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やると決めたらハディスはできる子である。
(うん、知ってたけどな!)
恐慌をきたして撤退していく兵たちを眺めながら、ジルは半眼になる。
「夫が強すぎてわたしの出番がない……」
「えっ? 僕、ジルがいてくれて、すごく心強いよ!」
そういうことはひとりで敵を吹っ飛ばす前に言え。という言葉をジルはかろうじて呑みこんだ。今更だ。そう、今更。
この男はかつてもたったひとりでジルの大隊を吹っ飛ばしてくださったのだから――今思えばこんな男と戦ってよく生き残った自分、えらすぎる。
「ほんとだよ、ジル」
黙っているジルに焦ったのか、ハディスにひょいと抱き上げられた。ちょっと上目遣いで甘えてみせれば、だまされると思うのだろうか。
いや、だまされてあげるのがいい妻だろうか。溜め息と一緒にジルは両腕をハディスの首に回す。
「大丈夫です、ちゃんと陛下はわたしがいないと駄目にしてあげますから」
「え。それはそれで怖い……」
「今日はこの辺でいいじゃろ。奴らが使ってた拠点を使って休むぞ」
戦闘中は隠れていたロルフが雪から顔を出す。赤い夕日が照らす雪の斜面には、丘陵のような大きな雪の塊があった。中が空洞になっているのは確認済みだ。
「いいのか。今日、これだけ短時間で先遣隊が四つも見つかったってことは、だいぶこちら側に潜り込まれてるだろう」
「想定内じゃよ」
ジルの懸念を読んだようにロルフが言った。
「女王誘拐の一件で捜索隊を入れる許可が出ておったからな。特にこの辺はレールザッツとノイトラールの真ん中でラーデアの先端っちゅう、どこが防衛するかでもめる場所じゃ。かといって攻め込む側も、この先は川と谷で分断されるから難しい」
そういえばこのあたりの進路を、かつてレールザッツを落とすために通った気がする。
「ここからノイトラール側かレールザッツ側、あるいは両方面に進軍して、側面から叩くための戦力か。それがロレンスの策?」
「それにしては補給部隊っぽかったじゃろう。罠か何か仕込んどったんじゃないか」
え、とジルが見ている横でロルフがしゃがんだ。兵が落としていったのであろう、ポーチを拾う。
「捕虜がとれればいいんじゃが、三人だとさすがに邪魔じゃ。下っ端が大した情報持ってるとも思えんしなー……ま、今日で竜帝が国境をうろついてて、簡単に攻め込めない心理は作れたじゃろ。さて、次はどう出てくるか」
「サーヴェル家が出てくる可能性が高いとわたしは思う」
「それならそれで、こっちも手薄になった場所からノイトラールやレールザッツから手が打てるってもんじゃ。竜帝っちゅうのは置いとくだけで便利じゃなあ」
かかかと笑うロルフの失礼な言い草にも、ハディスは特に興味がないようだ。レアの鞍にくくっておいた荷物をおろし、ぽんとその背を叩く。
「じゃあ、北側の巡回、よろしく」
『あいわかった』
すでに黒竜と竜帝が一緒に現れたことは伝わっているはずだ。黒竜が上空を飛べばそれだけで竜帝がやってきたのかと疑わなければならない。牽制にもなる。ジルもハディスの腕からおりて、マイネから荷物をはずす。
「お前も自由にしていいぞ」
言ったそばから、マイネは南に向けて飛んでいく。レアがやることは自分もできる、とでも言いたげだ。負けず嫌いな騎竜にジルは苦笑する。残るはロルフが乗っていたフリーデンだが、まるでジルたちが休む拠点の出入り口を守るように、翼をおろして待っていた。
「寒くないんでしょうか」
「個体差はあるけど、竜は基本、暑さにも寒さにも強いよ。赤竜なら体温調節は完璧」
「ローは冬、マフラーとか帽子とかケープとか着込んでご機嫌でしたが……」
「あれは別」
ものすごく嫌そうな顔をしたハディスの内側から、するりとラーヴェが出てきた。何かと思ったらフリーデンの前へと飛んでいく。
「無理しなくていいんだぞ。目くらましの結界くらい俺が張って……――そうか」
何を言われたのか、ありがとな、と小さくラーヴェが返して振り向く。
「見張りはまかせろってさ」




