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相手は囚人、面会の時間はさだめられている。しかもこのあとも予定が山積みだ。リステアードは頷き、アーベルに振り返った。
「さっきの話の続きは、また明日聞かせてください。きっとゲオルグ叔父上や、父上のお話ですよね」
「……物好きなことだ、負け犬の話を聞きたがるなど」
「負けたということは、戦ったということですから」
「勝ち組の余裕だな」
「僕は勝ち組などではないですよ。――兄の仇をとろうともしない負け犬です」
アーベルが驚いた顔をする。苦笑いを浮かべて、リステアードは灯りの当たらない床に、きょうだいには言えない本音をこぼした。
「僕は兄上の言いつけを守っているだけですから」
「おい、まだここにいんのか坊ちゃん!?」
階段を駆けおりる音と地下室に反響したヒューゴの大声に、リステアードは振り向き、顔をしかめた。
「なんだ騒がしい。君は待機じゃなかったのか」
「いいからあがってこい、大至急だよ!」
「急用ならここでかまわない、報告したまえ」
地下室におりてきたヒューゴは、ちらと奥のアーベルを見やった。
「義父上には相談済みだ。女王誘拐の件も、アルカの件もな」
がしがしとヒューゴは後頭部をかいたあと、リステアードに向き直った。
「クレイトス軍が動き出した。奴ら、国境を越える気だ。アルカ討伐のための上陸許可を求めてる」
「アルカ討伐だと? どういうことだ」
「こっちが聞きてえよ! しかもそれだけじゃねえ、ジェラルド王子が見つかった!」
ミハリが息を呑む音が聞こえるほど、地下室が静まり返る。
「――まさか、君の懸念した見つけてほしい荷物か」
「そうだよ! しかもご丁寧に棺に入れられて、意識不明の重体だ!」
「は?」
さすがに想定外すぎて、間抜けな返しをしてしまった。ヒューゴが苛立たしげに説明する。
「腹に穴があいてんだよ! 生きてるのが不思議な状態だ、運んでる最中に俺の部下の中で魔術の心得がある奴がみたが、魔術がどうこう、とても歯が立たねえっつってる」
「――いったい誰が」
「知るか、わかってんのはクレイトス軍がこっちに向かってきてんのと、この状態のジェラルド王子が見つかったらまずいってことだよ!」
ラーヴェ帝国側が、報復でジェラルド王太子に手をかけたと思われかねない。潔白を証明するには犯人をさがすことだが、クレイトス軍が国境を越えて向かってきている今、犯人捜しの時間などない。
(いや……アルカのせいに、できるのか。そうして交渉しろと?)
だが、クレイトス軍の国境越えの名目は、アルカ討伐だ。
「……ふん、どう言い訳しようと同じ結論になるだけだ。早いか遅いかの差だろうよ」
アーベルのつぶやきは、そのままリステアードの意見だった。視線を向けたリステアードに、アーベルが皮肉っぽい笑みを浮かべる。
「レールザッツにいる女王に竜を飛ばし、おうかがいを立てたらどうだ?」
「無駄です。話を上陸まで引き伸ばされるだけでしょう。これは南国王の暴走ではない」
即答したリステアードに、アーベルはつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「では戦うのか? 追い返せるのか」
「国境付近にいたクレイトスの船は十隻程度。うち、女王の捜索隊を運ぶ軍隊輸送船が半分なので、足止めは可能です。ですが……陽動の可能性が高いですね」
北方師団の防衛線を突破しベイルブルグを占拠するためには、船の数も兵の数もたりていない。特に船は制空権をとる竜に対して圧倒的に弱い。アーベルが人差し指でテーブルをこんこんと叩いた。
「確かに、クレイトスが保有する軍艦数の割合からしても、数が少なすぎるな。本命は、王道ならラキア山脈越えだが……我々が見抜くことをあちらもわかっているはずだ。現時点で陽動とも断言できん。しかも指揮官があの南国王とくれば、兵も精鋭中の精鋭。物量で簡単に追い払うこともできまい。――おとなしく竜帝にでも泣きついたらどうだ?」
