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弟は何を考えているのか悟らせないわりに、子どもの頃からとにかく感情豊かだ。それは年を取っても同じなのかと、イゴールは呆れを通りこして感心した。
この年になっても身勝手なところも含めて、こうも変わらないのが天才というものか。
「ロレンス・マートンの調査書は読んだのか」
返事はないが、弟の前のテーブルに散らばった書類と、ぶすくれた態度で答えとわかる。
「何が気に入らん、ロルフ」
「……」
「いつも自分の考えは説明しろと言っているだろう。お前はただでさえ理解されにくい」
「嫌だ」
イゴールは相づちを返して、ロルフの正面のソファに腰をおろす。
この好き勝手生きている弟が、ベイルブルグに出した息子と入れ違いにレールザッツにやってきたのはつい昨日のこと。ロレンス・マートンの身辺調査書を読んでいたと思ったら、十数年前のクレイトスで起こった事故記録を出せだとか次々要求してきて、今は何も読まずにふてくされている。
「最近、お前の顔をよく見る気がするな。ずっと竜妃宮にこもって出てこなかったのに、ずいぶん精力的だ」
喜んではいけないのだろう。この弟がうとまれず才能を発揮できるのは、世情の不安定な世の中だ。本人もそれをよくわかっている。だから別の方向から尋ねる。
「竜妃の騎士はどうだ。楽しいか?」
「……あの竜帝は歴史を変える。名君になるか、暗君になるかはともかく」
答えになっていないが、弟の中ではつながっている話なのだろう。イゴールは黙って聞く。
「ただ正直、暗君になる確率のほうが高い。クレイトスに攻め込ませるのは止めたが」
「王都に勝手に攻め込んだのはお前だろうが」
「俺は引き際をわきまえてるだろ」
自信満々に言われて、溜め息しか出ない。しかたなくイゴールは話題を変えた。
「それで? お前はこの盤面を、放り出すのか」
「……」
そっぽを向くこの弟が、すでに次の盤面を見て手を打っているとイゴールは知っている。
「兄貴はどうする。もし、竜帝が駄目になったら」
「命懸けでお止めするしかあるまい。それが臣下だからのう」
「俺はそういうのは好きじゃない。……アーベルだって死ななくてよかったはずだ。どいつもこいつも、どうして自分にできないことを諦められないんだよ」
「成し遂げると諦めなかった奴が、時代を動かすからだ。だからお前は、歴史が好きなんだろう? お前にとってあれは、憧れの産物だ」
この弟はとても聡いから、できないことをやろうとはしない。
「お前はアンサス戦争の英雄と言われているが、自分ではそう思っていない。なぜならお前にとってあれは、できることだったからだ。でも今回は違う。この若造のせいかの?」
からかうように尋ねると、にらまれた。
「そうは言ってない。神様なんて、人間の手に余るんだよ、普通」
「愚痴か。それとも最初から言い訳か?」
「だからそういうのじゃない。……わかってる。兄貴は、竜帝の味方につくよな……」
遠い目になった弟が何を考えているのか、イゴールにはわからない。
「私に恩を返そうとせんでいいぞ、ロルフ」
弟がこちらに目を戻した。
「いつも言っているだろう。私から受けた恩は、他の者に返せと。できれば、下の世代に」
自分とロルフがうまくいったのは、ひとまわり以上離れた兄弟だったからだとイゴールは思っている。もし矜持も信念も中途半端にしか持てなかった年頃にこの弟の才能に行き当たっていたら、果たして『こいつをまともにせねば』と思えたかどうか。
「お前はお前が正しいと思うことをやればいい。その程度の分別はついただろう」
「兄貴は俺をいくつだと思ってるんだよ」
「さっきからお前の老け作りと口調が合ってなくて気持ち悪い。もう髭はそったらどうだ」
「嫌だね、気に入ってる」
そう言って弟は立ち上がった。
「俺の部屋にあった収蔵品、どこにある?」
「知らん、自分でさがせ」
「勝手に片づけておいてその言い草か!」
「イゴール様、よろしいですか。デリー様より急使です」
扉を叩く音と一緒に、使者が入ってきた。弟のやかましい口が閉じるいいタイミングだ。
「クレイトスがこちらが提示した会談の条件を呑むと連絡がきたそうです。女王も近日中にベイルブルグに到着予定だとか」
「ほう、早いな。で、クレイトス側からは誰がくる?」
「マイナード・テオス・ラーヴェ殿下です」
レールザッツの使用人は優秀だ。どんな立場であっても敬称を忘れない。ふうっとイゴールは息をひとつついて、黙っている弟の横顔を見た。
「どう思う」
「死んでもいい人材を選んだんじゃろ。他には誰がくる? まさか会議出席者三名だけっちゅうことはあるまい」
会談にあたり、ラーヴェ帝国側からクレイトスの船は一隻のみ軍港の停泊を許可するという条件をつけていた。それなりの警護も要人も乗り込めるはずだ。
「アザル公爵が同伴される予定とあります。詳細はこちらに」
報告書を受け取り、イゴールは目を細めた。懐かしい名前だ。
「女王の祖父とは、大物貴族が出てきたな」
それだけ本気の会談だということか。以前、レールザッツで波乱を呼んだ竜妃と女王の会談とは趣が違う。
「さて、愚息で対応できるか。フェアラート公がいればなんとかなるとは思うが」
「戻る。イゴール兄上」
立ち上がった弟が、真面目な顔をしていた。おやとイゴールはまばたく。
「俺のことは気にするな、わかったな」
「気にしたことなどないが」
「嘘つけよ」
それだけ言い残して、いつも何も説明しない弟は足早に部屋を出ていった。ベイルブルグに戻って、また戦いの用意を始めるのだろう。
腰に注意を払って、イゴールも立ち上がる。
さて、弟の策でクレイトスに送り込まれたもとラーヴェ皇子は今頃、どうしているだろう。




