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帝都ラーエルムは、いつもどおり雲をドレスのように纏っている。帝城の尖塔が懐かしく思えた。
ハディスの帰還予定はすでに先触れが出されており、問題なく帝城の発着場に竜が次々と着地した。マイネは子どもたちが心配なようで、指示される前に自ら最後を選び、ゆっくり上空を旋回し続けた。
最後、皆が見守る中で、マイネはほとんど風と揺れを起こさず、静かに着地した。ハディスに労るように首を撫でられ、自慢げに鼻を鳴らす。
ハディスがジルを抱えて鞍からおりると、真っ先にヴィッセルが進み出てきた。
「おかえり、ハディス」
「兄上、ただいま」
明るくハディスが答えながら、ジルをおろしてくれる。ヴィッセルと目が合った。このいけ好かない男がジルに向ける挨拶はまず厭味からである。
「よく連れて帰った」
だからなんの含みもない賛辞を空耳かと疑い、反応できなかった。
「そして、よく帰ってきた――本当は、ベイルブルグに飛んでいきたかっただろう」
近づいてきたヴィッセルが、ハディスを抱き締める。ハディスはびっくりした顔で、固まっていた。
「お前のその努力に、私は必ず報いる。きっと竜神ラーヴェ様も誇らしいだろう」
「……あに、うえ」
やっと動かしたハディスの唇からこぼれる声が、震えていた。
「ラーヴェが……ラーヴェが」
「わかっているよ。必ず救出しよう。お前の大事な、育て親だ」
うん、とハディスがヴィッセルの肩に顔を埋めてしがみつく。何かをこらえるように。
ジルはそっとその場を離れた。悔しさよりも、安堵が勝っていた。――ハディスはここにくるまで泣くどころか、弱音も吐かなかった。
気を抜けるときに抜いておいたほうがいい。
「ジル先生、ちょっといいですか」
ノインに小さく声をかけられ、手招きされた。ハディスたちから離れた場所で、竜を預け終えた数名の子たちに囲まれる。
無事に任務が終わったのに全員が深刻な顔をしており、ジルは少し身構えた。
「どうした」
「移動中にお話したかったんですが、タイミングがなかなかつかめなくて」
ノインに目配せされ、髪の毛を頭の上で一つくくりにした副級長が、頷く。
「私、初日の竜舎に、先触れを出す係だったのですが、覚えてらっしゃいますか」
「ああ。でも、みんな野営を経験したいって竜舎は使わなかったよな?」
「はい。竜舎で妙な噂を聞いたんです。――竜帝陛下はクレイトスはおろか、ラーヴェ帝国も滅ぼすんだと」
ベイルブルグはもう終わりだ、竜帝に燃やされるから。それに反発した皇兄リステアードが反乱を起こして処刑されるから。マイナード・テオス・ラーヴェが生きていて、クレイトスが攻め込んでくるから――ジルは息を呑んだ。
「……いったい誰が、そんなことを」
「ベイルブルグから逃げてきた方だそうです。戦渦に巻き込まれて混乱気味なのだと相手にされてませんでしたが、家族全員で同じ夢を見たそうで、強く思い込んでいました。繰り返し竜帝を信じるなと主張しておられて、陛下の耳に入れるには問題があると思い、ノイン級長に相談したんです」
「それでお前たち、野営にするよう誘導してくれたのか……ありがとう、助かった」
「ただ、この一件だけじゃないんです。私たちがノイトラールにいる際にも、いくつか同じような話を聞きました」
クレイトスとの全面戦争が始まり、エリンツィアが戦死してしまう。レールザッツ公は籠城の果て自爆し、ノイトラールでは虐殺が起こる。
「ベイルブルグで女神がしかけた魔術の影響と公報は出ています。エリンツィア殿下ご本人も笑い飛ばして、悪い夢だ忘れろとおっしゃってましたが、噂は広がるものですから」
「……お前たちも何か聞かなかった? ライカの話とか」
困ったように副級長がノインのほうを向く。ノインは頷いた。
「聞きました。ライカの跡継ぎまで処刑されてもう誰も残っていないとか……でもいつどうしてそうなるのか聞かれると、口を濁すんです。しかも同じ夢を見たって言ってるのに、内容も食い違ってたりして。リステアード殿下がこれから処刑されるって言うひともいれば、お葬式に出たって言うひともいたりで、予知夢にしたって時系列がおかしいんです。他にもナターリエ殿下は去年からクレイトスで行方不明だとか――今年の竜の花冠祭に出ておられたのは新聞にも載ってますし」
予知夢と位置づけても、現実とすでに整合性がとれていないのだ。
「主張しているのがベイルブルグの関係者ばかりなので、女神の魔術の影響として治療と保護、経過観察が続けられています」
「なら、大きな影響はなさそうか」
「はい。ノイトラール公はクレイトスが攻めてくるならと張り切っておられましたし……自爆するという噂を聞いたレールザッツ公は、レールザッツの民の忠誠心を女神は夢でも折れなかったらしいと笑ったそうで。フェアラート公はどうして自分の出番がないのか嘆いていたそうですが。クレイトスの裏をかいたとかないのかと」
三公それぞれの姿が思い浮かんで、ジルは苦笑する。
「ただ、この時勢ですから、ジル先生のお耳には入れておくべきかと思いご報告しました。すみません、ただの世間話です」
「いや、ありがとう。ぜんぜん知らなかった」
ロルフの言うとおりだ。夢になってよかった――改めてラーヴェの選択に、感謝する。
「アルカあたりが嘴をはさんできたら厄介だ。警戒はしておいてくれ。――いいか、陛下は絶対にそんなことはしない。わたしがさせない」
ジルの目を見返して、全員が頷く。
「わかっています」
「竜妃、仕事だ」
うしろからヴィッセルに呼びかけられ、ジルは振り向く。抑揚のない声でヴィッセルがノインたちに休息を命じている間に、ハディスもこちらへやってきた。
「ごめんね、気を遣わせて」
ハディスが照れ隠しに似た笑みを浮かべる。
「あのね、ここからちょっと移動するんだって、馬車で」
「竜じゃなくて、ですか?」
「竜は目立つから。そこにナターリエがフリーダとルティーヤも一緒に保養中なんだって」
含まれなかったが、ジェラルドもそこにいる。ハディスを護衛付きで帝都に呼んだのは、目くらましか。ノインたちはあえて置いていくのだろう。
「君も一緒にきてくれる?」
「何を聞いてるんですか、当然です」
「そっか。そうだよね……」
ヴィッセルに会えて気が抜けたのか、それとも他に気を取られているのか、いつになくハディスがぼんやりしている。
ジルはハディスの手をぎゅっと握る。握り返す力が弱々しい分、しっかりと。




