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がたんがたんと規則的にゆれながら、蒸気機関車が平原を走っていく。等間隔に作業をしてる人間の姿を遠目に見つけて、ロレンスはレールザッツ鉄道の案内図を開いてみた。
大きな川を越え、すでに汽車はラーデア領には入っている。ラーデア領と言えば、竜妃の直轄地だ。ほとんどの時代で領主は代理にすぎず、なかなか開発が進まない領地だ。ゲオルグ・テオス・ラーヴェがラーデア大公だったときに、駅を作れたくらいか。だが、駅舎はレールザッツとノイトラール中継地点の貨物置き場のようなものだと聞いている。
(ひょっとして開発を始めたのかな)
ラーデアはライカとも湾を挟んで近い。ラーデアが補給地として機能すれば、国境防衛が大きく強化される。そういえば士官学校を作るとも聞いたような――あの竜妃が考えたことだと思うと、なんだか笑ってしまう。
(たぶん、自分がやられたら嫌だったことを考えてるんだろうなあ)
ひょっとして、自分が教えたのかもしれない。かつて、なんてものが本当にあって、それを彼女も覚えているという、フェイリスの言うことが本当ならば。
ややこしい策にはまったときは、とにかく敵に嫌がらせをして煽れ。打開策と好機が作れるかもしれないから。
「何か面白いものでも見つかりましたか?」
個室席の向かいの座席に膝をそろえて座っているフェイリスが、小首を傾げる。窓の外から目を戻し、ロレンスは答えた。
「開墾をして、ラーデアを補給線に使う予定なのかなと思って見てました。でもこの一件が落ち着いたときはもう、竜妃も竜帝もいないはずですから」
「……今、どうなっているでしょう」
「ベイルブルグなら、戦いは始まったということくらいしか確実には言えません」
座椅子に置いたままの、車内で売っていた新聞をちらと見る。
「戦果についての記事を鵜呑みにしないほうがいいです。もう報道規制は始まっているでしょうから」
「竜帝がベイルブルグに向かったとありますが」
「それも信用できませんね。竜帝は長距離の転移が使えますから」
フェイリスが少し下向きになった。
「……私が転移をあまり使えないばかりに、申し訳ないです」
フェイリス王女は膨大な魔力を持つが、使いすぎれば倒れてしまう。要は竜帝と同じだ。まだ身体ができあがっていない分、フェイリスのほうが反動は大きい。
「いざとなれば使える、というだけでも十分です。転移に頼ることなくレールザッツから出られて、ほっとしてますよ。倒れられるのがいちばん困ります。それに、ここまで移動すれば無理なく飛べる場所も増えてきますよね」
「そうですね、このあたりからわたくしが倒れない範囲だと……どこまでいけるかしら、クレイトス」
『えっ、クレイトス、地図、わかんない』
間髪入れずにフェイリスが座椅子に立てかけられていた黒槍をはたいた。
いつも行儀がいい少女は、女神に対してだけ乱暴だ。
『痛いよう、なんで殴るのフェイリス~~!』
「あまり喧嘩なさらないでくださいよ。こと戦闘において僕は小細工しかできません。サーヴェル伯がいない今、襲撃されたらおふたりに頼ることになるんですから」
ビリー・サーヴェルは、レールザッツの蒸気機関車に乗る前に別れて、ラキア山脈越えを目指してもらった。
ロレンスとフェイリスの逃亡から目を背けさせるため、そしていざというときサーヴェル軍を動かしてもらうためである。
「ノイトラールまでは転移できると思いますけれど、ベイルブルグまではまだ……距離によってはクレイトスのほうに転移してしまうかもしれません。あるいは無意識でどこかの転移装置に引きずられてしまうか……」
「あまり難しく考えなくて大丈夫ですよ。ノイトラールまで転移なしで移動できればこっちのものです。アルカの拠点が残ってればもっと移動は簡単だったんですが、こないだラーヴェ国内の主要拠点は竜妃にことごとく潰されちゃったみたいですから」
ちょっと笑ってしまう。一方でフェイリスは冷ややかだ。
「……嬉しそうですね。竜妃は敵だとお忘れなく」
「あれ? 俺って、裏切りもこみであなたにつかえてるんですよね」
フェイリスは小さく唇を尖らせた。そうすると子どもっぽくて年相応だ。
でもすぐに一呼吸置いて、女王で、女神であろうとする。
「もちろんです。わたくしたちは目的が一致しているだけですから」
「ルーファス様ならきっと無事ですよ」
意地の悪さを帳消しにできるように、できるだけ柔らかく告げる。
「あなたの捜索含め、やることを山積みにしておきましたから。安易にルーファス様を殺して泥沼化を狙うとも思えません」
