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女王の案内まで買って出たらしいリステアードがハディスのそばにつくと、うしろに隠れていたロレンスの姿が見える。先ほどまで収監されていたとは思えない、女王の側近らしい見てくれだった。
誰にともなくフェイリスが告げる。
「まだ予定まで少し時間がありますが、中へ入りましょうか」
意味深な視線をジルにくれてから、フェイリスが両開きの扉の前に立つ。じっとフェイリスを見ているジルの気を引くように、ロレンスがこちらに手を振って、話しかけてきた。
「竜妃の騎士がそろってるなんて、珍しいですね」
「余計なお世話よ」
「そうだ、そろうときだってあるんだ」
「語るに落ちてません?」
「全員、忘れるなよ」
口を動かしたロルフに、ロレンスが、皆がまばたく。会談の部屋に入ろうとしていたフェイリスも、足を止めた。
「竜神が何を望んだのか」
「……あなた」
目を細めたフェイリスを、ロレンスが制する。
「ラーヴェ帝国の平和、人間の救済では?」
「本気で言っとるのか、お前」
ロレンスが笑顔を一瞬だけ消し、すぐに作り直した。
「ええ。でも、俺の想像にすぎません。竜神本人に確認しない限り、誰が語ろうとただ自分がそう思いたいというだけの願望だ。違います?」
「……そうさな。しょせん、解釈の問題だな。それぞれに信じる神がいる。結局、自分が納得できるかどうかだ。だからひとは争いをやめん」
「和平の会談前に、破談をにおわせるようなことを言わないでもらえます?」
「だったらお前は、神を言い訳にするな」
今度はちゃんと、ロレンスから表情が消えた。
「できるからで、やればいい。歴史を動かせ。ちゃんと儂が、後悔させてやる」
――どうしてだろう。笑みを取り戻したロレンスが泣き出しそうに、でも幸せそうに見えたのは。やっとやっと、さがしものを見つけたみたいに。
「光栄です。アンサス戦争の英雄」
嬉しそうに、楽しそうに、ロレンスが一礼する。
そうしてもう振り向かずに、フェイリスを連れて部屋に入ってしまった。肩をすくめて、マイナードがそのうしろに続く。
「……ジル」
「はいっ陛下!」
気を取られていたジルは慌ててハディスに視線を戻す。ハディスが、淡く微笑んだ。
「……ラーヴェのところで、待っててくれる? 会談が終わったら迎えにいくよ」
「え、はい。いいですけど、どうかしました?」
「ううん。ただ……君になら、安心して、まかせられるから」
それならば、とジルは笑顔になった。
「おまかせください! 待ってますね!」
「僕ね。ほんとに君が好きだよ」
「はい!?」
それだけ言って、ハディスは中へ入ってしまった。うろたえるジルを見て溜め息をひとつこぼし、ヴィッセルがそれを追う。リステアードは何やら唇を引き結び、背筋をきっちり伸ばして会談の場へと足を踏み入れた。
「あっえ、何……」
ぱくぱく口を動かしながらハディスが入っていった先を指さすと、背後でカミラが笑った。
「さすがのジルちゃんもイケメンの流れるような口説きテクには負けちゃうか~」
「い、いやだって、今の陛下は、いつもと違いすぎなかったか!? な、なんか…………何かまたわたしに隠れてやってるんじゃないか……!?」
「信用ねえな、陛下。自業自得だが」
「ほんとにお前らは、ぴよぴよ夫婦じゃの」
ロルフが苦笑いを浮かべていた。はっとジルは我に返る。
「ロルフ、さっきの! お前ひょっとして、ラーヴェ様が何を望んでるのか、わかってるのか」
「ああん? さっきあの小僧も言っとっただろう。本人以外、誰が言っても願望にすぎん」
「それは、そうかもしれないが……」
「お前は今は、竜帝を待っておいてやれ。儂らは用事があるからな」
そうか、と頷こうとしてはたと止まった。
「わたしは何も聞いてないが……――あっおい逃げるな、カミラ、ジークまで!」
呼び止めたときはもう三人して走り去っていた。なんということだろう。ロルフの悪癖がカミラやジークにまでうつっている可能性がある。
愕然としながら、ジルはしかたなく足を動かす。ハディスの頼みを断るわけにもいかない。
だって――僕ね。君がほんとに好きだよ。
火を噴きかけた頭をぶんぶん横に振り、すっかり慣れた足取りで大広間に向かった。
(そういえば、女神も女王も、ラーヴェ様に会わせろとか言わなかったな……)
やはり、竜神は女神に囚われたままなのか。
この、うつくしい光があちこちで反射する、魔力の檻に。
やはり、心なしか寒い気がする。慎重に、水晶をできるだけ踏まないように進む。この魔術が何かわからない以上、現状維持が鉄則だ。それも今日で終わればいいのだが。
「……ラーヴェ様」
そういえば、ジルがここでひとりでラーヴェと対面するのは初めてだった。いつもジルは、ハディスをここから連れ出すほうだった。
きらきら輝く、天の道標。見た目よりずっとあたたかい、白銀の鱗。
くるくる、鏡像のように回り続けている。夫と同じ、金色の目は開かない。
「陛下を守ってくださいね、ラーヴェ様」
祈りを捧げるように、水晶の大樹に額をつける。同じ仕草をしていたハディスは、何を考えていたのだろう。
「わたし、女神には絶対負けませんから」
千年もの間、何万、何億の願いを背負わせてきても、まだ祈らずにいられない。これが愛か、理かもわからない。
こんな罪深いわたしたちをどうか、見捨てることなかれ。




