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見あげれば、竜の形をした何かが飛んでいる――瘴竜、と名づけられたのだったか。
アルカが開発した、竜神を冒涜するもの。
それらが一斉に、クレイトス兵に向かって攻撃を始めた。
「なんだ、黒竜か!? こんなに!?」
「ア、アルカの竜だ、ひるむな応戦しろ!」
「隊長、背後からも、背後からもきてます!」
「え、え、何何何、あれ味方なの!?」
誰かの声とカミラの叫びが、周囲の混乱を如実に表していた。瘴気を噴き上げた竜が、クレイトスの兵に、魔獣に襲い掛かる。悲鳴と怒号。げらげらと上空で笑い声まで聞こえる。
「ほうら、頑張れよ! 竜がいないお前らは、こいつらとは魔力の消耗戦をやるしかないからのお!」
カミラに目配せされて、ジルは肩から力を抜く。呆然としたロレンスが、無防備に前に出た。
「どうして、あれが」
「なんじゃあ、自分が思いつくことを他人は思いつかんとでも?」
竜よりもはるかに小さな影が、ひとつ、空から降りた。
積み重なった瓦礫の上で、マントが翻る。
「さっさと撤退しろ、子狸」
あぐらをかいた人物に、ロレンスがぎこちなく、視線を持ち上げた。
「儂と同じことしたくても、どうせ誰にもアルカの魔術は教えとらんのじゃろ。ならお前自身でやるしかないが、もうお前の魔力はからじゃ。結局は魔術は質より量。残酷じゃなあ」
瘴竜は決してジルたちを襲おうとしない。周囲ではまだ悲鳴があがっている。
「気にするな。どんなに策を講じても、こういうことはあるんじゃよ。儂が間に合ったのも、運がよかったからじゃ。ま、これも日頃の行いのよさじゃな」
ロレンスの前に、瘴竜が舞い降りた。微動だにしないロレンスに慌てて、フェイリスがその竜を一閃する。ロルフが頬杖を突いて、軽く笑った。
「さてどうする。このまま、女神の器に戦わせるか? こっちは炎を吐けば終わるものに女神の魔力を消耗させるのはワリに合わんじゃろ。儂は竜帝と竜妃を逃がすのに徹するぞ」
「……お前、まさか、ロルフ・デ・レールザッツか!?」
瘴竜を拳で吹き飛ばしたビリーが、フェイリスのそばに駆け寄って叫んだ。げ、とロルフが渋面になる。
「お前、ビリー・サーヴェルか。……年をとったな」
「やかましい! お前こそ」
「……ロルフ・デ・レールザッツは、まだ四十代のはずですよね」
嘘、と叫んだカミラとジークがロレンスに振り向き、口をつぐんだ。ジルも同じものを見て頬を引きつらせる。
どこを見ているか定まらない視線、だがこういうときのロレンスはおそろしい速さで思考しているのだ。何を考えているかわからない怖さがある。
「あなたはずいぶん、お年を召していらっしゃるように見えますが。本当にご本人ですか?」
「――ロレンスさん! 王都が襲撃されたって連絡が!」
瘴竜を蹴散らしながら飛んできたアンディの報告にビリーが顔色を変える。
「なんだ、どういうことだ! なぜいきなり王都……まさかまたお前か、ロルフ!?」
突然、ロレンスが笑い出した。
ぎょっとしている周囲など見えないかのように腹を抱えて笑って、笑顔になる。
「なるほど、確かにご本人ですね。――誰かいるとは思ってたんですよ、裏に。もっと早く気づくべきでした。レールザッツで、俺が竜妃の騎士と間違って襲われたときにね。竜妃の騎士はあのときから三人いたわけだ」
ロレンスの目が、ゆっくりロルフに焦点を定める。ロルフは顎を上げて鼻を鳴らした。
「儂は竜妃の騎士とか言われても、迷惑だがな。担ぎあげられるのも好かん」
「ロ、ロレンス殿。それより王都が」
「大丈夫、王都に残っている兵力で防衛できます。瘴竜でしょう?」
怖いほど穏やかに、ロレンスが答えた。
「アルカの追跡部隊に紛れて王都に転移して、またこちらへの報告に紛れて戻ってくる。それだけ迅速に動けるのは、彼がひとりだったからです。それに彼だって大量の魔力があるわけではない。バシレイアは落ちませんよ。目的は王都陥落ではない、ゆさぶりです」
