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唇を引き締め、せき立てられるように船内の廊下を歩くリステアードを、ルーファスが冷たく見返した。
「さて、嘘つきの皇兄殿下。それとも嘘つきはあっちかな? 確かめさせてもらおうか」
ルーファスはアーベルとリステアードの反応を見ながら、情報を判断する気なのだろう。
もし、アーベルに何か策があるなら自分はいないほうがいい。
だが、もしアーベルが裏切ったなら――いや、とリステアードは首を振る。そんなはずはない。信じなくてどうする。でもスフィアを海に突き落として――想像だけで血の気が引く思いがした。
(大丈夫だ、海竜がいたなら……彼女は、竜に好かれているから、助かる)
呼吸が浅くならないよう、ゆっくり息を整える。もし、スフィアを人質にし海に突き落としていなければ、ルーファスはアーベルの亡命を門前払いした可能性が高い。
(……僕は、未熟者だ。自分で思うよりもまだ、ずっと)
甲板に引きずり出されたリステアードの目を、数日ぶりの太陽が焼いた。まぶしさに一瞬身をすくめて、ゆっくりと目を開き直す。
――最後に牢で会ったときより、ほんの少し身なりの整ったアーベルがいた。
ちょうど甲板に上がったところのようだ。上着を着て、堂々と背筋を伸ばし立っている。何も恥じることはない、と言わんばかりだ。目をひくのは、脇に持っている紙袋だった。魔力の気配はないが、ルーファスもそれを一瞥する。
「お久しぶりです、ルーファス先王陛下。直接お会いするのは旧王都アンサス以来ですな」
「ぬけぬけと言うねえ。亡命をお望みと聞いたけれど、話を聞かせてもらおうか」
「ええ、その前に。そこの人質と少しお話をさせていただいても?」
眉をひそめたルーファスに、アーベルは紙袋と一緒に両手を挙げてみせた。当然、紙袋も一緒に持ち上がる。
「ルーファス殿下になら魔力の気配はないとおわかりでしょう」
「そうだね。でも、その持っているものは?」
「つまらない土産ですよ。ただ、私の説明がないと解読は困難でしょうね」
ルーファスは小さく息をついた。
「取引というわけか。ま、いいだろう」
出ろ、と兵に背中を押し出されて、リステアードは転がるように前に出る。両膝を甲板についたリステアードに、アーベルが鉄の指輪をはずしながら向かってきた。
「よくも散々、私を虚仮にしてくれたな」
「……義父上。あなたは何を考えて……スフィア嬢は、どう」
胸倉を捕まれたと思ったら、そのまま腹に一撃叩き込まれた。そのまま、裏手で張り倒される。倒れこんだところ頭を持ち上げられた。
「娘の心配をしている場合か? 兄の敵も討てず、無様に転がるだけのお前が」
両眼を開いたリステアードの前で、アーベルが小馬鹿にしたように笑う。
「竜帝なんぞに心酔して、このままきょうだいそろって無駄死する気か」
「――兄上は!」
「負け犬がほざくな! 人生は勝ってこそなのだ!」
「そこまでだよ。彼は大事な捕虜だ。必要以上に傷をつけられるとあとでもめてしまう」
ひややかなルーファスの制止に、振り上げられたアーベルの手が止まる。大袈裟に肩をすくめて、立ち上がった。
「これはこれは、お見苦しいところをお見せしました。何分、此奴には散々えらそうに高説をたまわったもので、鬱憤がたまっておりましてな」
甲板に倒れたまま、リステアードは両目で立ち上がったアーベルの背中を見る。
「それで、君のお土産は? 返答次第によっては彼より君のほうが先に死ぬよ。僕もラーヴェの連中も、君の命を惜しまない」
「これは手厳しい。ですが私はお役に立ちますよ、ルーファス先王陛下」
アーベルが抱えていた紙袋を再度、持ち上げる。見せびらかしているのだろう。
その影で、リステアードは身じろぎして、違和感を確かめる。やっぱり、腹のあたりに何かひっかかっていた。殴られたとき、首元から入ってきた冷たい、小さな感触。
「このままラーヴェと戦うのでしたら、今後は魔力に頼らない武器なども必要でしょう。竜は魔力を焼きますからね。海竜がうろうろする海で浮かべる船など、洒落にならない。そのあたりの調達もお手の物です」
「助かるが、絶対ではないね。船底には竜殺しの魔術をかけてある。それで十分だ」
「では、クレイトスで足を引っ張りそうな連中の情報も不要ですか? 彼らはジェラルド王太子とフェイリス女王、どちらにつくかわからない。アンサス戦争後、私は彼らと縁を結ぶことで生き残りました。ですが彼らを突き崩すには、内部からいくしかありません」
ゆっくりゆっくり、違和感を移動させて、ボタンの隙間から転がり出した。
(――指輪?)
何の変哲もない、鉄でできたものだ。さっき殴るときに怪我をしてはいけないとばかりにはずした――魔力の気配もない、ただの鉄の指輪。どうしてこんなものを。
「彼らは仲間である目印を持っていないと、決して口を割らず協力もしない。もしジェラルド王子を彼らが保護していたら、その情報を得るには私を使うのが一番の近道ですよ」
リステアードはゆっくり、鉄の指輪を握り締めた。熱を帯びた指輪がじんわり熱を帯びる。
「……確かに君の有用性は高いようだ。でも、それだけだとしたら拍子抜けだな」
「わかっております。では、ご覧下さい」
アーベルがゆっくり紙袋をあける。義父上、とリステアードは唇だけ動かした。
やめろと言えないのも、黙っていられないのも、卑怯だと思いながら。
■
ずぶ濡れのスフィアを乗せて、監視につけた竜が戻ってきた。甲板に降ろされたスフィアはくずおれたが、意識はしっかりしているようだ。手首をしばる縄を切ってやると、自分で猿轡になっている白い布を取った。
「スフィア様すみません、すぐに助けられなくて。ベイルブルグに戻る船を用意してますので、戻って休んでください」
「……父が……すみません、最後まで」
悔しげに涙を浮かべるスフィアの前に、ロルフが立った。
「いちばん、費用対効果のいい武器はわかるか?」
スフィアがまばたく。ジルはなんとなくわかる気がして、うしろを走るいちばん大きな船を見た。上空を黒竜が守る、ハディスが乗っている船だ。
このまま、船はクレイトス軍を目指して進む。ロルフは爆発が合図だと言っていた。
「人間爆弾じゃよ。爆弾をくくりつけて、敵の懐に突っこむんじゃ」
安くて、時間も手間もあまりかからなくて、効果が高い。
ただし、敵の懐へ飛びこんだ人間は当然、死ぬ。
瞳を震わせ、笑い損ねたような顔で、スフィアが尋ねる。
「……どうして、そんなお話を、今?」
答えるように、遠くで爆発音が上がった。一度目を閉じて、ジルは立ち上がる。
「出撃だ、行くぞ!」
スフィアは待ってくれと言わなかった。涙も流さず、呆然と両手を地面に突いている。
彼女は知っている。父が自分を人質に、何をよこせと要求したかを。
そして今、知ったのだ。それらを父が、何のためにやったのかを。




