17
カニスのあとに続く影はない。ジルは目を細め、確認した。
「お前ひとりか」
「総帥を近づけるなとおっしゃったのはそちらでしょう。それにこの状況だと、総帥がいるほうが皆、安心するので」
中に入ったカニスは、あいている木箱を取り、焚き火はさんでジルの正面に座る。
「それで、私はどなたにお話すればいいですかね」
「わたしだ。あと、ロルフ」
「竜帝陛下は……」
中を見回すカニスの注意を引きつけるように、焚き火が上がる缶の中に炭を放りこんだ、ぱきりと音が鳴って、カニスがこちらを向き、意図を察したように両手を挙げる。
「わかりました、私ごときでは竜帝陛下にお目通りする資格がないと。甘んじてお受けしましょう。我々、連行されてるわけですし。では、どこから話しましょうか」
ロルフを見たが、口を動かそうとしない。ジルにまかせる気のようだ。
「じゃあ、わたしに負けた総帥を回収してからだ。何をしていた?」
「あまり面白い話にはなりそうにないですねえ」
カニスには、ジルと同じ白湯が入ったカップを渡した。カニスは素直に受け取る。
「ラーヴェの拠点は誰かさんにだいぶやられてましたからね。私は総帥をつれてクレイトス側に戻りました」
「レールザッツ襲撃に使ったあの槍がどうなったか、確認もせずに?」
「結果はわかりますから」
まばたいたジルに、ロルフが補足する。
「クレイトスとラーヴェの会談が破綻――要は、開戦するか、じゃな」
「そうです。我々の目的はあくまでそこにあったのですよ。だから意外でした。女神の魔力を使ったとはいえ、あれが竜神と竜帝相手にそんなに善戦するとは」
カニスは肩をすくめたあと、暖を取るようにカップを両手で包む。
「とはいえ、聞きたいのは女神の論説の根拠ではないですよね。クレイトスの拠点に戻ってすぐに、一斉襲撃が始まりました。逃げてきた教団員の話では、少し前から地方の一部拠点と連絡がとれなくなっていたそうです。襲撃方法は竜妃殿下と同じ、転送装置です」
「転送装置をたどられたのか」
「もっと最悪ですね。転送装置を乗っ取られました。襲撃情報を得てそちらへ救援へ向かうと、違う場所に転送され、袋だたき。そうこうしているうちに拠点を三、四カ所押さえられて、気づいたときには各拠点に一斉攻撃が始まりました」
笑っているが、カニスのこめかみあたりは引きつっている。
「いやあ、転送装置を壊されるとか使えなくするとかはありましたけどね? 初めてですよ、行き先を書き換えられたのは。それでとにもかくにも逃げてきた、というわけです」
あまり収穫のある話ではないなと思っていると、ロルフが宙を見ながら口を開いた。
「クレイトスの拠点に戻るのとレールザッツの襲撃が終わったのはほぼ同日じゃろう。そのときにはもう、小さな拠点が乗っ取られていた――つまり、転送装置を書き換えられていたわけじゃな」
「おそらくは。あまり認めたくないですが、女王誘拐――女神の聖槍の強奪成功から罠だったのでしょう。我々が女神の聖槍の魔力を吸い取っているとき、女神によって逆に我々の魔術を解析されてしまったのかと」
「時期が合わん、女神じゃないな」
カニスが目を丸くして口を閉ざす。一番大きな木箱の上であぐらをかいて、ロルフが頬杖を突いた。
「お前らに奪われたときに聖槍が転送魔術を解析したとしたら、そのあとの諸々の作業が間に合わん。書き換える場所の決定、兵の配置、本当の襲撃まで気づかれんよう監視、あるいは偽装。いくら女神でも魔力を吸われながらひとりでは無理じゃろ。女神の指示に即座に対応できるとしたら女神の器じゃが、女神の聖槍がお前らの手元にあったとき、女神の器もラーヴェ帝国にいた。しかも体調不良で動けなかったはずじゃ」
目配せで確認されて、ジルは慌てて頷く。
「なら転送装置自体はもっと前から解析されとって、女王誘拐のタイミングで仕掛けただけじゃよ。お前さんらはレールザッツでの会談を潰すために聖槍を奪ったり、色々ラーヴェ側で忙しかったはずじゃからなぁ。隙だらけじゃっただろ、潜入も潜伏も容易じゃ」