ヒューゴが冷ややかににらむ。
「黙ってろよ、もとベイル侯爵様。――どうする、隊長」
まっすぐ問いかけられて、背筋が伸びた。
「住民には避難を呼びかけろ。ミハリ、お前はスフィア嬢が到着次第、帝都に向かえ」
「はっ? しょ、小官はまだ候補生とはいえ、軍人であります! 戦場を離れるなど」
「一緒に荷物を運んでもらう」
ただの一兵卒にはまかせられない荷物だ。察しよくミハリが両目を見開く。
「ヒューゴ、荷物の件は誰が知っている」
「……俺と、俺の部下三人。あとはここにいる連中だけだな」
「今後は一切口外せず徹底して隠せ。通信も傍受される可能性がある、使うな」
「竜帝に報告しない気か? 帝都にも?」
「ハディスには僕が口頭で報告する。帝都に報告する方法は、考えがある」
クレイトス軍が攻めてくるのだ。混乱している今の状況で手配すれば、ごまかしてしまえるだろう。
「その箝口令、私は従う義理はないな」
「ご協力お願いします。もっとも、あなたが口外すれば逆に信憑性が低くなるでしょうが」
アーベルは口元を引きつらせたが、反論しなかった。
改めてリステアードは周囲を見回す。
「情報と時間が必要だ。レールザッツと帝都にも、軍港からそれぞれ通信を飛ばせ。クレイトス軍には再度の警告だ。上陸許可は出さない。国境を越えれば攻撃するとな」
「いいのかよ、開戦になるぞ」
「こんな手段をとる輩が、アルカだけを討伐してお行儀良く帰国するものか」
苦笑いを浮かべるリステアードの意見を、誰も否定しない。ヒューゴが淡々と確認する。
「北方師団は戦闘準備に入る。だが、警告に出す隊はどうする。竜騎士団か」
「ああ、船相手にはそれが最善だ。――僕が出る」
「リステアード隊長! それは」
「ジェラルド王子の身柄を盾に交渉しろ」
投げやりな声が、背後から響いた。全員から視線を向けられたアーベルがそっぽを向く。
「ルーファスは息子に弱い。息子の嫌悪は本物だが、ルーファスのほうはフリだ。荷物の件、少なくともルーファスは承知しているとは思えん。なら、真っ向から戦うより足を止められる。体勢を整え情報を集めるための、時間稼ぎにもなるだろう」
「で、ですが、ジェラルド王子が意識不明の重体では……」
「そんなもの、アルカにやられたとでも言っておけ」
ヒューゴが苦い顔で黙っているのはそれも有効な手だと思っているからだろう。だがリステアードは首を横に振った。
「その手は僕も考えましたが、やめておきます」
「まさか、人質を使うのが心苦しいか? 高潔なことだな!」
「ジェラルド王子をこちらによこした者が、そうしてほしそうなのが気に食わない」
アーベルが静かになる。リステアードは声を張り上げた。
「ワルキューレ竜騎士団に伝達、急げ! ミハリ、あとは頼んだぞ」
嘆息してヒューゴが、唇を引き締めてミハリが敬礼を返す。地上へと踏み出したリステアードの背後で、またアーベルの舌打ちが響く。
「何が罠かわからぬこの状況で、真っ向からぶつかるなど馬鹿のすることだ。手駒にでもまかせておけばいいだろう」
「なら最適ではないですか。僕は、ハディスの手駒です」
アルカなど言い訳だ。クレイトスは最初から戦争を仕掛けるつもりでいる。だが、レールザッツで会談が行われる今、なぜ。ハディスは無事だろうか――とめどなく流れる思考をリステアードはいったん振り払う。
クレイトス女王がアルカに誘拐された際、ハディスは両国での捜索隊を許可した。しかし女王が見つかった今、改めてハディスの許可がない限り、いくらアルカ討伐を掲げようが、クレイトス軍の上陸は侵略に他ならない。
「僕がいる限りラーヴェの、ベイルブルグの土は踏ませない」
それが竜神が認めたラーヴェ皇族であり、竜帝ハディスの兄たるリステアード・テオス・ラーヴェの決断だ。
背後からもう舌打ちは聞こえなかった。




