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急いで駆け込んだ訓練場は、興奮に包まれていた。
竜騎士団の見習い騎士とはいえ、まだ竜が常駐する駐屯所や厩舎は立ち入り禁止だ。まずはひととおりの実力や適性を見極め、竜に関する座学を学びながら竜の世話をまず覚える、と説明を受けていた。ゆえに竜と接触できるのはまだ先だと思っていたのだが、果物屋の店長がいったとおり、団長――エリンツィアとその騎乗竜がいたことで、ジルも目を輝かせる。
整列、という一喝で並びはしたものの、皆の視線が集まるのは竜だ。
そんな新人達を苦笑い気味に見つめ、エリンツィアが正面で声を張り上げた。
「本日は私の竜と挨拶をしてもらう! 話は単純、ただ頭をさげて挨拶してもらえるかどうかだけだ。それで相性を見極められる。ローザ……私の竜の名前だが、この子は最上級に近い竜だ。鱗の色を見て欲しい」
エリンツィアがかたわらの赤い鱗の竜をなでた。
ぐるっとローザが喉を鳴らして紫色の目を細める。
「竜は鱗の色で階級が決まる。上から白銀、黒、赤。よく昼、夜、黄昏だと言われるな。同色内の階級は目の色で見分ける。金目が上位、紫目が下位だ。こう表現すると赤竜は単に三番目ということになるが、まず白竜――金目の白銀竜は竜神ラーヴェ様以外にいない」
ぼんやりとジルの頭に、威厳のかけらもなくげらげら笑っているラーヴェの姿が浮かぶ。白銀に輝く肢体に金目、言い伝え通りの色合いだ。
(ラーヴェ様、竜神なんだなあ……天剣になれる時点でわかってたけど)
なんとなく安心したような、残念なような。
「白銀はラーヴェ様のみに許された色なので、白銀に紫目の竜は存在しない。となると次は黒竜の金目がくるが、これもまた伝説じみた存在だ。一説には竜帝だった頃のラーヴェ様の色と言われている。そのせいかラーヴェ皇族は髪か目のどちらかに、黒、金、紫の色を持って生まれる者が多い。竜の階級にならった色なんだろう。私も目が黒だ」
ハディスは綺麗な黒髪に、輝く金色の瞳をしている。伝説の竜帝そのままの色合い、そして天剣とくれば竜帝に決まったようなものだと思うが、ラーヴェ皇族の血を引いていれば髪と目の色は偶然と言い張ることはできるのかもしれない。
「竜に話を戻そう。つまり、黒竜は金目はもちろん紫目もほとんど人前に姿を現さない。白銀の竜が神なら、黒竜は王、女王だ。人と変わらぬ知恵を持ち言葉で会話もできるらしい。何百年と生きた竜の鱗が何度も生え替わり、最後にその色になると言われてはいるが、いずれにしても滅多にお目にかかれない存在だ。ここまで言えば、ローザが現実的に最上級の竜だという意味がわかってもらえると思う」
白銀の竜はラーヴェのみ。黒竜も伝説の生き物に近い。
となると、人間が扱える竜としての最上級は、階級三位の赤竜になる。
「赤がラーヴェ皇族の禁色なのも、竜の階級からきてると言われてる。白と黒は竜の神と王だから敬意を表してさけ、赤を選んだそうだ。あとの鱗の色は上から橙、黄、緑、要は虹にある色だ。加えてわりあいよく見かける茶や灰、斑模様を含むその他の分類になる。竜騎士団の階級章にもそれが現れる。見習いは一番下っ端ということで腕章が竜の鱗にはない水色だ」
見習いには制服は支給されないが、腕章が配られていた。ジルは自分の腕を見て色を確認する。確かに水色だ。そしてこちらをうかがっている先輩騎士の腕章は緑色である。
「赤竜に乗れる最高位の騎士は鱗ではなく、瞳の色にあやかって紫になる。赤は皇族の禁色だからね」
そう言ってエリンツィアが自分の腕章を見せる。瞳の分類で上位にあたる金ではないのは、やはり竜神の色を慮ってとのことなのだろう。
「ちなみに水色はもちろん、青の鱗を持つ竜は存在しない。空を欲しがる女神クレイトスが奪っていったという神話があってね。女神は青色を空だと勘違いしたまま、クレイトス王族の禁色にしてしまったとか」
ふとジルはクレイトスの禁色の逸話を思い出す。
(確か空はラーヴェだけのものではない、という由来だったような。ラーヴェでは、奪われた竜の色という表現になるわけか)
二国間の解釈の違いは面白い。
