可愛い女の子ではいられない(スフィア・デ・ベイル)
「私をハディス様のパートナーに、ですか……!?」
「ああ。頼んでもいいかな。ベイル侯爵の代行になる君のお披露目もかねて、丁度いいと思うんだ」
「あの、でもジル様はそれでよろしいのですか?」
真っ先にスフィアは、ハディスの横にちょこんと立っているジルを見る。
ベイルブルグを去る前に、この城で周辺有力者を集めた舞踏会を開きたい。主催は皇帝の直轄地にすることでベイルブルグを手に入れたハディスになる。その提案に異論はない。
だが、そのハディスのパートナーは、既に竜神にも認められているというジルであるべきだ。
おろおろするスフィアに、ジルは笑顔を返す。
「スフィア様がいいから、お願いしてるんです。ね、陛下」
「ああ。僕が君を支持していることも表明できるし」
「そ、そうかもしれませんが、ジル様がご不在ならまだしも……ど、どうしてジル様ではないんですか。はっまさかジル様はダンスも苦手ですか……!?」
「それ以前の問題ですよ。わたしと陛下じゃ、身長差がありすぎて踊れないんです」
思いがけない理由に、スフィアは目を丸くして、ふたりを見比べた。
ジルが自分の頭のてっぺんに手の平をのせて、そのままハディスの鳩尾あたりを示してみせる。――確かにこの身長差では、ジルが高いヒールの靴を履いても、ダンスを踊るのは難しそうだ。少なくとも不格好になるのはさけられない。
ジルの頭をなでてから、ハディスがスフィアに向き直った。
「かといって、舞踏会を開いておいて主催の僕が踊らないのも問題だろう。だから、君にお願いしたいんだ」
「で、では、ジル様は当日どうなさるんですか?」
にこにこしているハディスは、とても聡いひとだが、愛されることに疎い。自分とハディスが踊る姿を見てジルがどんな気持ちになるか、わかっていない可能性がある。
そのあたりを確認できなければとてもではないが引き受けられない。
だがスフィアの質問に、待ってましたとばかりに声をあげたのはジルだった。
「わたしは陛下の護衛をこっそり」
「それはだめだって昨日言った。君は留守番。君が舞踏会場にいるなら、スフィア嬢にパートナーを頼んだ理由を邪推される」
「それはそうかもしれませんけど! でもじゃあ誰が陛下をお守りするんですか」
「君、舞踏会の料理が目当てだろう」
ぎくりと止まったジルが、わかりやすく目を泳がせた。
「そ、そんなことはない、ですよ?」
「舞踏会の料理はベイルブルグの料理人たちに頼むから、君がおとなしくしていてくれるなら、僕はチョコレートケーキを作る時間があるかもしれないな……」
「わたし、留守番します!」
「ということで、頼めるかな」
ジルをあっさり黙らせたハディスに、スフィアは苦笑いを浮かべる。
こと食事に関しては、このふたりは互いに年相応だ。
(ジル様、普段は大人びてらっしゃるのに)
この様子だと、ジルはスフィアとハディスが踊るところを見ずにすむ。それに、まだ子どものジルには、チョコレートケーキのほうが大事なのかもしれない。
自分が懸念した要素はなさそうだと、スフィアは胸をなで下ろして、頷いた。
「わかりました。私でよろしければ」
「助かるよ。皇都に戻れば夜会の数も増えるし、君には今後もまたこういうことをお願いするかもしれない。もちろん、君が新しいベイル侯爵を見つけたら遠慮するけれど」
「はい。そのときまで、ハディス様とジル様のお役に立てるなら」
他の女性がわって入るよりはましだろうと、スフィアは辞儀をして引き受ける。
ハディスが代理を頼むことにほんの少しさみしさは覚えるが、それはもう、時間とともにいずれ消えていくものだろう。
少なくとも、ジルと一緒に幸せそうに笑うハディスを、スフィアは喜べているのだから。
(もし不安があるとすれば、ジル様がこういったことに関して、まだ年相応なことだけれど――)
皇帝の花嫁になるのだ。これから先、女の戦いに巻きこまれるのは避けられない。まだ可愛い女の子のジルが、スフィアは少しだけ心配だった。
でも、もう少しだけ、チョコレートケーキにご機嫌なジルでいて欲しい気もする。辞儀から顔をあげるついでにそっとジルを盗み見しようとして、スフィアはまたたく。
はねた毛先を指でつまんだジルは、笑っていなかった。足元に目線を落とし、自分の小さな体に苦笑いを浮かべて、それを振り切るように、かたわらのハディスのマントの裾をにぎる。
「陛下。――わたし、すぐ大きくなりますからね」
裾を引かれて視線を移したハディスには、ジルの笑顔しか見えていなかっただろう。でもハディスは嬉しそうにジルを抱きあげ、視線の高さを合わせる。
互いの額を合わせる姿は、まるで雛が身を寄せ合っているみたいだった。
「待ってる。でもあんまり早く大きくなられると、君をこうして抱きあげられなくなるから、それはさみしいな」
「そ、それは我慢してください」
「――ジル様」
思わず呼びかけたスフィアに、ジルが振り向く。
ハディスは大人の男性で、自分にはまだ釣り合わないと賢いジルはわかっている。だから気を遣って平気だと笑う、冷静で、大人びた女の子。カミラやジークあたりならそう評するだろう。ハディスもそう思っているかもしれない。
けれど、スフィアは認識を改めた。
(私をパートナーに選んだのは、ジル様だわ。私なら安全で、もう邪魔にならない)
ハディスに恋をした彼女はもう、可愛い女の子じゃない。可愛い女の子ではいられないのだ。
スフィアは微笑む。その優しい大人の笑顔の意味を、きっとジルは察するだろう。
「刺繍に詩の朗読、頑張りましょう。ダンスもいずれ必須です」
ジルはあからさまに嫌そうな顔を見せたが、ちらとハディスを見て、小さくはいと返事をした。
それはきっと、他の誰にも彼をとられないために。
世界でいちばん、彼にふさわしいのは自分だと、胸をはるために。




