1
報告書を脇に抱え直して、リステアードは豪華な絨毯の敷かれたベイル城の廊下を進んでいた。等間隔にしつらえられた窓から差し込んでくる日差しは、柔らかい。
水上都市ベイルブルグは、造船技術の向上で北ラキア海の渡航が可能になってから、クレイトス王国との親和性が高い。まだ辺境の港街だった大昔に、プラティ大陸統一論に同調した学生たちが蜂起したこともある。当時、その事件を鎮圧したのがベイルという小さな荘園を持っている領主だった。彼は褒賞として当時の皇帝から領地と侯爵位を賜り、辺境の港街はベイルブルグと名を変え、ラーヴェ帝国内の大きな都市へと発展してきた。
なのにそのベイル侯爵が竜帝ハディスに弓引くとは、皮肉にもほどがある。
「お~、今日もお義父サマにご挨拶ですか」
城内の勤め人たちのためにある食堂から出てきた北方師団の軍人に、リステアードは顔をしかめる。
「ヒューゴ曹長。貴殿は今、軍港に詰めている時間では?」
「ほらその辺はリステアード隊長がお連れになった竜騎士団の皆様がこう、真面目にやってくださってるので」
ハディスがいきなり抜擢したというこの男は、ベイルブルグ付近を牛耳る山賊だか傭兵団の頭領だったとかで、部下ともども型破りだ。
「隊長はやめろと言っているだろう。僕はハディスの代理できただけで、帝国軍に所属しているわけではない」
「じゃあ期待をこめてベイル侯とでもお呼びしますかね」
ベイル侯爵位は今、皇帝ハディスの預かりになっており、次期ベイル侯爵はベイル侯爵令嬢スフィアの婿と決まっている。そのスフィアからリステアードはまだ求婚の返事をもらっていない。三公のひとつレールザッツ公の祖父を持ち、竜神ラーヴェに認められたラーヴェ皇族である彼の求婚に、侯爵令嬢の返事など必要ない。それでもリステアードは手順を無視していいとは思わなかった。
黙ってしまったリステアードの前で、悪びれなくヒューゴは笑っている。いつまでも笑われていてはかなわないと、リステアードは話を変えた。
「それで、結局何をしているんだ、君は」
「昨夜、街道沿いの検問の魔力感知が壊れたって報告があがってましてね。異常はないって話なんですけど、土地勘のある部下に周辺を調査させてるんで、その報告待ちです」
「報告待ちなら軍港にいてもいいだろう、大して距離は変わらない」
ベイル城は小高い丘に建っているが、軍港はそれほど遠くない。竜を使えば乗り降りの方が時間がかかるくらいだ。んん、とヒューゴが珍しく煮え切らない声をあげた。
「でも検問の魔力感知、一週間前に点検したばっかりなんですよ。なんかキナ臭くって」
「……魔力感知が壊れたのは、何か運びこんだせいだと言いたいのか?」
「っつーか、運びこまれた何かを見つけてほしがってる気がするんすよ。ヤバイもん運びこんだときは、魔力感知に引っかからないようにするのが基本っす。あるいは引っかかっても痕跡を消そうとする。壊したままにするのは素人すぎて、逆に、ねえ」
笑っているがヒューゴの目は鋭い。すでに何か違和感を嗅ぎ取っているようだ。
「それに、明後日くらいにはスフィアお嬢さんがくるんでしょ。隊長の求婚にうんと言わないご令嬢の歓迎会をすべく、仕事の合間にみ~んなこっちにきてなんやかんややってますよ。特にワルキューレ竜騎士団の方々」
ワルキューレ竜騎士団というのは、リステアードの私設竜騎士団だ。竜騎士の称号は帝国軍では士官学校卒業と同等の資格とみなされる慣例があるため、臨時的に帝国軍の軍人として組み込める。有事の際に役立つかと連れてきたのだが。
「あいつらは何をやってるんだ……」
「仕事はちゃんとやってますからいーんじゃないっすか、息抜きで。俺らも久しぶりにご挨拶したいと思ってますよ。みんなにお土産くれるんで、あのお嬢さん。明後日は宴会ですね」
「……わかった、僕の私費で場を設ける」
「おっさすがリステアード隊長。わかってくれると思いました」
「おだてても給与査定の権限は僕にはないぞ」
「え~その辺はこう、皇兄ってことでコネでうまいこと賄賂とかをですね」
「士官学校を卒業して将官でも目指せば、貴殿の給料はまっとうにあがるが?」
何度目かのリステアードの提案を、げえ、という無礼なひとことでヒューゴは切り捨てた。
「ガラじゃねーや。あと断言しますよ、皇帝陛下の覚えがいい将官とか絶対苦労する」
「このままいくと、君はミハリ少尉の指揮下に入ることになるが」
「それが理想っすねー。あいつは現場の指揮官を信じてくれるタイプっしょ」
あとだましやすい、などと無礼なことを言ってヒューゴは手をひらひらと振って行ってしまった。
しかたなく、リステアードも目的地を目指して再度歩き出す。
日差しが差し込む間隔がだんだんと長くなり、薄暗い回廊に差し掛かった。昼間だというのに壁には洋燈が灯されている。重厚な鉄の扉の前に立っている兵が、リステアードの姿を見て敬礼をとった。同じようにリステアードも敬礼を返す。
「ミハリ少尉候補生、中の様子は」
「変わりありません。殿下は、本日も面会でありますか」
リステアードが頷くと、ミハリは鍵を取り出し重厚な扉を開ける。そして角灯に火を灯し、扉から続く暗い地下に向かって歩き出した。
「いつもすまないな、少尉候補生に案内など頼んで」
「いえ、この城の構造にいちばん詳しいのは私なので!」
自慢げに胸を張る彼は、ベイルブルグ軍港襲撃事件の際、ハディスに命じられてベイル城の構造を徹底的に調査したらしい。その詳細な報告にハディスが目をかけて、士官学校へ推薦入学したそうだ。その措置に感動した彼は、ベイルブルグの軍港から街を隅々まで徹底的に調べ上げ、今や彼が知らない抜け道はないとかなんとか。
途中で折れ曲がった階段を降りると、いきなり視界の開けた地下室に出た。階段をおりてすぐの小さな机にミハリが角灯を置く。
広い地下室だが、奥はきちんと明かりが灯されており、視界に問題はない。日の日差しは届かないだけで。
「今日のご機嫌はいかがですか、お義父上」
舌打ちと一緒に、視線がこちらに向いた。 だが向くようになっただけましだと、リステアードはわずかに満足する。最初は無視だったのだから。
以前よりずいぶん痩せたそうだが、顔色は悪くない。シャツにベスト、ズボンという質素な格好だが、身なりは整えられている。食べ物や衣服、所持品、差し入れに至るまで鉄格子を越えるものにはすべて検閲が入っているが、不自由はないはずだ。賄賂に使われる危険性がある私物の所持は許されないが、金銭的価値のない装飾品は許されている。今日も、内側に文字が書かれただけの鉄の指輪を中指につけていた。痩せてちょうどいいサイズになったらしい。
「毎日毎日こんな地下牢にお出ましとは、ずいぶんお暇なようですな、ラーヴェ皇族は」
「お義父上に挨拶するのも僕の大事な仕事です。お気遣いなく」
「ここに拘束されるだけの哀れな身に、挨拶以外を期待されているのなら無駄ですよ」
「世間話をしにきているだけのこんな若造に、毎度そうかまえずともよろしいでしょう」
鉄格子の前に椅子を持ってきて、いつもの定位置に座った。




