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後方から、見たことのない魔法陣が後光のように輝く。なんだ、とジルが眉をひそめたそのときだった。
甲板に叩き落とした兵士たちが、突然、起きあがった。
「んん!?」
「今だ、竜はすべて撃ち落とせ!」
横から膨大な魔力量の対空魔術が、竜をなぎ払っていった。先ほどまでとは比べものにならない威力だ。だが、放ったのは南国王の船からではない。サーヴェル家の船ですらない。
そのうえ対空魔術が、いきなり四方八方に展開した。だいぶ竜に焼き払われたはずなのに。
「なんだ、いきなり! あの魔法陣のせいか!?」
「また面倒な魔術を引っ張り出しおって……! 魔力強化は人体ぶっ壊しかねんぞ!」
ずるいぞお、とフリーデンに乗ったロルフの叫びが戦場に響き渡る。
「儂も使いたい 女神ずるい! おのれ魔術大国うぅぅ!!」
そう言っている間に、背後の船が吹き飛ばされて沈む。上空は竜を追跡して光線が飛び交う嵐になっていた。手練れの竜騎士たちがさけきれずに落ちていく。押され気味になり、背後のベイルブルグが目視できる距離になってきていた。
攻撃をかいくぐるマイネの背に乗りながら、ジルは叫ぶ。
「ロルフ、対処を考えろ! 対象の識別方法とかあるだろう!」
「そんなもんやってられるか、ぶっ壊すしかない、あの魔術を!」
わかりやすい。笑ったジルを乗せて、マイネが対空魔術も畏れず突っ込んでいく。だがその前に、ルーファスが飛び上がってきた。
「そうはさせない、竜妃ちゃん」
「マイネ、離れろ!」
マイネの鞍を蹴って、空中でルーファスの一撃を受け止めた。いつもより重い。おそらくルーファスもあの魔術の影響を多少なりとも受けている。
「君を沈めるのが僕の役目だ」
「ジル嬢!」
槍を投擲したのはリステアードだ。ジルと距離を取ったルーファスが笑う。
「義父を犠牲にしたさっきの今で出てくるか。なかなかの根性だ、嫌いじゃないよ」
「リステアード殿下、うしろ!」
音もなく飛んだ影が、リステアードを蹴り落とした。久しぶりに見た実兄の姿にジルは舌打ちする。兄はジルを見て顔をしかめる。躊躇いかと思ったら、溜め息をつかれた。
「まだ出てこないのか、あのゴリラ」
「そりゃ嫌われてますからね、兄上は」
瞠目した兄の珍しい隙を見逃さず、マイネが炎を吐き出した。もろに火炎を浴びて、兄が落ちていく。そのままマイネはジルをすくいあげた。
「リステアード殿下、クリス兄様には精神攻撃が有効です!」
「お兄さんにあまりに無慈悲じゃないかい、竜妃ちゃん」
気づいたら、マイネの眼前にルーファスがきていた。その手に輝く天剣によく似た剣を見て、ジルは息を呑む。自分はいい。だが、ルーファスが剣を振り下ろす前に、弾き飛ばされた。
ジルの背後から天を割るような一撃が飛んできて、周囲を一掃する。振り向かなくても誰だかわかった。
「陛下! 駄目です、さがってくださ――」
ちょいちょい、と甲板のハディスに手招きされて、まばたいたもののジルはマイネから飛び降りた。
「僕が出るよ、ジル」
「え」
「このままじゃ犠牲が出るばっかりだ。ベイルブルグだって近い」
「だ、駄目ですよ! 女神の狙いは陛下を消耗させることなんですから」
「大丈夫だよ、嬢ちゃん」
ジルの目に前に、ラーヴェが飛んできた。
「俺が戦うから」
咄嗟にジルの脳裏に浮かんだのは、ライカ大公国での出来事だ。
「まっ、また反則技ですか!?」
「違う違う、理を糺すわけじゃねーから今のまんまで十分だよ」
「でっでも、どうやって今のままラーヴェ様が戦うんですか」
「忘れたか? もともとハディスは俺の器だよ」
反射的にジルはハディスを見あげた。ローを肩に乗せて、ハディスが笑う。
「そんな顔しないで、ジル。ラーヴェにちょっと身体を貸すだけだ。ローもね」
「そ、そんなことして大丈夫なんですか、陛下は」
「大丈夫だよ。理にも抵触しない。こいつは人間だから、俺がやらせたくなかっただけだ。でも、女神は俺が出てくるまで続けるだろ、こんなこと。――ほら」
ハディスの一撃で距離こそあいたものの、クレイトスの軍艦が、兵が、戦線を立て直し始めている。
「人間の争いに俺が出るのは違う。でも女神が出てくるなら、俺が出るしかないだろ」
「おい、何の話をしてる竜妃! またくるぞ」
甲板に降りてきたロルフに、ジルは拳を握る。
「陛下が出るって――ラーヴェ様と」
「竜神と? なんじゃそれは、何か違うんか」
「本物の竜帝を見せてやるって伝えてやれよ。滅多に見られるもんじゃないぞ」
「ほ、本物の竜帝になって、戦うって。――ロルフ、策はないか、何か」
「結局ラーヴェと女神が決着をつけないと終わらないよ。最悪、上陸戦も覚悟するよう、後方に伝えて」
答えたのはよりによってハディスだった。ロルフが苦々しくつぶやく。
「……確かにあっちもこっちも、取れる策はどれだけ早く他を削るかじゃからの」
「でも――でも、いいんですか。ロー、お前だって」
「うきゅ!」
すがるように見たのに、元気いっぱいの答えが返ってきた。ハディスが首をかしげて笑う。
「僕のお嫁さんは心配症だなあ」
前みたいになったらどうしよう。そうして戻らなくなったら――あのハディスは消えたわけではないのだ。難しいことはわからないけれど、それだけはわかっている。
「女神にたどり着くまでの道案内は、君にお願いするし。後方は、みんなにまかせるし」
どうしたの、とカミラもジークもおりてきた。リステアードも。ジルはみんなを見る。
「へ、陛下が、女神と戦いに行くって」
「いってらっしゃいって、送り出してよジル」
しゃがんだハディスに、両手を取られた。もう行くと決めているのだとわかって、声が出なくなる。
ラーヴェがジルの肩におりた。
「こいつを守るのは、嬢ちゃんだからさ。頼むよ」
ジルは言葉のかわりに、ハディスに飛びついた。
「負けたら承知しない」
ハディスの首に、力一杯、抱きついた。
「いってらっしゃい、陛下――ぶっ飛ばしてこい!」
「全軍に伝えろ、竜帝出陣! 総員、女神までの道を作れ! 女神の船の位置は!? さっきの魔法陣の方角じゃ!」
ロルフが叫び、カミラたちが伝言に走る。
その間に一度だけ、ハディスが強く抱き返してくれた。それが答えだった。




