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「今日はいい天気ですよ」
挨拶代わりの会話で一番いいのは、天気の話題だ。外の光を見られない彼にとっては皮肉にしかならないだろうが、平然とリステアードは続ける。
「夫人とお嬢さんは、岬にお出かけです。次はここを出てご一緒したいとの伝言を言付かりました。面会でも何度もお願いされているようですが――そろそろ僕と協力しベイルブルグの発展に再度尽力する気になりませんか、お義父上?」
「その気持ち悪い呼び方をやめろ」
苛立ったように、牢の中の住人――アーベル・デ・ベイルは書き物机からこちらへと、椅子ごと振り向く。
「妻と娘を懐柔すれば、私が協力するとでも思ったか」
「人聞きの悪い。次のベイル侯爵になる僕としてはのちのち遺恨が残っては困ると、誤解を解いたまでです。奥様もお嬢さんも不安だったんでしょう。アルカのようなあやしげな連中と関わるのは金輪際やめて、何かあれば僕に相談してくださるそうです」
「そのあやしげな連中を焚きつけ、妻たちが助けを求めるよう仕向けたのはお前だろう」
「僕はあやしげな連中を手順にのっとり捕らえただけ、そして奥様方には何か困りごとがあったら相談してくださいとお伝えしていただけです。個別案件を悪意的に繋げて、まるで自作自演のように言われるのは心外です」
「ぬけぬけと、私を馬鹿にするのも大概にしろ!」
「確かにあなたは決して尊敬できない人物ですが、レールザッツ公の腰巾着だった先代からベイルブルグを立て直した胆力の持ち主です。その気概も手腕も、僕は高く評価していますよ」
口もとをひきつらせるアーヴェルを、リステアードは両腕を組んで見返す。
一昔前まで、クレイトスとの貿易はレールザッツ公が一手に引き受けていた。そこに割って入ったのがこの男だ。関税率などを見直し軍備を整え先帝の親クレイトス政策に尽力し、独自の交渉ルートも得て、アンサス戦争も乗り越え、一代でベイルブルグをレールザッツと争う交易の要へと発展させた。よからぬ連中とのつきあいもあっただろう。だがこの男はその思惑すらもうまく乗りこなした――ベイルブルグ軍港襲撃を起こすまでは。
「ゲオルグ叔父上と懇意だったのは存じ上げてます。父上ともね。ですがあなたの目的はあくまでベイルブルグの発展でしょう。この期に及んで、あなたが得にしかならない僕の手を取らぬ理由がわからない」
「……ふん、お前のような恵まれた生まれの輩にはわからぬだろうよ。どんなに成功しようが所詮は妾腹の生まれ、そちら側にはいけなかった者のことなどな」
「だから妾だった後妻と娘を遇し、正妻だった前妻とスフィア嬢を冷遇したと?」
アーベルの前妻は、妾腹だったアーベルの血筋に箔をつけさせるためのお飾りだったと聞いている。呆れた眼差しを向けるリステアードに、アーベルは嘲りを返す。
「そうだ。イゴールの孫に嫁ぐ? あの女の娘なら喜んでそうするだろうよ! ベイルブルグをレールザッツの下に置いてこれが由緒正しきベイル侯爵の姿だと誇るがいい、ご褒美をもらった犬のようにな!」
「ご自分だって同じ穴の狢でしょうに」
「なんだと」
いきり立つアーベルに、リステアードは失笑した。
「亡きご夫人とスフィア嬢を由緒正しい血筋だというだけで愚弄する。それは由緒正しい血筋ではないというだけであなたを愚弄してきた連中と、何が違うんです?」
にらまれた。だがそれはリステアードの指摘が刺さった証拠だ。
「血筋ではなく実力に物差しを置くならばなおさら、スフィア嬢を評価すべきでしたよ。あなたがいなくなった途端、アルカの甘言にのせられる夫人とその令嬢など、ラーヴェ帝国の貴族として失格です。僕があなたの夫人を義母と呼ぶことは一生ありません」
助けはしたが、線引きは間違えない。
断言するリステアードに、アーベルが頬を引きつらせた。
「……ならばなぜ、私を義父と呼ぶ」
「あなたはハディスに刃向かったが、クレイトスにベイルブルグを売ってはいない。でなければクレイトス国内の不穏分子に武器の横流しなどしませんからね。あなたはジェラルド王太子に協力しながら、その分きちんと足を引っ張っていた。何より――」
椅子の脇にある小さな卓の上から、持ってきた報告書を取った。
「クレイトスの内情についてある程度の背景なら三公も把握しているでしょうが、ここまで詳細なものは僕も初めて見ました。たとえば、サーヴェル家を危険視しているクレイトス貴族の方々の存在などね。これは使える」
報告書の表紙を撫でる。保存のためにしっかりした表紙に挟んで綴じ直したが、元々の文書は一見メモとしか思えず、リステアードが再度調査を命じるまでに大部分が破棄されてしまった。残っていたものも、かすれて読めない箇所が多い。そういう、生きた情報だった。
「だが僕がこの報告書にあるクレイトス貴族に接触しても、丁寧な時候の挨拶が返ってきただけだ。逆に女王に報告を届けられるオチになりました。僕は相手にもされていない。まあ当然です、情報というのは信頼を担保に得るものだ」
リステアードは改めてアーベルを見据えた。
「これは数年でできることではない。何年もかけてあなたが培ったものです。先帝――すなわち、ラーヴェ帝国のために。そうでしょう」
竜帝が現れないラーヴェ皇族は、ずいぶん長く三公に実権を握られていた。その状況を打破したいがために、先帝メルオニスはクレイトスの助力を得ようとしたらしい。売国だと憤った三公を、リステアードは否定しない。だが一方でこんな見方もあるのだ。
先帝メルオニスは、三公の支配からラーヴェ帝国をラーヴェ皇族の手に取り戻そうとしたのだと。
「竜帝に処断された私の情報網を使いたいとでも? はっ、正気を疑われるぞ」
「新しくベイル侯爵になる僕があなたから引き継いで何が問題です?」
「レールザッツ公の後ろ盾があればなんでも強く出られて、結構なことだ」
「否定はしません。だが僕は、それ以上に竜神ラーヴェが認めたラーヴェ皇族で、竜帝の兄です」
アーベルの返事は舌打ちだけだ。リステアードは報告書をテーブルに置き直し、肘掛けに体重を預ける。
「ゲオルグ叔父上はラーヴェ皇族として埋葬されました。サウス将軍も今は軍務卿としてハディスのため働いている。僕もそれにならうべきでしょう」
「だから私にも慈悲をみせるか。竜帝といい貴様といい、お優しいことだ」
「今は国が一丸となってことに当たるべきだ。三公もそう考えています。クレイトスで女王即位など、前例がないですからね。ちなみにあなたなら何から手を打ちましたか?」
アーベルは答えない。リステアードは挑むように、正面からその顔を見た。
「僕は一代でベイルブルグをレールザッツと並ぶ都市へと発展させ、クレイトスに対しこれだけの情報網を築いてみせたあなたの手腕を学びたいのです」
何度目かのやり取りだ。いつもどおり沈黙だけがすぎていくとわかって、リステアードは繰り返す。
「ハディスの治世のため、我が祖国の未来のために」
「だが、それは私の夢見た祖国の未来ではない」
いつもと違う反応が返ってきて、リステアードはまばたく。それたままのアーベルの瞳は、どこか遠いところを見つめている。
「リステアード殿下、そろそろお時間です」
申し訳なさげにミハリから声がかかった。




