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いきなり冷たい風に吹かれて、ロレンスは身をすくめ目をつぶった。外だ。足元は土。もう一度開いた視界には、立つ木と、白い斜面。まだ雪が残っている。
そして斜め上、遠方だが、塔らしきものが見えた。
「ク、レイトス……っどこですか、ここは。北の砦に転移予定だったでしょう……!」
『ご、ごごごめんなさいフェイリスぅ、ちょっとはずれちゃった……だ、だって竜の王がいるなんて、びっくりしてぇ!』
「竜の王ともなると、女神の魔力も焼けるんですね。失念してました」
女神の声が聞こえることはこの際無視して、ロレンスは周囲を見渡す。周囲にある木には、クレイトス特有の種類があった。ここは間違いなくクレイトス側だ。上着から出した磁石はぐるぐるまわって役に立たない。つまり、ラキア山脈の山頂近く。女神の言うとおり、予定からちょっとはずれただけならば、ここから見えているのはサーヴェル領の北にある、国境防衛の監視塔か。
とすれば、目的だった北の砦も徒歩圏内にあるはずだ。
『か、可愛かった~~あんな小さい姿は初めて見た! あっひょっとして、お兄様も昔はあんなだった、り…………………………?』
「想像がつかないならやめておきなさい。あとものすごくにらまれてましたよ竜の王に」
『な、なんで!?』
「議論はあとで。早く北の砦に移動しましょう」
『あっクレイトス、まだ転移できるよ! フェイリスもそんなに疲れてないよね?』
「は、はい」
「駄目です、近いですから歩きます」
念のため倒されている木の年輪を見て、方角を確認する。太陽の位置も合わせればそうズレはないだろう。しげみをかきわけると、踏みならされた道らしきものも見つかった。
「作戦を早めることにします。あなたはベイルブルグに転移してもらいますから、今は体力温存してください」
「ど、どうしたのですか、いきなり。何かあったのですか」
「竜の王は俺たちを足止めするあっちの切り札だったはずです。それを切ってきたのはあっちの準備が整ったってことですよ。運良く移転できた時間を無駄にしたくありません。他にも想定外のことが起こってる気がして……」
「あ、あなたが想定外……?」
「俺だって万能じゃありませんよ。竜の王がいると思ってませんでしたし」
どこかから爆音が聞こえた。斜面の上のほうを見あげて、ロレンスは舌打ちする。まだ国境を越えていないとは思うが、行動が早い。ひょっとして朝のうちに手を打たれたか。
音のした方向を見ているフェイリスの前に背を向けてしゃがむ。
「乗ってください」
「えっ」
「時間がないんです、早く!」
「はっ……ははははは、はいっ」
細い腕を引っ張るようにして背負い、急な斜面を駆け下りていく。聖槍が先行して飛び、木や茂み、行き先の障害を切り捨ててくれた。そのおかげで、北の砦までまっすぐ進める。
北の砦の門に辿り着くまで、そう時間はかからなかった。
「女王陛下、ロレンスさん!」
門を開けると同時に出てきたのは、サーヴェル家の次男坊リックと三男坊アンディだ。彼らは今、サーヴェル家の所有であるこの砦の責任者に近い立場にある。
「国境に竜帝とジル姉――竜妃が現れたって聞いた?」
「聞いてます。逃亡したアルカの追跡部隊はどうしました?」
「さっき回収しました。竜妃にやられたそうです。手当て受けてます」
眼鏡を曇らせたまま、アンディがすらすらと説明する。
「やられた先遣隊も一部こっちが回収してるんで、竜帝がきてるのは間違いないです。怪我はしてますが全員死んでないのも、ジル姉らしい甘さっていうか」
「死んでないのはここに負担をかけるためだよ」
アンディが口を閉ざした。フェイリスをおろしながら、ロレンスは指示を飛ばす。
「ここまで攻めてくるつもりでしょう。今いる負傷者と非戦闘員は転移装置で王都に転移させてください。そのあとすぐに援軍を出します。転移先はベイルブルグ。当然、フェイリス様も一緒にベイルブルグへ送ってください。俺はここで指揮をとります」
「あ、あなたは一緒にこないのですか?」
言ったあとで、フェイリスが小さくくしゃみをした。
「少しでも竜帝の戦力を削っておきますよ。できれば竜妃を潰したい」
気の利いていない自分の余裕のなさに苦笑しながら、ロレンスは上着を脱いでフェイリスに着せた。フェイリスが固まったが、そこは我慢してもらう。
「でもあなたを絶対に、竜帝に勝たせますから」
両肩に手を置いて、それだけは約束する。フェイリスは目を見開いたまま、ぎこちなく頷き返し――ロレンスとフェイリスを交互に見ている聖槍をがしっとつかむ。
「何か言ったら折ります……!」
『いっ言ってない、何も言ってないよぅフェイリスぅ!』
「リック君、俺にわかってるだけの情報と戦力と配置を教えてください。アンディ君はフェイリス様をお願いします。――いってください」
小さな背中を押すと、フェイリスは一度だけ振り向いたが、聖槍を握り直し、毅然と歩き出した。あんな小さな女の子に世界の行き先が託されているなんて、残酷だ。
でも、その残酷さに加担しているのは自分だ。その責任は取らねばならない。