ラーヴェ帝国の禁色である赤も同じだ。今、竜の階級に敬意を表して赤を選んだと説明されたが、クレイトスでは竜に支配されないよう人間の血の色を女神が分け与えた説が主流だ。
「個体数の多さと階級の高さは逆転するとか、そのあたりは座学で覚えてくれ。本題はここからだ。竜は階級がはっきりして、竜との相性の目安になる。わかりやすく言えば、上位の竜に認められた人間は自然と下位の竜に認められる。もちろん、あとから緑竜や茶竜、その他の竜もくる予定だから、ローザにそっぽを向かれたからといって心配しなくていい」
だが、とエリンツィアは笑った。
「ローザが挨拶を返せば、竜騎士団でもエース級の橙竜に乗れることは間違いない。触れることを許されれば赤竜に乗るのも夢じゃない。出世コースまっしぐらだ。ま、ほとんどが無視されるだろうが、どうせなら大きな夢から挑戦したいだろう?」
エリンツィアの誘いに歓声が応じた。ジルも両手を握りしめて目を輝かせる。
ローザに挨拶する順番はこの間の試合の順位順になった。
つまりジークが一番のりだ。
皆の注目をあびながら、ジークがものすごく嫌そうな顔でエリンツィアに言われたとおり、正面で顔を伏せて跪く。いわゆる、服従の姿勢から入ることが竜への挨拶になるそうだ。
皆が固唾を呑んで見守っている中で、ジークに目をやったローザが、じっとその姿を見たあと、頭をさげようとしたと思ったら、ふんと鼻息を思い切り浴びせ、ジークに尻餅をつかせた。
そのあとは目をぱちくりさせているジークなど知らんぷりで、そっぽを向いている。
意味がわからずぽかんとしている中で、エリンツィアが豪快に笑う。
「いいじゃないか。今のは一昨日きやがれという意味だ」
「は!? 喧嘩売ってんのか、どこがいい――ん、ですか?」
途中でエリンツィアが団長だと思い出したらしく、ジークが尻すぼみに敬語になる。だがエリンツィアはそんなことは気にせず、豪快に笑って説明を続けた。
「まるきり無視はしなかっただろう、からかっただけいい傾向だ。緑竜あたりが挨拶を返してくれるんじゃないか? それに、ここでいきなりローザが挨拶を返したら、竜騎士団の先輩騎士の面目が丸つぶれじゃないか」
エリンツィアのひとことに、新人達の洗礼を見物しにきている先輩の竜騎士たちが笑う。
(いい雰囲気だな。精鋭の竜騎士団をちゃんとまとめてる)
ジークが立ちあがりその場から去ると、エリンツィアが手を鳴らした。
「言っておくが緑竜でも立派な竜騎士だ。竜騎士団の大半は緑竜を筆頭にして茶竜や灰竜、斑竜がしめてるんだからな。さあ、落ちこんでないで次だ次!」
勢い込んで新人が進み出るが、ばんと地面を足で踏まれて脅かされたり、一瞥しただけでそれきりだったりが続く。頭をさげる挨拶をかわしてもらえる者は出ないまま、ジルの順番がまわってきた。
どきどきしながら進み出たジルに、エリンツィアが意味深に笑う。
「ああ、君か。君はどうかな」
「頑張ります!」
宣言して、ジルは目を閉じ、頭を垂れてその場に片膝をつく。
(仲良くなれますように! 自分の竜がほしい! それで陛下みたいにかっこよく乗れたらいいな。そう、竜はできれば――)
ふわっと風が吹いた。優しいというには勢いのある――殺気。
本能的にジルは地面を蹴って飛びのいた。鋭く大きな爪がかすめ、肩から胸にかけて衣服を切り裂く。斬り付けられたような、かすかな熱と痛みが走った。
「ローザ!? 何をしている!」
エリンツィアの制止も無視して、ローザが吼えた。大きく翼を開き、ジルをねめつける。ぎらぎらとした紫色の目に宿っているのは敵意だ。
「ローザ、やめろと言っている! 君――ジルだったか、早くさがって、手当てを!」
竜の座学など受けていなくてもわかる。ローザが向けているのは、完全な威嚇行動だ。
呆然とそれを見ているジルを、ジークが抱きあげてその場から離れる。
「大丈夫か、隊長。傷は」
「だ、大丈夫……です。服が破れたくらいで、かすり傷です」
「一応、救護室に行くぞ」
「どうして……わたし、竜妃なのに。陛下の、奥さんなのに……」
思わずこぼしたつぶやきにジークは一瞬、足を止めたが、何も言わず大股で救護室へと歩き出した。