ベイルブルグの無理心中(1)
水上都市ベイルブルグ。
クレイトス王国との窓口といってもいい港町に到着したハディスを、ずらりと兵が居並んで迎える。北方師団ではない。ここ一帯の領土を統括するベイル侯爵の私軍だ。
威圧めいた牽制を感じながら、ハディスは舷梯をおり、ひざまずいたベイル侯爵を見る。
「お帰りなさいませ、皇帝陛下」
「ああ、ただいま。出迎えありがとう」
「いかがでした、クレイトスは。陛下が懸念されるような、戦争の兆しはございましたか」
「北方師団はどうした?」
小馬鹿にしたような質問にはかまわず、ハディスは笑顔で別のことを尋ねた。
本来、皇帝の警備にあたるのは直轄軍の北方師団のはずだ。だが並んでいるのはベイル侯爵の私軍ばかりで、その姿は見当たらない。
ハディスに挑発を無視された格好になったベイル侯爵は不愉快そうに眉をよせたが、すぐに嘲るように答える。
「まだ陛下はご存じないのでしたな。実は賊が入り込みまして、我が娘スフィアが囚われました。ところが北方師団が役に立たず、我が軍が出動するはめになり――」
「北方師団の生き残りはいないのか?」
話を遮ったハディスにベイル侯爵は咳払いをして、綺麗な姿勢のまま報告を続ける。
「おりませんな、そんなもの。賊に殺されております。敵前逃亡したような者も、すでに私が処分しております。運良く出勤でその場にいなかった者達のみ、軍港の警備をしております。ですが何分、陛下をお出迎えし警護するには人数がたりないので、このような形になっております」
証拠隠滅は既に終わっているらしい。
十中八九、自分が不在の間に起こった軍港襲撃事件はベイル侯爵の自作自演だとハディスはにらんでいるが、証拠がない。賊が本当に入り込んで、それに便乗しただけかもしれない。
いずれにせよ事実関係を調べなければ手も打てない。後手にまわったが、やらないよりましだろう。
「では、生き残ってる者はいるんだな。その休暇者達のリストは?」
「……ございますが?」
「出してくれ。どれだけ残っているのか把握しなければ、北方師団を再建できないだろう」
「さようですか。再建などできないと思いますがね」
完全に馬鹿にしきった表情でベイル侯爵が適当な相づちを返す。
何をするつもりなのか聞く気がないあたり、ハディスを右も左もわからない、状況把握すらできていない皇帝だと侮っているのがよくわかった。
それでいいとハディスも思っている。穏便にことを動かすなら、たったひとりの自分はこうやって裏をかくように立ち回るのが一番だ。そうでなければ、真正面から踏み潰していくことになる。
(連帯責任でどこまで処分するかも見極めなければな)
生き残っているのはベイル侯爵の息がかかった貴族子息だろう。ひとりひとり呼び出して処分を告げれば、裏切る者だって出てくるかもしれない。
皇帝のやる仕事ではないと苦笑いが浮かびそうになったがこらえて、思い出したようにハディスは続ける。
「スフィア嬢は助け出されたそうだが、間違いないか?」
「ええ、私の手で助け出すことが叶いました。賊の頭目も娘を殺すのは忍びなかったようで」
「そうか、話がしたい。面会の手配を」
「いえ、頭目は既に自害しております。我が軍に囲まれ、逃げることがかなわぬと悟ったようですな」
武勇伝のように語っているが、要は処理済みということだ。
では次にいくしかない。
「だが、スフィア嬢が無事なのは不幸中の幸いだったな。あとで話が聞きたい」
「あいにくですが娘は事件のことで気を塞いでおりまして」
「では見舞いに行くと伝えておいてくれ」
「……陛下の手をわずらわすようなことは」
「そんなに悪いのか。医者を手配しよう」
「いえ、そういったことでは……」
「それとも、僕に会わせられない問題でもあるのか?」
ベイル侯爵は逡巡しつつ、最後は首を横に振った。スフィアとハディスはいわゆる『お茶友達』だ。ここで強硬に拒むと怪しまれるかもしれないとは思ったらしい。
(別に僕を侮ったままでいてくれてもいいんだが)
その横を通り過ぎながら、ハディスは笑顔で告げる。警戒心をとくために。
「城で改めて話そう。疲れたから今は早く部屋で休みたいんだ。あとのことは報告書でかまわないよ」
「仰せのままに」
ほっとして礼をしたベイル侯爵の頭のてっぺんを見ながら、ハディスは嘆息する。
(まったく、帰国早々)
先ほどは表立ってベイル侯爵は批判してこなかったが、北方師団は皇帝直轄の軍だ。ハディスの失態と同義ととらえて、今頃皇都ではうるさい輩が色々暗躍し始めているだろう。そのあたりを踏まえて、ベイル侯爵は滞在中に色々言い出すに違いない。
そうでもなくとも、ハディスがクレイトスにいる間に、ありとあらゆるところが準備万端で糾弾理由を用意しているのだろう。
