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定期連絡は、毎朝、寝泊まりしている場所の窓か扉に、魔力で見えない紙片が差し入れられることになっている。紙片が差し入れられれば、異常なし作戦通り、だ。
今朝、ホテルの窓にも扉にも紙片はなかった。
つまり朝食はホテルではなく、買い出しに出なければならない。いってきますね、と告げたロレンスに、フェイリスは神妙に頷いた。どうしてなどと聞かないあたりが賢い。巻き戻っているので本来は十六歳くらいという話だが、それにしたって大人びていると思う。
この状況でひとりきりにされるのに文句ひとつ言わない。女神がついているなら、なんとでもなるとはわかっているが。
ノイトラール城塞都市はラキア山脈の麓に建てられているので、平地よりは高台になる。そのせいか、思ったより朝は肌寒い。上着をちゃんと羽織って、朝市に向かう。ノイトラールの竜騎士見習いだったときに街の構図は把握していた。見知った顔もある。久しぶり、と声をかけてくる商人は果たして今のロレンスの立場を知っているのか否か。
注意深く周囲を観察しながらロレンスは確信した。
何かあった。
(カミラさんもジークさんも、つけてきてない)
あのふたりは優秀だ。まさか寝坊なんてことはないだろう。新聞をひとつ買って、見出しに眉をひそめる。
――竜妃、国境防衛作戦開始。
違和感が膨れ上がった。先日の報道と合わせて考えれば、竜帝がベイルブルグに向かい竜妃が国境防衛についたことになる。
竜帝が一対一で女神と戦い、負けるかもしれない今、彼女は竜帝をひとりで戦場に立たせたりはしない。
馴染みだった店で果物やパンや惣菜を買っていると、すれ違ったパイ売りが振り向いた。
「焼きたてだよ。ふたつ買えばもうひとつ、おまけだ。どうだい」
「おまけは他のもので」
そう言ってポケットから代金を払うと、パイ売りが二重の包装紙にくるまれたパイをふたつ、よこした。
パイを食べるふりをして、二重の包装紙を開く。二口も食べれば、内側の包装紙が見えた。古い新聞だ。ただ、魔力を込めると文字が浮かぶ。
『――竜帝と竜妃が、国境を越えた先遣隊を排除。黒竜、赤竜が国境付近を偵察中。ただし少数精鋭での威嚇と思われる。なお、ベイルブルグに竜帝の気配なし。追伸:アルカ追跡部隊と連絡途絶、捜索中』
ぱちりとまばたいた。
「……一気に動き出したな」
しかもまず国境防衛とは――昨日まではそれなりにロレンスの既定路線だったのに、ここにきて大幅にはずれてきた。
(情報収集はわかるけど……それならまずベイルブルグ防衛か、俺たちの監視優先じゃないのかなあ。彼女の動きにしては違和感が……竜帝の案か? いや、竜帝ならまずベイルブルグを取り戻しそうだけど、彼女と一緒に)
あのふたりは戦闘においてほぼ単独で解決できる力がある故に、まずその場に出された問題を解決するタイプだ。たとえばベイルブルグは囮であることを判断できるが、囮であっても助ける力がある。だから竜帝たちの動きを封じるために、ロレンスは策を講じたわけだが。
パイを食べきって、ロレンスは首をひねる。何か違和感がある。
「おい、聞いたか。ノイトラール竜騎士団の召集!」
「ああ、ベイルブルグだろ」
「えっアタシはレールザッツと共同で国境に攻め込むって聞いたよ」
三公を従えた竜帝は報道規制もできるのはわかっている。
けれど自分の想定とは違う方向だ。この状況なら、自分の耳に入るとわかっていて、情報を流さないと思っていた。竜帝のベイルブルグ出陣、竜妃の国境防衛くらいは流しても、ノイトラール竜騎士団とレールザッツの動きまで伏せようとしないなんて。
まるで監視を隠さない、竜妃の騎士たちのように――そう、そもそもいつの間にか自分が考えさせられているのがおかしい。
本来、彼らがロレンスの思惑を必死で考えなければならないはずなのに。
――それに、何より。
(アルカと竜帝たちが接触してたら……)
策を見破られるとは、正直、思っていない。いないが、手は打つべきだ。そう直感する。
ホテルに戻ると、部屋の前の廊下に竜妃の騎士たちが立っていた。昇ってきた階段と、廊下奥の自動昇降機の前にも兵たちが立っている。
こうでなくては、と思って笑ってしまった。ロレンスの前に立ちふさがったカミラが目を丸くする。
「何、その反応? まさか、観念した?」
「いえ、安心しましたよ、定番の展開で」
むっとカミラは口を閉ざす。その隣のジークが、親指でロレンスたちの部屋を指した。
「小さな子だろ。こっちもあんま乱暴したくねえんだ、一緒にくるよう説得してくれると助かるんだが」
「いいですよ。ただ、朝食を食べてからでも?」
「見張らせてもらうわよ」
「どうぞご自由に」
ふたりの間を通り抜け、部屋の扉を叩き、開く。行儀のいい女王様は、しっかり身支度を終えて、大事な聖槍を膝の上に持って座っていた。周囲の騒動は把握していたのだろう。
「何かありましたか」
扉の外にいるカミラとジークなど見えないかのように問うてくるのは、胆力がある。
「ノイトラール竜騎士団が、歓迎会を開いてくださるそうで」
「まあ、嬉しい。でも、お邪魔ではないかしら」
「そうですね、遠慮したほうがいいかもしれません」
買い物をテーブルの上に置いている間にも、扉から兵が入ってくる。ロレンスが手を差し出す。フェイリスは小首を傾げた。
「きちんとエスコートしてくださるのかしら」
「もちろん、おまかせを。楽しいデートにしますよ」
「わたくしのロレンスは、嘘をつくのが上手」
笑ったフェイリスがロレンスの手に小さな手を乗せ、立ち上がる。そして聖槍の柄底で、床を叩いた。足元に黄金の魔法陣が浮かぶ。
転移、と誰かが叫んだ。背後の窓が割れる。黒い塊が飛びこんできた。だが、女神の転移を止められる人間はここにはいない。確信があったが、炎が魔法陣を一部焼く。ロレンスより先に女神が反応した。
『竜の王!?』
冷たい金の目をした小さな竜が、思い切り息を吸い込んで、もう一度吐こうとする――炎が見えた瞬間、景色が変わった。