「……でもわたくしは、いざとなったらお父様を見捨てなければならないのですね」
「やめますか?」
にこやかに尋ねたロレンスに、フェイリスは微笑み返す。
「わたくしをためしているおつもりですか? もう、お兄様は戻らないのに」
「死んではいませんよ」
「死んだ――いえ、殺したも同じです。あの封印は、わたくし以外には解けない」
難しい話になると引っ込みがちな黒槍が、そうっとフェイリスに寄り添う。神と、その器が身を寄せ合う姿に、ロレンスは目を細めた。
(竜神と竜帝も、こうなんだろうか)
おそらくロレンスは見ることも聞くこともない。三百年前、竜神の姿は竜として観測された記録があるが、今となってはもう、竜神は魔力が高い人間にしか認識できないから。
「どっちにしても竜帝の動向なんて気にするだけ無駄です。転移で一瞬なのがずるすぎる」
フェイリスが黒槍をうっとうしそうに追いやりながら、問い返した。
「では、今、ラーヴェ帝国はどう動いていると思いますか」
「国境防衛の準備です。ベイルブルグに向かわせた軍は大した数ではないですから」
ルーファスは脅威だろうが、逆に言えばそれだけだ。
「ベイルブルグが陽動の可能性を考え、サーヴェル家のラキア山脈越えを警戒するのが定石です。そのためにサーヴェル伯に戻ってもらったんですし。なので、三公はラキア山脈の防衛線を強化。結果、戦力が分散して膠着状態が続く」
「あなたの狙いどおりですね」
過分な評価に、ロレンスは微苦笑で応じる。
「想定した中では最善よりではありますよ」
「最高は?」
「竜妃がベイルブルグを助けにいくなり、とにかく竜帝と離れてくれれば、あのままレールザッツで竜帝に仕掛けられました。ま、あれだけ竜神が弱くなったと煽りましたから、彼女がそう易々と竜帝から離れるわけありませんけど」
荷物をまさぐり、水筒を出す。フェイリスはそれを半眼で眺めている。
「あなたは竜妃を過大評価しすぎでは?」
「現状、竜帝を斃すにあたって最大の障害ですよ。でも竜神の弱体化を煽れば煽るほど、竜帝はその威信を見せるため戦場に出てこなきゃいけなくなります。たとえ竜妃が一緒でも、少しでもこっちが有利な戦場に竜帝を引きずり出せれば最善かなと――飲みます?」
ひとくちだけ飲んだ水筒を差し出す。目をまん丸にされたあと、ものすごい勢いで首を横に振られた。さすが女王様、同じものを口にするのは嫌かと苦笑したロレンスは水筒をしまい、気にせず話を続ける。
「とにかくあなたが消耗することなく無事にベイルブルグに辿り着いて、そこに竜帝を引きずり出せれば最善です。……でも、転移で一瞬って本当にずるすぎて……ほんと、なんでいちばん強い敵の敵地で戦うなんて無謀な真似しなきゃいけないのか……でも竜帝ってクレイトスまで攻めてきてくれなさそうなんですよね……」
恨み言に近い哀愁を漂わせてから、ロレンスは真面目に答える。
「ベイルブルグには交渉材料もある分、簡単に決着はつかない。フェイリス様の居所がわからないまま、安易にルーファス様に竜帝をぶつけたりもできません。ルーファス様が竜帝にやられる可能性は少ないですよ。竜妃相手なら引き分けるでしょうし」
「ならいいですが……」
「のんびりいきましょう。打てるだけの手は打ちましたから。女王陛下は、汽車は初めてですよね?」
ぱちりとまばたく青い目に、ロレンスは笑顔を見せる。
「ラーヴェ帝国の鉄道技術。転送装置のあるクレイトス王国では軽視されがちですが、これからには必要ですよ」
「これから……」
「そう、これから、あなたが望む世界には」
戸惑いを含む小さな女の子の沈黙に、ロレンスは笑顔を崩さない。個室の壁に立てかけられたパンフレットを取る。
「おなかすきません? お弁当の車内販売があるみたいですね。注文しましょうか」
「……あやしまれるのでは」
「その辺、クレイトス様が幻視をかけてくださってるんでしょう? 大丈夫ですよ。おどおどするほうが逆にあやしまれます。あ、ほら」
ちょうど販売に回っているのか、隣の個室に弁当販売を尋ねる声が聞こえた。
「俺は決めましたけど」
フェイリスが慌ててロレンスが差し出した二つ折りのメニューに目を向ける。黒槍も一緒に覗きこんでいた。一緒に食べるのだろうか――槍が? それともあの幽霊みたいな少女が?
(かみさまには謎がいっぱいだなあ)
そんなくだらない謎だけ追いかけていられたら、よかったのに。
「お弁当、いかがですかー?」
返事をする前に、個室の扉がいきなり開く。鍵がとか、念のためにあった女神の結界がとか、そういう疑問は大小ふたつの人影にすべて吹っ飛んだ。




