軍神令嬢は恋の仕方を模索中
たりない砂糖を買いに出た夕暮れの帰り道、ハディスはつないでいた手がふと離れそうになったことに気づいて、足を止めた。
「ジル?」
「え? あ、すみません」
ショーウィンドウを見ていたジルが慌ててこちらを向く。
ハディスは逆に、ジルが見ていたほうへと目を向けた。
ショーウィンドウの中ではくまのぬいぐるみがひとつ、クッションの上にちょこんと座っていた。丸い耳と黒目、ふわふわと抱き心地のよさそうな焦げ茶の毛。なかなかに可愛らしい出来だ。
「欲しいの?」
「ち、違います」
ジルは否定したが、名残惜しいのかちらちらとくまのほうをうかがっている。
街に買い物に出るハディスの護衛をかってでたジルは、滅多なことでは気を取られない。ものすごくおいしいにおいをただよわせる焼き鳥だって我慢していることがあるのだ。
なのにぼけっと魅入ってしまうなんて、本当は欲しいのだろう。
ショーウィンドウをのぞきこんで値段を確認するハディスに、ジルが慌て出す。
「ほ、ほんとに違います! 欲しいわけじゃないんです、ぬいぐるみはわたし、持つ資格がなくて!」
「持つ資格って、そんな大袈裟な」
「ほんとなんです! あれはわたしが七歳くらいのときでした。両親が遠征帰りのお土産に買ってきてくれたんです。でもその日、屋敷に賊が入って、わたしはそのぬいぐるみを盾にしたんです! あとで、直せると思って……!」
なんだかオチが見えた気がする。
ぐっと両の拳をにぎってジルが目を地面に落とした。
「なんとか直そうと手を尽くしたのですが、逆に複雑骨折みたいな有様になり、くまのぬいぐるみは殉職しました」
「殉職」
繰り返したハディスに、ジルは真剣に頷き返した。
「だからもう、わたしはぬいぐるみは持つまいと決めたんです」
それはなんというか。
「……ご愁傷様です?」
「お気遣い、ありがとうございます」
部下を失った兵長のように疲れた顔でジルが返す。
「なので、わたしにはもうぬいぐるみを持つ資格はないんです……」
そう言ってジルはひとり、ふらふらと歩き出す。周囲に人気も敵意もないからだろうが、やっぱりらしくない。
おい、とハディスの内側に引っこんでいるラーヴェから声があがった。
『わかってんだろうな。あとで買ってやれよ』
もちろんわかっている。
ただそれだけでは味気ないし、あの様子だとジルは受け取らない気がする。
(ラーヴェ、あとでちょっと手伝え)
『いいけど、なんだよ』
どうせだったら素敵なプレゼントにしよう。そう思いながら、ハディスはジルのあとを追いかけた。
■
大人が三人、大の字になって眠れそうな天蓋付きの寝台は豪奢だが、枕もカバーも無地の白なせいでいささか殺風景だ。
こういうとき何か飾りでもあれば、と思ってしまって、ジルは嘆息した。
(先週見たくまのぬいぐるみ、可愛かったな)
短い手足も耳も抱き心地のよさそうな体も、丸々として可愛かった。そういえば、ラーヴェ帝国にはくまのぬいぐるみの有名なブランドがあるのだ。確かジルがかつて持っていたぬいぐるみも、ラーヴェ帝国が製造元だった。ひとつひとつ職人の手作りなことで有名なので、まったく同じ形ではないだろうが――そこまで考えてぶんぶん首を横に振る。
長く考えると、くまだった何かの惨状を思い出してしまう。微妙にモザイクがかかっていて鮮明には思い出せないのだが、その分余計痛みが増す。
ジェラルドの婚約者になってからも、ぬいぐるみの贈り物だけは固辞した。ジェラルド本人もぬいぐるみの殉職を聞くと「生活必需品でもないから問題ないだろう」と理解を示し、周囲に贈らないようそれとなく根回ししてくれ、本人も二度と贈ってくることもなかった。いや、そもそもジェラルドからもらうプレゼントは妹のついでだったのではないか、というあれこれはさておき。
