もう二度と、今度こそ(ジーク)
自分が従うとしたら、強い者だと決めていた。
でもたまに、貴女がとてもきれいな女性に見える。
「手合わせですか? いいですよ、じゃあ訓練場にいきましょうか」
誘いをかけたジークに、十歳だという少女はにこやかに笑った。
「怪我をしないよう、訓練用の剣でいいですよね」
「魔力での攻撃とかもなしだ。俺が使えないからな」
「わかりました」
ベイル侯爵の私軍が使っていた訓練場に、かんと木剣が打ち合う音が鳴り響く。
最初はただの型の確認のように軽く、しかしやがて深く、呼吸と合わせて動きが速くなっていく。
(くそ、すばしっこい)
予備動作もほとんど見てとれない。
一撃一撃、力はそんなにないはずなのに、勢いをのせて重心が崩れやすいところを的確についてくる。
そもそもジークが振るう剣は大剣と呼ばれる大ぶりな武器だ。小柄なジルを捕らえるには分が悪い。
また視界から消えた、と思ったら懐に入られた。
かんっとひときわ高い音がして、ジークの持っていた剣が上空に弾き飛ばされた。
くるくると回ったそれが、音を立てて石畳の地面に転がるのを見届けてから、どっかりジークは腰を落とす。
「――負けだ」
「潔いですね」
「負けは負けだ」
座りこんだジークと、笑っている勝者の目線の高さはほとんど同じである。
異常だ、と思った。
あの皇帝が自分を負かすならわかる。にこにこお菓子を作ってジルがどうしたこうしたと日々大騒ぎしているが、相当鍛えているはずだ。ジルといるときはある程度空気は緩んでいるが、緩めているだけで、生クリームを泡立てているときでさえ隙を見せることがない。竜帝、と名乗るだけのことはある。
だがこの少女は――ジルは、魔力を持っているだけで、それ以外はただの十歳の少女であるはずだ。
ジークにとって魔力を使う人間といわれて連想するのは、魔術師だ。深いフードをかぶり、戦場の背後で兵士をサポートする、あるいは大砲などの威力を持つような存在だ。一対一で戦うものではない。
なのにこの少女は、歴戦の傭兵のような、鍛え抜かれた軍人のような戦い方をする。
「どうしてお前はそんなに強い」
「身体能力のことを言っているなら、魔力による補助があると思います。たとえば、普段何も意識せずにいると、これくらいしか飛べません」
そう答えて、ジルはぴょんと軽く飛んだ。普通の女の子がはねるような高さだ。
「でも、わたしはあなたとカミラをつかんで屋根の上まで飛んだでしょう? あれは魔力を使ってます」
「だがさっきの戦いで、魔力は使っていないだろう」
「無意識で使ってないとは言い切れないですよ。こればっかりはどうしようもないところもあって」
苦笑いする少女の余裕に、なんとなくむっとした。
「わかった。なら今度は魔力も使ってこい」
「ええ? あの、それだと勝負にならないと」
「それでもだ! ――クレイトスの王太子は魔力を使いませんなんて、そんなふうに言わんだろう」
石畳の隙間をじっと見ているのは、目を合わせられなかったからだ。
だがその目を合わせられない意味を、自分は知らない。
ただ、血の気が全部引くような恐怖と胸をかきむしるような怒りを思い出す。もし、あのとき竜帝がこなかったら、ジルは連れ去られただろう。ジークもカミラも、ゴミのように吹き飛ばされていただけだった。
相手は王太子だというが、まだ少年だった。あとから聞いて十五歳だと知った。
負けは負けだ。潔く認める。だが屈辱が消えるわけではない。
空で女神の槍と戦う戦女神のような姿を見ているだけで終わった。そのあと墜落してくるジルも助けられなかった。
(それをしかたがないとか、気にするなとか、言わないでくれ。俺はもう二度と)
二度と――なんだろう?
「――わかりました」
別のことに意識をとられかけていたジークは、はっとして顔をあげる。
目の前に、凶悪さをたたえた隊長の笑顔があった。
「魔力の開花訓練はのちのち、と思ってましたが。魔力に慣れておくのが第一ですし」
「あ、ああ……」
「大丈夫です、死なない程度で調整します」
ばりっと、ジークにも見える魔力をジルがその手から奔らせる。
あ、死んだ、と思ったので、自分が何を考えていたのかも忘れた。
■
「……今日はジークの丸焼きにするのか?」
「陛下!」
ジルがぱっと顔をあげると同時に、魔力で丸焼きにされかけていたジークはうつ伏せにぶっ倒れる。
今の感じを忘れないように、という有り難い一言を最後に、ぱたぱたとジルが走り去る音が聞こえた。逆にこちらへやってくる足音がひとつ。
「ちょっとお、何やってんのよジーク、あんた」
「うるさいな、訓練、だ……!」
「訓練って、魔力で調理されることを言うわけ?」
うるさいオカマだ。
どうにか腕に力をこめて、今度は仰向けになる。そして首を動かすと、何やら竜帝に話しかけている少女の横顔が見えた。
その光景だけ見れば、とても微笑ましい。仲のいい少女と青年、という感じだ。実際は夫婦らしいが。
それをしゃがみこんだカミラの体が遮る。
「あんたまた変な悪癖が顔を出したんじゃないでしょうね」
「なんだよ、悪癖って」
「なんか変なところ白黒つけたがるところよ。馬鹿なんだからいつだって大雑把でいなさいよ」
まったくだとカミラに同意するのも癪なので、勢いをつけて上半身を起こす。
ジルはハディスに抱きあげられていた。あの隊長はああして竜帝といるときだけはちょっとしっかりしているだけの、普通の女の子に見える。
「……笑うなよ」
「笑うわよ」
「会話しろ、会話を。……こないだ、隊長が十六、七くらいの女に見えたんだ。あんなガキじゃなくて」
「女神の槍なんてものと空を飛んで戦ってたからでしょ」
そのときにと言っていないのに持ち出してきたということは、カミラにも見えたのかもしれない。
「錯覚か」
「そうよお。大体、錯覚じゃなかったらどうするの?」
「どうって」
彼女が二十歳手前くらいの、いわゆる今より大人の女性だったら?
おもわず考えこんでしまったジークに、ふと竜帝が目を向けた。
にこにこいつも子どもっぽく笑って、でも底の知れない、金色の両眼。
「……同じだろ、隊長だ」
「そうよね、そのほうがいいわよ」
自ら降参したとばかりに大の字になって転がる。
二度とじゃない。今度こそ、守ってみせる。
それだけでいいじゃないかと、青い空に誓う。竜のいない国の空にも続いているはずの空に、等しく。