「で、どうする。こんなところでのんびりしとっていいのか? ラーヴェ帝国を攻めとる場合かと、非難殺到するぞお。人気のあったジェラルド王太子を廃した女王への不信だってくすぶっとるじゃろ。今後貴族どもは資金と兵を出してくれるかのう」
「まあ、そうなりますよね。王都への竜の襲撃、嫌でも王都アンサスを思い出しますから。ついでにラーヴェ側が瘴竜が御せるようになってしまったとでも噂、流しました?」
「いやいや、あくまで襲ったのはアルカじゃよ。ラーヴェはアルカの冒涜的な竜を焼き払う力があるだけじゃ。よければ貸してやろうか。ベイルブルグから兵を引き上げてくれれば考えんでもないぞお。困った女神を我らが竜神が助けて差し上げよう」
ハディスは嫌そうに顔をしかめているが、これは意趣返しでもある。ロレンスは苦笑いを浮かべた。
「しかし瘴竜でバシレイアを襲えるとは思いませんでした」
「アンサス戦争でなんだかんだ撃ち落とされたからのう。あの辺、意外とあるんじゃよ」
突然ぴんときて、ジルは手を打つ。
「あの竜、ひょっとして竜の遺骸でできてるのか!」
「そうじゃ。アルカはクレイトスからきた魔力でできた竜をヒントに、魔力で竜を作るっちゅう発想を得た。竜の遺骸を媒介にすることで、あの魔術の魔力量を削減した。そしてその媒介は、この周囲になればそりゃあもう、千年分はあるじゃろうなあ」
それらがすべて、クレイトスに襲い掛かる。ビリーが表情を消し、フェイリスが周囲を見回しながら、黒槍を䌂り締めた。
「撤退じゃろ?」
「ええ。すみません、フェイリス様。相手の戦力を読み違いました」
フェイリスがまばたいたあと、首を横に振る。逃げる気だ。ジルは地面を蹴ろうとした。
「なあ、もう降参せんか」
だがロルフの柔らかい口調に、驚いて止まってしまった。
「今なら南国王の暴走でも勘違いでも言い訳して引ける。お前のしたいことはわからんが、少なくともできるからってやっていいことじゃないっちゅうのは、わかっとるじゃろ?」
ロレンスがまばたく。そして、少し首をかしげて薄く笑った。
「できるからでやったあなたがそれ、言います?」
今度はロルフがまばたいた。
「アンサス戦争。あれをあなたが起こさなければ、ラーヴェ帝国はクレイトス王国に併合されて、色んなことが変わったはずです。竜神は女神と対立する大義をなくし、竜帝は王女を受け入れたかもしれない。魔力一辺倒の社会構造も、今の戦争の意義もなくなったかもしれない。俺はあなたが潰した可能性を、取り戻そうとしているだけです」
「……なるほど。お前には、今を守る理由がないんじゃな」
「未来を作りたい若人ですから。過去ばかりにしがみつくご老人と違うんです」
ロルフが声を立てて笑う。
「ひとを過去の遺物のように言いおって」
「あなたは俺の憧れのひとですよ。だから、今、撤退するのはあなたへの敬意です。ただ、花をもたせるのは一度だけとご承知おきください」
「言うのお、若造が。しかしあっさり敵を引かせるほど、儂だって甘くないぞお」
立ち上がったロルフの言いたいことがわかって、ジルは身構える。追討戦だ。
ロレンスがフェイリスの肩を叩く。
「散々温存と言っておいて申し訳ないんですが、いけますか。あなたが倒れても、俺がなんとかするので」
「はっ――はい! クレイトス!」
「竜ども、女神の魔力を焼け! ただで逃がすな! 魔力を削れるだけ削れぇ!」
ロルフの号令と一緒に、マイネとフリーデンが炎を吐き出す。それをかばう結界が幾重にも張られたが、金目の赤竜二頭の炎は容赦なく焼き払っていく。だが、女神には届かない。
あれだけいた兵たちも魔獣も、綺麗さっぱりジルの目の前から消える。
あとは花の香りがかすかにする黄金の魔力だけが、きらきらと空に舞っていた。
「助かった……のか?」
「……みたいね。もおおおおじいちゃん、遅いわよぉ!」
カミラが瓦礫の上のロルフに向かって文句を言い出す。ジークは息をついて地面に座りこみ、ソテーは腹に穴のあいたハディスぐまを引きずって戻ってきた。
再度周囲を見回して安全を確認してから、ジルは振り返る。
「陛下、大丈夫で――あっ!」
そしてお約束のように、ハディスが倒れた。




