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突然割って入った声にリステアードが飛び上がるようにして姿勢を正し、エリンツィアが隠しナイフを取り出して構えた。
「そんな目先のことしか考えられずに三百年来の竜帝サマとか、はーつまらん! おいぴよぴよ竜妃、お前も何を黙っとるか! 竜妃の騎士やめるぞ! やめたい!」
どこからともなく罵倒が響き続けている。ハディスが視線をさげたのを見て、ジルは寝台から垂れ下がっているシーツをめくってみた。
「お前はここで何をしてるんだ、ロルフ」
予想はしていたが寝台の下に潜り込んでいる部下を発見して、真顔になった。
「今日こそベイルブルグの斥候へ出ろと同僚がうるさくてな、隠れている」
襟首をつかんで引きずり出した。暴力反対とロルフがわめいたが、力はゆるめない。
「今すぐカミラとジークに引き渡す。すみません、わたしの部下が話の邪魔をして」
「はーー? 大した話しとらんだろうが、権力者どもが雁首そろえて時間の無駄じゃ!」
「……アンサス戦争の英雄か。神出鬼没なのは本当らしいな」
両肩から力を抜いて、エリンツィアがナイフをしまって苦笑いを浮かべる。ジルはもう一度頭をさげた。
「申し訳ありません、本当に」
「いや、祖父から色々聞いているよ。アンサス戦争でノイトラール竜騎士団を使ってくれていたら、サーヴェル家に勝ってみせたのにと」
「だぁれがサーヴェル家なんぞと戦うか、使うなら別のところに使うわ!」
「では、あなたなら現況をどう動かす?」
すかさず質問を投げかけたのは、リステアードだ。
「それとも女神の結界ともなれば、かの英雄でも手が出せないものだろうか。ぜひ、ご意見をうかがいたい」
ロルフが鼻で笑った。
「ちゃっかりしとるところは及第点。じゃが厭味の切れ味はアーベルのほうが上じゃな。あいつは、厭味がすぎて敵ばっか作っておったが」
リステアードがまばたいたあと、神妙な表情になる。
「……義父上と、懇意でらっしゃったのか」
「なーにが懇意じゃ、冗談じゃない! いいか、忠告しておいてやるベイル侯爵。――お前は決して、アーベルのようになるなよ」
そう言って扉から堂々と出ていこうとするロルフの襟首を、ジルはもう一度つかむ。
「逃げられると思ったか?」
ロルフが舌打ちした。
「いい感じの退場だったじゃろうが」
「ちょうどいい、お前の意見も聞きたかったんだ。今後の動きについて」
「敵が動けん今のうちにさっさと帝都に戻ってジェラルド王太子の封印から少しでも情報を引き出してこい、はい解散!」
「勝手に解散するな、説明をしろお前はいつも!」
怒鳴ろうとしたジルの耳に、くすりと小さな笑いが届いた。ロルフも動きを止める。
「説明されなくてもわかるよ。クレイトスとの交渉に情報を取ってこいってことだよね。あの王太子が簡単にやられるわけがない。誰がやったのか、どういう状況なのか。封印をどうするにせよ、あの王子はいい交渉材料になる」
ひとりでくすくす笑っていたと思ったら、不意にハディスの瞳が昏く澱んだ。
「でも、クレイトスと交渉することなんて何もない。女神の結界がどうした。そんなもの全部僕が壊してやる。僕は竜帝なんだ。早く、ベイルブルグを、ラーヴェを助けないと」
「ベイルブルグなんぞいつでも取り戻せるじゃろ」
ハディスが口を閉ざし、不思議そうな顔をした。
全員から見つめられたロルフは、渋々、皆が囲むテーブルのあいている席についた。
「少なくともベイルブルグは、今は攻めてこん。補給が断たれとるからな」
「陛下が沈めた船か? でもあっちには携帯用の転移がある、それを使えば――」
「使えないから、沈められるとわかってても補給船を呼んだんじゃろ。転移するには魔力がたらんとみた――女神が、竜神をどうにかするのに精一杯で」
ふっとハディスの目に、光が宿った。
「あの子狸はベイルブルグ占拠後の作戦も当然、用意しとったはずじゃ。じゃが、竜神がああなって、作戦が頓挫した。女神の魔力も当てにできなくなったんじゃろな。今はさっさと方針を変えて、別の仕込みを始めとるじゃろ。だからベイルブルグは後回しでいい」
「だが、残された兵や民はどうなる。補給が断たれた状態では何が起こるかわからない」
まず考えられるのはクレイトス兵による略奪と虐殺だ。リステアードが膝の上にある両手を握るのが見えた。リステアードの婚約者スフィアは、ベイルブルグに残されている。
「捕虜の交換や支給物資も申し入れろ。決して見捨ててはいないと、民に示すんじゃ。最終的にはクレイトスの善意に期待するしかないがな。それよりも、こっちはあっちがベイルブルグを盾にする前にできる限り早く交渉材料をそろえにゃならん。ジェラルド王子の身柄は、その交渉に使える可能性がある。じゃが、何かしら情報がないとうかつに使えん。――いいか、これは竜神が作った猶予じゃ」
「……ラーヴェが」
ぽつんとつぶやいたハディスに、ロルフが大きく頷く。