にやにやしているロルフに、カニスが苦い顔をする。
「では、女王と聖槍の一件は、まったく関係ないとでも?」
「無関係っちゅうにはタイミングが合いすぎじゃな。つまり、お前らが仕掛けてくると読んだ上で、その時間と隙を最大限に利用した。誰がやったか、心当たりくらいはあるじゃろ。お互い利用するつもりで接触したクレイトス側の人間じゃ――当ててやろうか。ロレンス・マートンとかいう小僧じゃろ」
カニスは頷かなかったが、苦い表情だけで肯定には十分だった。
「しかしなあ、神を囮に使うとは、なんちゅう不届き者じゃ」
お前の話か、と言いかけたジルは唾を飲みこんだ。カニスが、視線を落とす。
「――なるほど。てっきり我々、すべて女神の罠だったと思考停止してましたよ。総帥なんかはもう、すごい落ち込みようで。初めての総帥主導で、大がかりな作戦でしたから」
「反省する必要はあるまいて。さっきも言ったが、お前らの狙いはクレイトスとラーヴェが殴り合って弱ることじゃろ。成功しとる」
「おや、慰めてくださるとはお優しい」
「女神の罠だと思い込んだのは、今までの話以外にも、女神でしかあり得ないことがあったからじゃろ」
カニスが動きを止めたあとで、苦笑いを浮かべた。
「やはりぼったくられそうだ。――先ほど襲撃されたと言いましたが、その襲撃が変わってましてね。我々が女神に使った魔力吸収の魔法陣が使われたんです。そっくりそのまま」
あの槍にもしかけておいたやつですよ、と言われてジルは顔をしかめる。
「あの、陛下の魔力を吸ってたやつか」
「そうです。あれ、我らが総帥の開発した魔術なんですけど、吸収して他人の魔力を自分の魔力に変換する、二重構造になってます。他人の魔力を吸収とか、クレイトスだと禁術のはずなんですけどね」
クレイトスでは、魔力とは女神の愛の証左だからだ。女神の愛を掠め取るなど、人間には許されない。
「禁術だの禁止事項だの、実際は人間が勝手に決めたモンが多いからな」
「それにしたって、女神が使うなんて思わないでしょう、普通」
「魔術の使い手が女神というのは間違いないのか」
「竜神でなければ間違いないです。あの魔術、女神の聖槍があってやっと成功したんですよ」
カニスはひとくち、カップに口をつけて喉を潤した。
「神紋に近い構造をしてましてね。せっかく見出した他人の魔力を吸い取って使う魔術が、女神っていう莫大な魔力がないと起動できないとか、矛盾満載の代物なんですが。まあそこは今後の改良次第ですから」
「ちょっと待て。ならこの間、お前らは女神に魔術を起動してもらったってことだよな」
「そうですよ?」
「女神の魔力を吸う魔術を、女神は起動したのか」
「女神クレイトスはアホ――慈悲深いので、困ってると助けてくださるんですよ」
駄女神という言葉が思い浮かんだ。
「ただ永遠にアホではないようで、まさか我々に使ってくるとは思いませんでした。仕返しとしては今まででぶっちぎりの一位です、我らが総帥の血管が切れるかと思いました」
「女神は神紋を持っとるから、お前らから教えてもらわんでもできた気がするがな」
「なら嫌がらせが極まってますね。魔法陣はそっくりだったので盗作です。ともかく、魔力を根こそぎ吸い取られたうちは抵抗する術もなく逃げ出すしかなかった、ということです」
「魔術をかけられた連中はどうなった」
「わかりません」
魔法陣内にいる人間すべてが、いきなり倒れ、動かなくなったとカニスは言う。
「魔法陣内に入って調べられませんから、生死も確認できませんでした。あとは兵に攻め込まれてしまって……拠点を取り返さないことには調べようもない」
「とにかく、仲間を置いて逃げてきたわけか」
「知ったようなことを言うな、竜妃」
外の冷気と一緒に入ってきた声に顔をあげれば、出入り口でミレーがひとり、立っていた。




