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名乗りのとおり現れたフェアラート公――モーガン・デ・フェアラートが、周囲の反応のなさに首を捻る。
「ちょっと古かったですかね?」
「……お早いご到着ですな、フェアラート公。まだ呼んでおりませんが」
「私も呼ばれた覚えはないですね、レールザッツ公、私が呼ばれたのはロルフ・デ・レールザッツ。アンサス戦争を指揮した英雄ですよ。呼ばれればもう、飛んでくるでしょう! 寝ずに竜をぶっ飛ばしてでも!」
いつもよりはしゃいでいるのは、徹夜の影響もあるようだ。
「お話はだいたいうかがっております。いやはや、レールザッツ公ともあろう者が交渉でしてやられるとは。これも年ってやつですかねえ! そろそろ引退なさっては?」
イゴールを出し抜けたのがよほど嬉しいのか、モーガンはご機嫌だ。対するイゴールは椅子に腰を下ろし、笑顔のまま何も答えないのが逆に怖い。しかしモーガンはかまわず、なぜかくるりと一回転して、ハディスに近寄り、胸に手をあてて大袈裟に一礼する。
「陛下、拝謁を賜り至極恐悦以下省略。で、今回、軍艦はいくらお買い上げでしょうか? やっぱり燃やすのはクレイトス王都バシレイアですかね!? あっ、でも今はベイルブルグが攻められてるんでしたっけ。いやぁ残念、じゃあレールザッツから軍艦出しましょうそうしましょう、いくらで買います? ここなら水路でも運べますし、お安くしますよ!」
「レールザッツから軍艦を出しても王都まで竜が飛べる距離ではなかろうて」
何よりその作戦で王都を失ったクレイトスは、国中に対空魔術の防衛線を構築した。現在のクレイトスの空を自由に飛ぶなど、黒竜でも可能かあやしい。イゴールの言いたいことは理解できるのか、モーガンががっかりした顔をする。
「はーだからベイルブルグから潰しにきたんですかね。でもどうにか燃やしましょうバシレイア! まとめ買いでお安くしとくんで。竜を運ぶ竜母艦も最新鋭をそろえますよ!」
あくまで売ろうとするモーガンに、ハディスが面倒そうに答える。
「王都を燃やしても止まるとは限らないのが問題だ」
「じゃが、相手はこっちを燃やす気じゃ。聞いたぞう。神の解放、クレイトスとラーヴェの統一なんて夢物語をぶちあげてきたそうだな、あちらさんは。ご大層な夢を叶えるには、街のひとつやふたつ、燃えて当然じゃ。あっちは腹をくくっとるぞう」
ハディスに視線を向けられ、ロルフが笑う。
「要は覚悟の問題じゃ。さあどうする、竜帝。王都バシレイアを燃やせるか。ぴよぴよ竜妃の故郷を燃やせるか。その覚悟があるなら、儂が燃やしてやる。燃やすのは簡単じゃからのう」
「愚問だな。僕を誰だと思って――ジル?」
鼻で笑い、答えようとしたハディスをジルは押しとどめた。
ソファから足をおろし、ロルフの正面に立つ。
「燃やせ」
意外だったのか、ロルフがまばたく。だが、命じるのはジルでなくてはならない。
「お前は竜妃の騎士だ。竜帝の盾のひとつだ。だから、竜帝を守るために燃やせ」
「――お前の、故郷であってもか?」
「わたしは陛下の足手まといにはならない」
ハディスがジルを慮って手をゆるめるようなことがあってはならない。
だからジルが命じるのだ。
「竜妃の騎士の名に恥じぬ働きをみせろ、ロルフ・デ・レールザッツ。そして陛下に栄光を捧げろ。その名に、決して泥はかぶせるな」
睨み合うような静寂ののち、ロルフが声を立てて笑い出した。と思ったら、縄がはらりとほどけ、椅子から立ち上がる。反射で捕まえようとしたジークの手をひょいとよけ、なぜかテーブルの上に仁王立ちした。
「結構、結構じゃ竜妃! 竜帝は今ひとつあやういが、お前は覚悟ができとる」
「陛下もそれくらい覚悟している、言わせるな」
「そうかの、倒れとるが」
背後を示されたジルは、振り返り様に怒鳴る。
「またですか陛下、いい加減にしてください!」
「だっ……だって、お嫁さんが……僕のお嫁さんが、イケメン……!」
