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その日、海竜に周りを囲まれ、黒竜率いる竜たちに空から見おろされ、クレイトスの国旗を掲げた大きな船が一隻、ベイルブルグの港にたどり着いた。
「ようこそ、女王陛下」
軍港の夏の日差しは強い。だが汗ひとつかかずに、女王フェイリスはジルを見あげ、優雅に一礼した。
「お出迎えありがとうございます、竜妃殿下」
「二度目の会談ですね」
「ええ。今度こそ和平を結びましょう」
ぬけぬけと言い放つうしろには、見知った姿がある。じろりとにらむと、曖昧な笑顔を返された。
「お久しぶりです、竜妃殿下」
「マイナード殿下とお呼びすべきですか?」
「呼び捨てで十分だろう」
ジルの背後から素っ気なく答えたのはヴィッセルだ。隣のリステアードが顔をしかめる。
「クレイトスからの客人にそうはいかないだろう。――お久しぶりです、マイナード兄上。元気なお姿が見れてほっとしました」
「……お前もね、リステアード。……大きくなったね」
「五年ぶりですからね」
リステアードがにっこりと笑い、毅然と背筋を伸ばした。
「兄上にも何かお考えがあるのでしょう。ぜひ、アルノルト兄上の墓前にご報告ください。ご案内します」
「……」
「いい精神攻撃だ、リステアード。命日が近いことも付け加えろ」
「リステアード殿下、ヴィッセル殿下。会談に出席されるとおうかがいしてます。よろしくお願いいたします。こちらは、アザル公爵」
フェイリスのうしろでにこやかに佇んでいた紳士が、前に進み出た。
「わたくしのお祖父様でもあります。細かいことは彼にお願いしています」
「お手伝いできることがあれば、どうぞお申し付けください」
まるで執事か何かのような物腰だが、ジルでも知っているクレイトス王国の大貴族だ。かつてでも挨拶くらいならしたことはある。つと、その視線がジルに注がれた。
「お噂はかねがね、サーヴェル侯爵家の三番目の姫君。どうぞよしなに」
「わたしは竜妃ですよ、アザル公爵閣下」
「聞き及んでおりますよ。ですが、そのように頑なにならずともよいでしょう。まだ何も決まっていないのですから」
貴族らしい物事を曖昧にする物言いだ。ジルは肩をすくめる。
「そういう詭弁は聞き飽きたんです」
「ふぅむ。若者たちは、すぐに急いて白黒つけたがる。いけませんね。現に――」
アザル公爵が若者たちを見回し、首をかしげる。
「竜帝陛下がおられませんね。どちらに?」
「会談まで話すことは何もないと仰せです」
「……やれやれ。竜帝陛下も頑固な御方のようですな」
「この会談はあくまでクレイトス側からの要望です。歓迎はしませんよ、当然でしょう」
答えるジルに、アザル公爵は顎に手をやる。
「迷いはない、と。いやはや、あなたがクレイトス王妃になる未来も悪くなかったですな」
「ご冗談を」
鼻で笑い飛ばし、ジルはひたとフェイリスを見つめた。その手には、黒槍がにぎられている。
「もうあり得ませんよ、その未来は」
くすりとフェイリスが小さく笑う。
「そうですわね、ジルさま。ご不安でしょうが、実りある会議にするとお約束します。わたくし個人としては、あなたが出席されないのが残念でなりません」
こめかみに青筋が浮かぶのがはっきり自覚できた。ああ、ロレンスが出した条件はたしかに嫌がらせが極まっていて、その理由も正しい。
「後悔しないでくださいね。陛下はわたしがいないほうが容赦がないですから」
「竜妃殿下、ここで立ち話もなんです。さっさとベイル城へご案内しましょう」
余計な争いは起こすなとばかりにヴィッセルが間に入る。リステアードもジルの肩に軽く手を置き、マイナードとアゼル公爵の前へと出た。
「どうぞ、お二方も。部屋を用意させています」