「ベイルブルグ奪還作戦なんぞ、儂がいくらでも考えてやる。その中で、最も犠牲を出さずにすむ方法を選ぶのはお前の仕事だろう。違うか、竜帝。お前は竜神から何を教わった?」
何かを呑みこむように、ハディスはゆっくりまばたきしてから、かすかに微笑んだ。
「それもそうか。わかったよ、じゃあまず、いったんラーエルムに戻ろう、ジル」
「……えっあ、はい!」
「連絡係にはローを置いていく。それでいいよね、兄上、姉上」
エリンツィアもリステアードも突然聞き分けがよくなったハディスに驚きつつも、ほっとした顔で細かい打ち合わせを始める。ベイルブルグの指揮はリステアードがとる、エリンツィアはリステアードが現場に出られるようになるまでその補佐と、ノイトラール公と交替で国境防衛につく。きょうだいの話し合いに、ジルが口を出す必要はなさそうだ。
見守るついでに、そろそろと部屋から出ていこうとするロルフの背後に立った。
「まだいっていいとは言ってない」
ロルフが舌打ちする。
「もう十分説明しただろうが」
「お前の十分は不十分だと覚えておけ。――助かった、さすが年の功だな」
ハディスをひそかに目配せしながら言うと、ロルフはしかめっ面になる。
「子狸の思惑どおりにいくのが気に入らんだけじゃ」
「お前はどうするんだ、帝都についてくるのか?」
「誰が行くか。そうだ、竜妃の騎士は全員置いていけよ。オモシロ殺戮部隊もな。あれは使えるぞお」
ひひひひ、と笑う顔が完全に悪人だ。
「何に使う気だ……」
「お前の騎竜はつれていっていいから、帝都に戻るのは竜にしろ。極力、転移は使うな。魔力温存じゃ。護衛も用意しといたからな」
決定事項として話すロルフに、ジルは呆れる。
(全然説明する気もないのに、自分の作戦にちゃんとみんなをのせるんだからな……)
嘘ではない説明をするロレンスとどっちがましなのか判断がつかない。
「護衛は、フィンたちか?」
「この人手が必要なときにあんな出来のいい竜騎士を手放してたまるか! 竜帝の護衛はお前ひとりでも十分――そもそも竜帝に護衛なんぞいるか?」
そこは用意してほしい、皇帝である。だが、ジルにも思うところはあった。
「いっそわたしひとりでもいいかもしれないな。カミラやジークなら慣れてるんだが、陛下は人見知りだから」
「ただの人嫌いじゃろ。ま、その辺の心配はいらん人選だ。話がないならもう行くぞ」
なんだかんだ、ロルフは話を聞いてくれる。
ふうっと、ジルは深呼吸した。一呼吸、必要だった。
「待て。帝都に戻る前に話があるんだ。カミラも、ジークも一緒に」
「ああん?」
怪訝な顔をされて、ジルは意を決してロルフに向き直る。
「夢の話だ。夢でも、お前たちには共有しておこうと――忠告も受けたしな。お前ならきっと考えてくれたって」
「いらん」
「は?」
「あれじゃろ。子狸が言っていた、かつてがどうこう。竜神が夢にしたんじゃろ。おかげでもうよく覚えておらんが」
見あげたジルを、ロルフは嫌そうに見返す。
「うかつにそんな話を持ち出すな。子狸の術中にはまるぞ。正否はともかく、竜神が夢にしなければ、竜帝と竜神はヒトから拒絶されたじゃろ。竜神は戦争を止めるために、ラーヴェ帝国を女神に譲ったかもしれん」
「……そこまで狙ってたのか。陛下の味方を減らすだけじゃなくて、みんなを裏切らせて」
最後はすべて滅ぼすまで戦うか、それとも引くか。かつてのハディスは前者を選んだ。でもラーヴェがそばにいたなら、後者を選んだかもしれない。
「お前の話は、今、ベイルブルグや竜神を取り戻すのに必要ない情報じゃ。――せっかくの竜神の行動を無駄にするな」
そうだ。ラーヴェが助かるなら、あれはただの夢でいいのだ。
かつて、何があったか。ハディスがどうなったか。説明すれば、ハディスへ向ける皆の目が変わってしまうかもしれない。しかし、かつてが今に無関係ではないとわかった以上、ラーヴェに記憶を託されたのかもしれない自分が説明すべきだと、ひとりで思い込んでいた。
ハディスには散々、ひとりではないと口酸っぱく繰り返しておいて。
力が抜けたせいか、自嘲めいた笑みが口元に浮かぶ。
「お前なら絶対にしつこく聞いてくると思ったんだがな」
「興味がないと言えば嘘になるがな。ただ、子狸の思惑どおりにいくほうが嫌じゃ!」
目覚ましによさそうな甲高い鶏の鳴き声が、ロルフの叫びを遮った。
バルコニーの出入り口を蹴り飛ばして飛びこんできた鶏に、ロルフが舌打ちする。
「見つかったか! おのれ索敵能力をあげよって!」
「コッケェェェェェ!」
「いたの!? そこのいるのねソテー!」
「おいじじい、リステアード殿下の部屋に逃げるのは卑怯だろさすがに!」
バルコニーの下から部下たちの声が響いたと思ったら、ロルフが脱兎のごとく逃げ出す。ソテーが飛び上がり、壁を蹴って弾丸のようにその後ろ姿を追跡する。
「ヒトとして鶏なんぞに捕まってたまるかあぁぁぁ!」
遠ざかっていく叫びは、一理あるかもしれない。
バルコニーへ向かったエリンツィアが、もう逃げたぞと親切に声をかけていた。




