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海上できらきら輝いているのは日光ではない。魔力と魔法陣だ。それを覆うのは、竜の影。
最速で竜を飛ばしてきたとはいえ、もう戦線が目と鼻の先まで迫っている。そのうえ、昨日は片手で数えられる数だった船が、報告どおり増えていた。
手綱を握り直し、リステアードは指示を飛ばす。
「まず船だ、船を落とせ!」
ラーヴェの軍艦を落とそうとするクレイトスの軍艦の周囲に、竜騎士を散開させる。対空魔術の代わりに出てきたのは、人影だった。頭上から落ちてきた短剣を槍で受け止め、リステアードは瞠目する。知ってる顔だった。相手も覚えていたようで、舌打ちする。
「……またお前かよ、ウザ」
お互い様だ。力まかせに短剣を弾く。空中に押しあげられた相手は、足場もないのに体勢を整え、今度は横から打ち込んできた。
「クリス・サーヴェル……ッ!」
「お前じゃ相手になんないよ、ゴリラ呼べよ」
「悪いが貴殿の自殺願望にはつきあえない! ブリュンヒルデ!」
弾き飛ばしたところに、ブリュンヒルデが炎を吐く。クリスの横を通り過ぎていったそれは、背後のクレイトス軍艦を直撃した。だが結界を焼き切っただけで、船は無傷だ。クリスが鼻で笑う。
「さすがにうちをナメすぎだろ、その戦力は」
『どけ、竜帝の兄!』
上空から声と一緒に、黒い影が滑空してきた。まばたいている間にそれは船の甲板を爪でえぐり、悲鳴と一緒に向かってきた魔力の光線を炎で焼き切り、ついでに隣の船まで燃やして沈めた。
『船とはこう落とすのだ、軟弱者らめが!』
美しい黒の両翼を広げて、竜が吼える。瞬間、周囲の魔法陣が消し飛んだ。
竜の女王、と誰かが叫んだ。
『我らが王の御前である! 女神の僕などすべて焼き殺してみせよ!』
「う、うきゅきゅ、うきゅきゅっきゅぅ……!」
勇ましい女王とは対照的に、その頭の上に姿を見せた仔竜は涙目で、片腕をあげる。まさか、号令なのか。
ブリュンヒルデが吼えた。もう一度炎を吐く。一直線に放たれたそれは結界を貫き、今度は軍艦を直撃した。衝撃でかしいだ船が波を起こし、そのまま渦に変わる。
「な、なんだ? 下に何か」
「――海竜だ!」
何隻か、船が渦にそのまま引きずり込まれ始めた。クリスが嘆息し、飛んできた甲板の破片を足場に、救助へと向かう。
竜が加勢にきてくれたのだ。ハディス、と弟の名前を噛み締め、リステアードは上空にあがった黒い影に叫ぶ。
「竜の女王、救助が終わるまで援護だけ頼む。竜の王を危険にさらしてはならない!」
『お前は相変わらずわかっているな、請け負った!』
「竜の女王と王に続け! 我らには竜神ラーヴェの加護がある!」
奮起の声があちこちから返ってきた。もはや沈むと判断した船が、竜騎士の援護を受けてクレイトスの軍艦に突っ込んでいく。爆発に揺れたクレイトスの船の帆を、ブリュンヒルデの炎で焼く。
相手は竜殺しの一族だ。今は竜だけの援軍に動揺しているようだが、海竜も沈めてしまうだろう。だが、引き分けに持ちこむなら十分だ。とにかく足を止めることだ。迫ってきているとはいえ、ここはまだベイルブルグまで泳いで渡れる距離ではない。
(焦らなければ、このまま押し返せる!)
ブリュンヒルデが、突然高度を下げた。頭上を対空魔術の光線が走っていく。斜め下で、南国王が笑っていた。
「やあ、竜帝の兄君。僕とは遊んでくれないのかな」
「ヒルデ、かまうな!」
迎撃態勢をとろうとしていたブリュンヒルデが不満げに鳴くが、ひたすら攻撃をよける。ルーファスは簡単に倒せる相手ではない。総大将だというのに、堂々と甲板に姿をさらしているのは、自分を狙わせるためだ。竜の女王相手でも戦う自信があるに違いない。
「このまま逃げて終わらせる気かい?」
対空魔術をよけるに徹するリステアードを見あげながら、ルーファスが嘆息した。
「君のお兄さんは勝てない相手に勇敢に立ち向かったっていうのに」
ほんの少し、手綱を握る手がゆるんだ。ブリュンヒルデの速度が落ちる。
視線を投げてしまったリステアードをルーファスが笑った、気がした。
「それとも、あんな死に方はしたくないかな」
挑発だ。わかっている。けれど。
ずっとずっと蓋をし続けてきた光景が、脳裏を埋めつくした。
荒れ放題の兄の部屋。床に転がった剣。飛び散る血。
胸に穴をあけた兄は、見世物のようにシャンデリアに吊されていた。
「君は兄の仇は誰か、わかっていて見ぬ振りをしている。怖いからだ」
遺書なんて書かないよと言っていたのに、残っていた手紙。
フリーダを頼む。ブリュンヒルデを頼む。マイナードを頼む。ヴィッセルを、残された他のきょうだいたちを、ハディスを頼む。お前ならできる。お前なら。
「本当に竜帝を憎んでいないのかい? ふふ、でもしかたがないのか」
お前なら誰も憎まずに、きっと次へつないでいけるから。
過去の因縁にも復讐にも何にも囚われず、正しい道を。
「竜帝のためなら、君のお兄さんも死んだってしかたない。世の中、そういうものだ」
「――あにうえをっ殺したのは!」
ブリュンヒルデの咆哮が、空をゆらした。
まっすぐルーファス目がけて、突っ込んでいく。目の前に出てきた対空魔術も結界も炎が焼き切る。槍を構えた。
『待て、竜帝の兄! そいつに竜を近づけてはならん!』
「うきゅう!」
死ににゆくようなものだ。わかっていた。
「お前らだろう、クレイトス!!」
でも死んだっていい、非生産的だと、兄馬鹿だと罵られてもいい、あんなふうに泣くくらいなら――はっと瞠目する。今、泣くのは誰なのか。
――私をどうか、あなたと同じにしないでくださいね。
突然、こちらに向かってくる剣先を奇跡のように認識した。
とっさに身体をひねる。肩に熱が走った。
「おや、よけたね」
槍が、鮮血と一緒に手から滑り落ちる。ブリュンヒルデが悲鳴をあげて身をよじり、リステアードを振り落として海に墜ちていった。
「でも、生きていても使い道もあるか。できるだけ戦力を保持したままベイルブルグを落とせとの命令なんだ。きたる竜帝のために――僕も色々大変なんだよ」
甲板に転がったリステアードは、貫かれた肩を押さえ、息をしながらゆらぐ視界で男を見あげようとした。けれどよく見えない。太陽を反射したように輝く剣の、白い光が邪魔だ。
「さて、竜の王。ここで手を引いてくれないか。そして竜帝に伝えておくれ」
ルーファスは白銀の剣先をリステアードの喉元に突きつけたまま、動かさない。
かまうな、という声は、かすれて声にならなかった。
(僕にかまうな、ハディス。僕は、お前のためなら死を厭わない)
兄上のように――そうありたかったのに、どうしてあの一瞬、自分は身を引いてしまったのか。
今だって、舌を噛み切りもせずに。
「全軍に通達せよ、リステアード・テオス・ラーヴェを捕らえた! 竜帝の兄君だ!」
ベイルブルグへ降伏勧告が伝達されていく。
きつくリステアードは奥歯を噛み締めた。