「臣下の前なんですよ! いったい、いつになったら大丈夫になるんですか!?」
「さて、まずは情報が必要じゃ。女王に協力しそうな輩はどこにいるかわかるか? そこから女王の足取りを追う」
ソファに倒れたハディスを看病する素振りは一切せずに、大人たちが相談し出す。
「おまかせください。私、不作でクレイトスから援助を受けた方たちから相談を受けておりましたからね。女王謁見を考えていそうな者については検討がついております」
にっこり笑うモーガンに、イゴールが呆れ顔になる。
「相変わらず裏切り者をまとめるのがうまいことだ」
「おや、高潔なレールザッツ公ができぬことを請け負っているつもりですが」
損な役割です、と付け加えているが、むしろ儲けていそうだ。
「とはいえ、女王がこのままクレイトスに帰国、開戦という流れもあり得ますが」
「それはないな」
ロルフがテーブルから飛び降りた。
「奴らは喧伝したいじゃろうからな。ラーヴェ国内で工作をしていくじゃろ」
「喧伝……?」
ハディスの背中をなでてやりながら振り向くと、椅子に座ったイゴールが答えた。
「竜神の弱体化。竜神は女神には勝てぬ、と広めるのですよ」
ジルがなでていたハディスの背がぴくりと震える。モーガンが嘆息した。
「思えば、ラキア山脈の不作から仕込んでいたんでしょうねえ。こうなると瘴気を振りまく正体不明の竜も、本当にアルカだけの仕業だったのかあやしいものです」
理を失った竜神ラーヴェから、隣国を救え――そんなふうにかつての戦争は始まった。ひょっとして、フェイリスはかつての兄のやり口を模倣しているのだろうか。
「しかも会談で女神が姿を見せたうえに、すでに竜神には女神ほどの力がないのだと宣言したのだとか? となれば竜神は女神に勝てぬと本気にする馬鹿が出てくるでしょう。裏切るとまではいかずとも、今のうちに貸しを作っておこうという輩もね。素晴らしい手口です、ロレンス・マートン。若いっていいですね。後先考えなくて」
「まあこの件についてはそうご心配されることはありません、陛下」
杖の上に顎を置いて、イゴールが喉を鳴らして笑う。
「我ら三公、竜神どころか竜帝もおらぬ中でクレイトスと渡り合っておりますからの。神がおらぬ苦悩も知らぬ者の思想など、赤子の駄々のようなもの。押さえこんでみせましょう」
起きあがったハディスは、不気味そうに目を向けた。
「まさかお前ら、竜神ラーヴェを信じているとでも?」
「これは心外なことをおっしゃる。歴史を軽んじる底の浅い若者でもあるまいに、何が今の自分を象っているか忘れたりはしませぬ。――フェアラート公、ノイトラール公に連絡は?」
「ベイルブルグに飛んでいきそうだったので、ぜっっっったいにそこから動くなと釘を刺しておきましたよ。竜殺しの蛮族共とやりあうのはあの脳筋一族に限りますからねえ。あと、クレイトスの情報をなんとか手に入れたいですねえ。でもあれだけ国境に軍が居座ってるとこっちに戻るのが難しい」
「どっか穴があるじゃろ、よくさがせ」
「簡単におっしゃいますけどね、英雄ロルフ。蟻一匹通すかとばかりに厳重です。間諜でも戻ってこれるかどうか」
「……。ふうん。開戦を見越しているなら国境封鎖は当然じゃが……」
「さて、竜帝陛下」
妙にぎらぎらと目を光らせて、竜神の末裔を名乗る大人たちがハディスに迫る。
「我らにご命令を。竜帝の御名の元に」
ものすごく嫌そうな顔をしてハディスが嘆息する。彼らを三公にしたラーヴェも表情を引きつらせていて、ジルは噴き出しそうになった。
そこへまた、フィンが飛びこんでくる。非常事態になれてきたのだろうか、先ほどのような慌てぶりはなかった。綺麗な敬礼は、兵の覚悟の表れだ。
「ベイルブルグより、リステアード殿下がクレイトス軍と接敵との報告が入りました!」
「陛下」
呼びかけに答えるかわりにハディスはジルを抱き上げ、立ち上がった。
「ベイルブルグに――いや、ラーヴェ全土に伝えろ。クレイトスに、ラーヴェの土を決して踏ませるな」