(生活必需品でないのは確かだからな、うん)
いくら年齢が巻き戻っても、やり直す気になることとならないことはある。
「ジル」
着替えを別室ですませたハディスが、寝室に入ってきた。背中を向けていたジルは振り向こうとして、視界をふさがれる。殺気を感じなかったせいで、対応が遅れ、そのまま寝台に背中から転がってしまった。
「!? な、なんですか、陛下いきなり!」
「やっとできあがったんだ」
寝台に膝を突いたハディスが笑って、ばあっと顔を見せるようにくまのぬいぐるみの両腕をひろげてみせる。
先週、護衛中だというのについ足を止めてしまった、あのくまだ。なぜか立派なマントがついて王冠をかぶっているが、間違いない。
まさか、とジルは目を見開く。
「ぬいぐるみ、作ったんですか陛下!?」
「マントと王冠はね」
さすがにくまは縫わなかったらしい。
「僕とおそろいにしたんだ。名づけてハディスぐま」
「く、くま陛下ってことですか……」
「君、かたくなに僕の名前を呼ばないな?」
「そういうわけではないですが」
「まあいいけど。もうそろそろ帝都に戻るだろう。そうしたらそばにいられる時間が少なくなって、こうやって一緒に寝られることもなくなるかもしれないから」
そっとハディスから王冠とマントが追加されたくまのぬいぐるみを差し出されて、らしくなくうろたえてしまった。
「へ、陛下。わたし」
「僕だと思って持っていてほしい」
ちょっと愛が重い。
などと思っている間に、膝の上にちょこんとのせられてしまった。
じっと黒の目が自分を見あげている気がする――可愛い。ごくりと喉を鳴らして、でも、ジルは両目をつぶってハディスに押し返そうと持ちあげた。
「お、お心遣いは嬉しいです陛下、でもわたしやっぱり――」
「このくまなら大丈夫だよ、殉職しない」
ぱちり、とジルは目をあけた。
「ラーヴェの血で染めた糸で魔方陣を縫い付けたんだ。マントを引っ張ると王冠の飾りになってる魔鉱石が起動する。一回引っ張ると結界が正面に出て、三回引っ張ると魔力の熱線が出る」
「熱線。それはどれくらいの範囲と威力ですか」
「死なない程度に前方半円を焼き尽くすだけだから大丈夫。さらに糸が一カ所でも切れたら自動戦闘モードに入って射程距離内の敵と戦う」
「すごいですね!?」
「相手が死ぬまで殴り続けるかもしれないからそれだけ気をつけて欲しい」
「どうしたら止まりますか」
「マントを二回引っ張れば止まる」
なるほど、扱いの難しいぬいぐるみだ。
ひっくり返したり腕を持ちあげたりしてぬいぐるみの全身を確認していると、隣に座ったハディスがいたずらっぽく言った。
「何より僕が直せるよ」
はっとジルはハディスの顔を見たあとで、どうしようもなく恥ずかしくなった。
「ずるいです、陛下」
「なんで?」
そうやって不意をつくように、一度だめになった恋とは違うのだと、教えてくれるから。
(今だって同じ失敗はしないと、警戒はしてるんだけどな)
黙ってジルはくまのぬいぐるみを抱きしめる。
「これならもらってくれる?」
「…………」
ぬいぐるみに隠れるように顔を埋めて、こくんと頷く。
嬉しそうに笑ったハディスが頭のてっぺんに口づけを落とすのを、今夜ばかりはとがめることはできない。
「ところで、ラーヴェ様って血が出るんですね?」
「うん、斬ったら出た」
「……。怒られたのでは」
「あったりめえだよここまで黙って見守ってやったことを有り難く思え、このトンチキ竜帝!!」
だが甘い雰囲気も、神にあるまじき口調で飛び出てきたラーヴェとハディスが始めた喧嘩で、すぐに続かなくなる。
ジルは苦笑いをしたあとで、力一杯くまのぬいぐるみを抱きしめた。
きっと二度目は違う結末が手に入る、そんな祈りをこめて。