十歳の誕生日に、ゲオルグ前皇弟殿下が死体になるか否か」
「あ……」
それは、クレイトス王国でハディスの呪いを噂でしか知らなかったジルにとっては、思いがけない視点だった。