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久しぶりに出会った弟が「兄上じゃないですか。お久しぶりです」悪びれずに笑顔で言うものだから、考えていた文句が喉の奥に落ちてしまい、つい「おう、元気にしてたか」と応じてしまった。あとはもう口の回る弟のペースだ。「兄上もお元気そうでよかった」「ところで私、ラーヴェ帝国に戻ることになったので忙しいんです」「会談に出るんですよ。リステアードとヴィッセルに会うのが楽しみだなあ、どんな顔すると思います?」――立て続けに最新の情報を浴びせられて目を白黒させてしまった自分は悪くない。
とどめに「そういうわけで兄上、あとはよろしくお願いしますね!」ときた。
(弟の無茶振りがすごい……俺をなんだと思ってるんだ、あの爺さんといい)
ベイルブルグが占拠されたと聞いてラーデアに生徒たちを置いてノイトラールへ向かおうとしたところへ、昔、後宮で噂だった幽霊爺さんと再会した。アンサス戦争の英雄だったと知ったのはごく最近である。何がなんだかわからないまま、クレイトスに潜入して南国王を味方につけてこいと、問答無用で国境の向こうに投げ込まれた。割りきりのいい生徒たちからは「いってらっしゃーい」のひとことで見捨てられた。
だがどんなに境遇を嘆いても、「兄上にならまかせられます」と言われたらしょうがないなと許してしまう自分が一番よくない。
心配かけたナターリエに会いにいけ、リステアードとヴィッセルをからかって遊ぶな、みんなとちゃんと話し合え、アルノルトの墓参りに行け、今思えばなんという当たり障りのない言葉だろうか。すでに女王と一緒にラーヴェ帝国へ向かった弟は、目をまるくしたあとで笑っていたが、通じただろうか。
「アルノルトのやり残したことを、やろうと思って」
そうぽつりとつぶやいた弟の目には優しい光が灯っていたから、大丈夫だと思うけれど――ロジャーは空を見あげる。夜空には雲がかかっていて、余計に暗い。
指定された時間は、深夜。クレイトス王都バシレイアは瘴竜の奇襲で一時期治安が悪くなっていたが、女王がラーヴェ帝国との和平に向かったことで、緊張が和らいでいた。王宮の端にある使われていない裏口から入り、手入れが後回しになっている庭園の半壊した東屋で待つ。
見回りはこない。くるのは案内人という手筈だ。現に、月明かりと一緒にやってくる人影は、ひとつきり。だが、やってきた人物の顔を確認するなり、ロジャーは硬直した。
「やあ」
クレイトスの前国王ルーファスが、笑いかける。
さすがに頬が引きつった。本人がくるなどと聞いていない。そもそも、先の戦いで大怪我をして床から起き上がれるようになったばかりではないのか。そしてその大怪我をさせたのはまず間違いなく、ロジャーの弟か義理の妹である。
「君がルドガー・テオス・ラーヴェかい。竜帝の兄君の」
本気で弟を罵倒したくなった。
(いやいやいや今の俺ただの平民だぞ、前国王からしたら交渉役に値しないだろ!)
そもそもロジャーは、きちんとすべての事情を把握しているわけではないのに。
「ああでも、臣籍降下したのだっけ」
「あ、はい。皇位継承権はずいぶん前に捨てたので……」
「なるほど逃げたわけか」
わずかにまじった嘲笑に、怒りはわかない。事実だからだ。逃げるつもりなんてなかったと言い訳する気も起きない。
「それで皇族でもない君が、前国王を呼び出して交渉? 正気かい?」
呆れ顔をされてしまうのも、もっともだ。あらかじめマイナードも説明しておけと、ロジャーだって文句を言いたい。
(でも、アルノルトのやり残したことをやるって言うなら、なあ)
兄上にならまかせられます。あの言葉の続きは卑怯だ――「だってあなたは、後ろ盾もないのにあのアルノルトと皇太子争いができると言われた唯一の皇子じゃないですか」
「俺は弟たちほど優秀ではないですが、兄ですから」
「だがなんの権限もないだろう。竜帝だって公に君を兄とは認められないだろうし」
「弟に認められるかどうかって、兄であることに関係あるんです?」
ルーファスがまばたいた。ロジャーは東屋の壊れかけた石椅子に座る。そして立ちっぱなしのルーファスに真向かいの席を示した。
「どうぞ、まだ本調子じゃないとうかがってます。長い話になりますし」
「……長居する気はないと言ったら?」
「あなたの息子さんの行方を、知ってます」
ルーファスが眉を吊り上げる。ロジャーは静かに見返した。視線が交差する。
「あなたの娘とその側近に封じられているという見立てです。だから俺があなたに話をしにきました。どうです、まだ話をする気にはなれませんか?」
「……もしそれが本当なら、今すぐ君を締め上げて吐かせればいいだけのことだねえ」
「かまいませんよ。俺が戻らなかったら弟たちが息子さんをどうするか、保証しませんが」
月がゆっくりまた雲に隠れていく。ルーファスの表情も、隠れてしまった。
「たしかに君は竜帝の兄君らしいね」
「でしょう。重い肩書きなんですけどねえ、おろせない」
「わかるよ。お互い様だ」
そう言って、ルーファスはすすめられた石椅子に腰かけた。




