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片腕でも見事に竜を御せるサウスはさすがだ。しかも、自分を覚えていてくれて助かった。
「ロルフ殿、本当に逃亡するのですか。女神たちは」
「いいから黙って見張っとれ」
疑問は口にするが、すぐさま表情を引き締め、黙って仕事に戻るのもいい。
ベイルブルグの崩れた岬の上に立ったまま、ロルフは周囲に目を凝らす。軍港にはすでにエリンツィア率いるラーヴェ海軍が占拠していた。
――あまりにもうまくいきすぎている。
このタイミングでのレールザッツへの襲撃は、携帯用の転移装置を使って指示を出したからに違いない。つまり、ベイルブルグ占拠後に転移装置が使えたのは確かだ。なのにベイルブルグには増援どころか、兵が少ない。寝返った北方師団の兵やベイルブルグの住民のほうが多いのではないか。
(転移で軍を撤退させたのか。なら女王やあの子狸はもういないのか?)
そんなわけがない。レールザッツを襲撃させ、サーヴェル家という最大戦力を配置し、ぎりぎりまで女神の結界を維持させた理由が、敗走を隠すためでは、割に合わない。
そもそも、なぜ逃げる必要がある。竜神に手をとられたせいで女神の魔力がたりず、結界内に籠城しても勝てないから――あり得る。なら、なぜ竜神ラーヴェを盾に交渉をしなかったのか。あれだけの大軍と策でベイルブルグ占拠しておいて、あっさり奪還を許すのは、いくらなんでも損切りしすぎだろう。何かあるはずだ。
情報がたりない。あの子狸と自分の持っている情報の違いはなんだ。まさか、かつての記憶とやらか。いや違う、情報量はもうほとんど同じのはず。女王の寵愛を受けてもただの人間にすぎないのだから。ならば、視点の違い、あるいは信じているものの違いか。
――竜帝が、交渉に応じるわけがないから。
ふとしたひらめきを、サウスの大声が遮った。
「ロルフ殿、船が一隻、あちらから出ます! 隠し港からです……!」
軍港を見つめていたロルフはまばたき、そしてフリーデンを呼んだ。竜を駆るロルフに続いてサウスたちも自分たちの騎竜に飛び乗り、手綱を握る。
「あちらです」
「そっちは囮、軍港のほうじゃ!」
「はっ!? 囮!?」
隠し港から出た不審な船と真逆の方向へ、軍港から出た船が走っていく。追うならばどちらかだ。だが迷わずロルフは、軍港から出たラーヴェ帝国軍の軍旗をつけた船を追う。民間船にしては船の初速が出過ぎだ、魔力で動かしているからである。
ロルフが急遽引っ張ってきたのは、裏方に徹していたサウスとその部下数名だ。念のため不審船も追わせているのだろう、ロルフについてくる数は少ない。しかも老兵が大半だ。だがいずれもアンサス戦争やラーデア事変の経験もある猛者、少数精鋭だ。
すぐにロルフに追いつき、追い抜き、軍港から出た船の横に並んだ。
「止まれそこの船! 止まらねば焼き払う!」
最大船側で走る船の横で飛びながら、サウスが警告を発する。すると、意外にも船はあっさり速度を落とした。決して大きくない船の中から、不安げな顔をした平民が出てくる。
「ロルフ殿!」
サウスより先に、ロルフは甲板に降り立った。
「ベイルブルグの住民じゃな」
おどおどと目線を泳がせながら、帽子を脱いだ平民がこちらを向く。太陽を背にしたせいで、きらりと刃物が光った。――素人だ。ロルフは鼻先で笑う。
フリーデンが帆先に足をおろし、わざと船を大きくゆらす。それだけで男も、船内に隠れていた者たちも姿勢を崩した。
落としたナイフが甲板を滑ってきて、ロルフは足で止める。ゆれがやわらいだ甲板にすかさずサウスたちが飛び降り、剣を抜いた。
ぐるりと兵たちに囲まれ、男たちが青ざめる。
「ち、違います、俺たちゃ、脅されて」
「寝返った理由なんぞどうでもいい。――女王はどこじゃ」
男たちが視線を交わし合いながら黙る。ロルフは口元をゆがめた。
「女神の愛とやらにほだされたか、裏切り者どもが」
「責めないであげてください。彼らは、わたくしを助けてくださっただけなのです」
船室の奥から、幼い少女がゆっくり甲板へと進み出てきた。
その場にいるだけで空気がやわらぐような、春の木漏れ日を思わせる少女だった。潮の香りも花の香りに変えてしまう。だが、その手に持つのは黒い槍。女神の聖槍だ。
