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「報告によれば、ベイルブルグへ向かった軍は女王の捜索隊として申告されたそのまま。本気でベイルブルグを落とすには少々心もとない戦力ですな」
目の前に、色とりどりの可愛らしい焼き菓子が並べられていく。明るい色合いの茶器に、優しい香りがするハーブティーが注がれた。小さく切り分けられたひとくちサイズのチョコケーキの横には、サンドイッチなどの軽食も用意されていた。まるで柔らかい日差しの下で楽しむ茶会のよう――実際、そうなるはずだった。
会談が円満に終わっていれば、ジルがフェイリスに出す予定だったものだ。小食の女王でもたくさん楽しめるよう、そして竜妃の名に恥じぬよう、レールザッツのシェフたちが用意した、宝石のようなお菓子たち。
今は窓も扉も閉め切られた会議室で、誰にも手をつけてもらえない。
「一方、ラキア山脈付近に配置された防衛軍と女王捜索用の軍が合流し防衛網を築いているのを確認しました。つまりベイルブルグは陽動――と言いたいところですが、ベイルブルグ側には南国王がおります」
絶妙に狙いを読ませない戦力配置だ。きっとロレンスの策だろう。
「女王の身柄確保をベイルブルグに伝えましたが、おそらく交戦はさけられないでしょう。私の孫は、アルカ討伐だと言われてそうですかと他国の軍に上陸許可を出すような間抜けではない。また、女王に与する裏切り者についてですが」
「んなこたどうでもいいから儂を解放せんかぁ!」
真面目な話し合いを、怒鳴り声が破る。肩をいからせて椅子に縛り付けられている人物に、イゴールがやれやれとばかりに嘆息した。
「うるさいぞ、愚弟。やっと顔を見せたと思ったら……犯罪者か、情けない」
「だったらこやつらに縄をほどくよう言え、クソ兄貴! これが十数年ぶりに実家に帰ってきた弟に対する仕打ちか、品行方正なレールザッツ公はどうした!」
「何が実家だ、お前の部屋なんぞもうないわ。なんならお前の顔を知ってる者もおらん。そういえば部屋の中のガラクタはどこへやったかのう」
「長年かけて集めた儂の収蔵品ーーーーーーーーーーーー!!」
「燃やされたくなかったらたまには役に立て」
縄で椅子ごと縛りつけられているロルフが歯ぎしりする。そのロルフを見事捕獲してきたカミラとジークは、それぞれ両側から話しかけた。
「ロルフおじいちゃんもお兄さんには弱いのねえ」
「その部屋には何があるんだ。伝説の武器とかそういうのか?」
「クレイトスから仕入れた魔術道具じゃ、制作者が死んでもう手に入らんっ……燃やしたら一生絶交だからな、兄貴!」
「お前の一生はもう聞き飽きた。いいから我々が何をすべきか――」
「儂が知るかそんなもん!」
断言したロルフの肩をカミラがつかんだ。
「おじいちゃん、調子悪い? 勢いよく振ったら出てくる感じ?」
「殴ったほうがいいだろ、刺激としては」
「やめんかお前ら、老人に対する労りを」
「方針が定まってないと言いたいんだろう」
ずっとジルの横で黙っていたハディスが、ぽつりと、でもよく耳に響く声で言った。誰とも目を合わせないまま、ハディスがうつむきがちに続ける。
「……ラーヴェ。女神の言ったことは、本当か」
ラーヴェは姿を現さない。ハディスの裡で、ハディスにだけ聞こえる言葉で、会話をしているようだ。
「……僕が聞きたいのはそんなことじゃない。もし今、天剣と聖槍が撃ち合ったら、お前はどうなるのかっていう……そうだな、女神には理がない。でも」
唇を噛み、笑おうとして失敗する。顔を半分覆っても、震える声は隠せない。
「お前は……――僕以外には、見えないし、聞こえない。誰にも」
ジルが何か言おうとする前に、ごんとにぶい音が響いた。いつの間にか立ち上がったイゴールが、杖の持ち手でハディスの頭を殴ったのだ。
「――竜神ラーヴェ様は、ずいぶんあなたを甘く育てたご様子ですな」
ぽかんとしていたハディスが、我に返ったのか口を開こうとする。それより早く、イゴールが怒鳴りつけた。
「ヒトを舐めるな、小童が! 神など普通の人間には見えず聞こえずが当たり前なのだ。まして我々ラーヴェの民は三百年、竜神を見失った。だからこそ陛下自身のお姿が竜神ラーヴェの神威に関わるのだというご自覚はおありか!!」
齢六十をすぎたと思えぬ鋭い眼差しが、ハディスもジルも射貫く。
「クレイトスのあのやりようは今に始まったことではない。先ほどのあの姿、大地の実り、奴らはヒトに神の姿を力を、目に見える形で示すのです。ずいぶん楽な布教でしょう。ヒトは大きなものに縋り、楽なほうに流されたくなるもの。まして愛などと言われれば悪いものとは思うまい。だが我々に言わせればそんなもの、子に何も教えず飼い殺す親と同じ!」
だん、と杖で床を叩く音に、ジルも背筋を伸ばしてしまった。
「ラーヴェ様はそうなるなと仰る。なのに他ならぬ竜帝のあなたが竜神ラーヴェが見えぬことに怖じ気づかれるとは、嘆かわしい」
「ラ、ラーヴェは!」
ハディスが言い返そうとして、途中で気まずげに目をそらす。
「ラーヴェは、悪くないよ……」
「でしたらそのように振る舞っていただきたいものですな。――あとお前!」
イゴールはずかずかとロルフのほうへと向かう。ロルフだけではなくそばにいるカミラもジークも背筋を伸ばしていた。
「なぜ自分は関係ないという顔をしている! 竜妃の騎士だろう、仕事せんか!」
「自分がどうしたいのかもわからん奴らに策なぞ立ててやる義理はない!」
「言われずとも主に道を提示するのが臣下だ! お前はいったい今いくつのつもりだ、あんな子どもに何もかも決めさせようというのか、この恥知らずが!」
「子ども……」
杖を振るうイゴールとそれを縄で縛られたままよけるロルフの喧噪を眺めながら、ハディスがつぶやく。ハディスの中から苦笑い気味にラーヴェが姿を現した。
「そりゃ、あっちにしたらお前なんてまだまだお子様だろうなぁ」
「……別に、大人なんて年齢を重ねただけの子どもだし」
「でもお前が皇帝で、竜帝だ。お前が決めるんだよ。どうする?」
ハディスの膝の上に乗って、ラーヴェが問いただす。
「天剣が聖槍に劣るかもしれないからって、白旗あげんのか」
「……お前は、いいのか。戦って、大丈夫なのか。女神の言っていたことは……」
「さあなぁ。でもあいにく、俺はぜんぜん負ける気しねーんだわ」
目を丸くしたハディスとジルの前で、ラーヴェが笑顔を引っ込めた。両翼をさげ、伏し目がちの金色の目で、遠くを見つめる。
「クレイトスは間違ってるからだ」
――それは、理の神としての確信に満ちた答えだった。




