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軍港の上空に浮かぶラーヴェを見て、ほっとジルは息を吐き出した。軍港の施設に突っ込んで沈んだままのクレイトスは動かない。まだ油断はできないが、勝敗は決しただろう。
ジルと一緒に固唾を呑んで見ていたレアも、ほうっと息を吐き出す。
『さすが、ラーヴェ様だ』
「やっぱり強いですねえ」
ぎょっとして振り返ると、ロレンスがいた。岬が壊れたときに巻きこまれたのだろう。埃を払いながら、同じ光景を見ている。
「歴史書にある竜帝の伝説、盛りすぎじゃないかと疑ってたんですけど、逆に控えめだった気がしますね。今でこれなら、地上降臨時は……想像もつかないな」
「引け、ロレンス。勝負はついた」
「でも、竜神は間違えれば神格を墜として、力を失うんですよね」
はぐらかされた答えと笑みに、ぞっと背筋が粟立つ。まだ何かあるのだ。
「ジル」
呼ばれた名前の響きは、かつてとよく似ていた。
「君は、ロルフ・デ・レールザッツに話した? かつてなんて、夢物語を」
「……お前、まさか記憶があるのか!?」
「きっと彼に話していたら、考えてくれたんじゃないかな。どうして君だけ記憶があるのか」
ロレンス自身は記憶がないのだ。ということは、フェイリスがかつてを語って聞かせたのか。
俺の予想はこうだよ、とロレンスは風に吹かれながら話を続ける。
「女神いわく、時間を戻したのに竜神は元の姿と違う。つまり、女神の巻き戻しに竜神も何かしら加担してる。そして君の記憶は、竜神の姿と同じく女神にも予想外の出来事だった。ということは、君の記憶は竜神が残したものなんじゃないかな」
「……ラーヴェ様は、そんなこと、ひとことも……」
「竜神は自分が神格を墜とした原因を覚えてられないそうじゃないか。厄介だよね。君がどうして何のために記憶を残したのか、誰にもわからないなんて」
「それでお前は、何を仕掛けた」
上空から声がした、と思ったらおりてきたのはロルフだった。次にカミラとジークが、竜の鞍を蹴って、おりてくる。その表情は困惑していた。いきなりこんな話を聞かされて、飲み込める人間などそういない。だが、飲み込んだロレンスが笑う。
「そんな馬鹿な話があるか、って言わないんです?」
「正否はどうでもいい。問題はお前がその話を信じていて、このまま女神を負けさせるわけがないっちゅうことじゃ。何より竜帝と女神の戦いが単純な魔力の有無で勝敗がつかんことくらい、馬鹿でもわかる。お前はどうやって、竜神を、竜帝を負けさせるつもりじゃ」
「――やだなあ、あなたたち相手だと余計なことまでしゃべってしまう。情報量という勝ちを譲るべきではないんですけど。でもまあ、それもここまでですから。ちなみにあなたはどう思います?」
「竜神に理を違えさせるのがまあ、常套手段じゃが」
「陛下は、ラーヴェ様は間違えたりしない! わたしが間違えさせない!」
竜帝はいつも竜妃のことで、何か間違える。そう言っていた。会話に割って入って否定したジルに、ロレンスが笑った。
「俺だってかつてなんて物語を信じたわけじゃない。だから、ためしてみようと思ったんです。竜神はまがった理を糺す。つまり、竜神はまがっていない理は糺せない。正しいことをまげるのは、間違いだからです。時間を巻き戻すこともそう。では問題です」
挑む者の瞳で、ロレンスが首をかしげた。
「竜神ラーヴェが神格と引き換えにしたこの世界は、果たして正しいのでしょうか?」
ジルは振り返った。天剣を握ったまま、ラーヴェが地上へおりようとしている。
「彼が神格を墜としてまげたこの世界を、彼は糺せるんでしょうか」
嫌な予感がした。
「もし今ここを、まげる前の、もとの正しい世界に戻したら、理は――」
ロレンスの言葉を振り切って、ジルは地面を蹴る。
ラーヴェが、地上に降りる。竜帝、竜神、万歳。勝利の歓声が出迎える。
だが、そこは女神の領域だ。
無言で、女神が起き上がる。笑う。黒い槍が振り下ろされる。
ベイルブルグの大地が光り輝いた。