「皇兄殿下みずから、ありがとうございま――」
途中で動作を止めたアザル公爵に、リステアードもマイナードもまばたく。
「何か?」
「……いえ」
泳いだ目線が、たまたまジルとぶつかる。アザル公爵が微笑んだ。
「まずは一呼吸です。世の中の大半の問題は、それからでも十分、間に合いますよ」
「……なんのことですか」
「仲良くやれることを願っていますよ」
のんびりと歩き出すアゼル公爵に、リステアードが小走りに駆け寄る。
「ひとたらしなんだよね、あの爺様は」
「……マイナード殿下。どういうおつもりですか」
「私は最初から敵っぽかったじゃないか。――ハディスを頼むよ」
マイナードもリステアードたちに続いた。答えになっていないとジルは溜め息を吐く。しかし文句を言っていても始まらない。
まずは船の臨検だ。歩き出そうとしたジルは、物陰からじっと見つめているエリンツィア、ジーク、カミラとを発見して、一歩目で固まった。
「……何してるんですか、エリンツィア様。カミラとジークまで一緒になって」
「私は弟たちの喧嘩が始まったら殴ろうかと思って」
「アタシはジルちゃんと女王の殴り合いが始まったら陛下に知らせなきゃと思って」
「俺は状況把握も兼ねて爺さんから見張っとくように言われてる」
「だが、弟たちは大人だった……」
堂々としたカミラとジークとは対称的に、エリンツィアがとぼとぼとやってくる。
「全員、外面がよくて腹芸がうまい……」
「それ納得していいところなの? エリンツィア殿下」
「いいんだ。さっきのやり取りを見たら、腕っぷしばかりの私が出席しなくてよかったと納得でき……いや、弟たちの賢さを思うと、あの会談の出席者を決めるくじ引きは、本当に平等だったのか……?」
さっとカミラとジークが目をそらしたのは、疑っているからだろう。ジルもヴィッセルがくじ引きを言い出したときからあやしんでいた。エリンツィアの視線に物騒なものが宿る。
「私は弟たちにだまされた可能性がないか?」
「そ、そんなことはないわよお、信じましょうよ」
「少なくともリステアード殿下はくじ引きに細工なんてしないだろ」
「つまりヴィッセルは細工を」
「もう決まったことですエリンツィア殿下! わたしと一緒に腕まくりして会談、待ってましょう!」
あとで殴ればいい、という意味もこめて拳を握り腕を見せつけるようにする。エリンツィアが息を吐き出し、顔をあげた。
「そうだな……最終的には物理でわからせればいいな!」
「そうですよ! わたしたちにはその力があります!」
頷き合うジルたちから少し離れて、カミラとジークが青ざめていた。
「ふふ、ありがとうジル。お互い、頑張ろう」
エリンツィアが荷下ろしの準備を始めるクレイトスの船を見あげた。
「船の臨検は私が引き受けよう。君はハディスのそばにいてやってくれ」
「え、いいんですか」
「いいに決まってる。ハディスだって不安なはずだから、君がいたほうがいいだろう」
「……そうではなくて」
そういえば、エリンツィアは会談に出るためにそちらの勉強に励んでいたから、気づいていないのだろうか。そのときだった。
「あっゴリ――」
途中で口をふさいだのは成長かもしれない。だからと言って今更、好感度があがるわけもない。甲板からこちらを見おろす姿に、エリンツィアのこめかみが引きつっている。
「クリス・サーヴェル……! なぜお前がいる!」
「……護衛だよ、考えればわかるだろ。妹もいるし……」
ちらちらと兄の視線が助けを求めるようにこちらに注がれている気がするが、妹に男女の取りなしなど頼らないでほしい。ジルはすぐさま決断した。
「じゃ、わたしはこれで失礼しますね。行くぞ、カミラ、ジーク」
「おいジル、兄貴を手伝えよ」
「今のわたしは竜妃なのであなたは兄じゃないです!」
力強く断言してジルは逃げ出した。