そもそも北方師団の一件が一切ハディスの耳に入ってこなかったことからして問題だ。仮想敵国だ。内通者くらいはお互い飼っているだろうが、滞在最終日にクレイトスの人間から風の噂で聞かされることになろうとは思わなかった。
少し国を離れただけでこれだ。それでもクレイトスに行かねばならないだけの理由があったのだが、クレイトスではクレイトスで、ずっと女神がどうしかけてくるかと――正確に言えば、女神本人が現れるのではないかと気を張り詰めていた。なのに待ち構えていた甲斐もなく、女神は現れなかった。もちろん、聖槍もなんとかならないかとさがしたのだが、女神は気配すらつかませなかった。
空振り気味な状況に、体より気持ちが疲れやすくなっている。
ベイル侯爵に案内された部屋で、使用人も何もかも追い出してひとりになってから、ハディスは重たいマントをソファに脱ぎ捨てた。首元をゆるめて、潮風の吹くテラスへと出る。
すると、ずっとクレイトス王国では出てこなかったラーヴェが姿を現した。
「あーやっと着いた。船酔い、大丈夫か?」
「酔い止めの薬も睡眠も万全だったからな」
「転移すりゃ一瞬だってのに、ちゃんと船使って帰るんだもんなあ。魔力で動かしたけど」
「しかたないだろう。いきなり現れるのは困るそうだから。……しかし、面倒事が増えただけで、クレイトス訪問はただの徒労に終わった」
逆に言うならば、ハディスがいない間に堂々と動く馬鹿は誰かも教えてくれたが、どこまでその網が広がるのか考えるだけで頭痛がしそうだ。
テラスの縁に体重を預けるハディスに、ラーヴェがつぶやく。
「でも、収穫はあっただろ。女神はこなかった。……ってことは器はやっぱりないわけだ」
「だが十中八九、フェイリス王女は適格者だろう」
「そうだな」
一瞬だけパーティーでかすめ見た病弱な少女を思い出す。魔力は感じられなかった。
なのに彼女だ、という直感だけがあった。
血筋的にも、おそらくはずれていないはずだ。
「十四歳になるまで、あと六年だっけか。時間があっていいんだか悪いんだかなー……まあ、油断するなよ。違う可能性もある。クレイトスでやたら魔力の高い人間が産まれるのは、そのためなんだからな」
「民ですら女神の器か。節操がないな。お前のように、ラーヴェ皇族からのみ選べばいいのに」
「俺は選ばないんじゃなくて、選べないんだよ。あっちはその縛りを、神格と引き換えにはずしてるからな……ほんっとなりふりかまいやしない」
だが、愛のためだから許される。彼女は愛の女神だから。
女神はハディスを愛しているといつもささやいてはそう嗤っている。あなたを愛している。だからなんだってしてあげる。
あなたが私以外を目にしないように。
「竜妃がいれば、女神の狙いが竜妃に集中する。そうすりゃだいぶお前の負担もなくなるんだが」
「いなかったんだからしょうがない。というかお前が出てこなかったんじゃないか」
王太子の誕生パーティーでもクレイトスにいる間はずっと自分の中から出てこなかったラーヴェに文句を言うと、ラーヴェがむきになって言い返した。
「俺の姿が見えればいいってもんでもないんだよ! 下手に見えてみろ、すぐ女神にばれてその子が殺されるぞ」
「十四歳未満で、お前が見えて、女神にも殺されない女の子か。いるかな」
「大丈夫だ、見つかる」
冗談まじりに言ったのに、ラーヴェに真面目に返されて、ハディスは笑顔がこわばりそうになった。
けれど、答えは用意できる。
「……クレイトスの王太子は十五歳で婚約だからな。負けてられない」
「ああそういや誕生日パーティーで騒いでたなあ。どんな子だった?」
「小さな子だったよ。将来有望そうだった。現時点でもだいぶ魔力が高そうだったよ」
「へー! じゃあ俺が見えたかもなあ」
「……言われてみればそうだな!?」
愕然としたハディスに、ラーヴェが呆れる。
「お前、そういうすっとぼけたところどうにかしろよ」
「だって気づかなかった……さらってくればよかった……!」
「いや駄目だろ! 王太子の婚約者ってことはそこそこの身分あるお姫様だろうが。さらったら国際問題になるぞ」
「そうか……そうだな……帰りたいって泣きわめかれたらショックだし……ちゃんと同意をもらわないといけない」
でも、好きだって言ってくれたら仮想敵国のお姫様だろうがさらうのに――女神以外ならば。
テラスの縁に頬杖をついて、ハディスは嘆息する。
「早く見つかればいいな。僕のお嫁さん」
本心だった。
だからすりへってきている何かを、ラーヴェに気づかせずにすんでいる。
ネタバレみたいな答え合わせみたいな話ですが、4話ほどで終わる予定です。
ラブコメなSSも更新しますので、ひとまずおつきあい頂ければ幸いです。