天剣どころか、女神の聖槍まで生きてこの目で拝めるとは――アンサスでお目にかかれなかったときに諦めたのだが、長生きはするものである。
ごくりと、サウスが横で唾を飲み込み、踏み出した。
「フェイリス女王陛下とお見受けします」
「ええ」
「抵抗しないでいただきたい」
フェイリスに向かうサウスの足に、転がっていた住民が飛びついた。驚くサウスの前をふさぐように、他の住民たちも立ちふさがる。
「フェ、フェイリス様に手を出すな……!」
「そうだ、俺たちはクレイトスへ行くんだ! そこで暮らすんだ、竜帝なんてもう信じられるか!」
「俺は、俺の家族はあいつに全員燃やされたんだぞ! む、娘は目の前で焼け死んで……!」
「何を言い出す、お前たち! 抵抗するなら」
「馬鹿かお前らは、儂らが女王を捕縛なんぞできるわけなかろう」
あっけにとられる連中に、ゆっくりと女王を指し示して、視線を誘導する。
「そこにあるのは女神の聖槍じゃぞ。それはな、竜帝の天剣と同じ力を出せる。その気になれば次の瞬間に、儂ら全員、首が弾け飛ぶじゃろうよ」
サウスから女王を守ろうとしていた住民たちが、顔色を変えた。おびえた視線を受け、女王が悲しげに眉をよせ、だが口角をあげて答える。
「そんな残酷なこといたしません。わたくしたちは、竜帝とは違います」
「そ、そうだ……っクレイトス様はそんなことはしない!」
「お前の軍師はここにはおらんのじゃな」
女王が目を丸くしたあと、嬉しげに目を細め、進み出た。サウスたちが身構えるが、女王は優しく微笑みかける。
「安心なさって。ロルフ・デ・レールザッツがきたら、まず話を聞くよう言われています。あなたは今後、わたくしの大切な軍師の障害になる気がしているのだけれど、それも込みで策を立てているというのだもの。わたくしが勝手に処分してはいけないでしょう。それにあなたも、自分は殺されないと思っているようですから」
「信じとるんじゃのお、あの小僧を」
「信じることは得意なのです。たとえだまされていてもかまいません」
「いいこころがけじゃ。信じる人間は強い。何も信じず他人も自分もだます奴よりも」
慈悲深い女神の顔をしていた少女が、押し黙った。注意深く様子を見ながら、ロルフは言葉を重ねる。
「兄の行方を知りたくはないか」
フェイリスが、一切の表情を消してこちらを正面から見た。立ち向かう覚悟を決めた者の表情だ。それだけで答えは十分だった。
「――やめた」
黒槍を少女が握り直す。なんの展望もなく、ただ自分に都合がいいというだけでその手を離せと言うのは、無責任だ。
「説得しようかと思ったが、やめた。儂はかつてとやらを信じたわけじゃないが、あるならそれだけの何かがあったんじゃろう。なら儂がどうこう賢しく言うのは、不敬っちゅうもんじゃ。儂の出番はない――あるとすれば、お前の望みを叶えようとする奴のほうだ」
フェイリスがぱちぱちとまばたいたあと、口元を綻ばせた。年相応の笑みだった。
「わたくしたちを見逃してくださるのですか。竜妃も、竜帝も呼ばずに?」
「呼んでなんになる。儂は自殺願望はないんでな。後ろから撃ってくれるなよ」
言い捨てて、もう振り向かずフリーデンに飛び乗る。サウスたちは振り返り振り返り、だが女王に手を出さないままついてきた。
「よ、よいのですか。女王はともかく、船にいた住民は」
「ああん? 気にするな。どうせクレイトスに着けば――」
突然、背後から魔力の風圧が襲い掛かってきた。女神の器が乗っている船からだ。自分たちへの攻撃ではない、黄金の魔力の中心は女王が乗っていた船だ。
姿勢を崩した竜の体勢を戻しながら、サウスが冷や汗を浮かべる。
「い、今のは……まさか、女神が……」
「クレイトスに着く前に死体になったな」
意味を察して、サウスは黙り込む。ロルフは振り向く気にもなれなかった。
子狸の考えていることはおおよそ読めた。ベイルブルグを取り戻したあと、次の対策をせねばならない。ああ、戦争は本当にめんどうくさい。こういう考え方が、まるで英雄のようにもてはやされる。
どうか当たらないでくれ。
願った矢先に、ベイル城から、今度は白銀の光が輪のように広がった。




