アンサス戦争【若者よ、英雄となれ④】
当然気配もなく、光の柱が屹立した。王城のほうだ。
竜で上空を旋回していたロルフの竜が、突然高度を落とした。ロルフだけではない。周囲の竜もまるで押しつぶされるように、落ちていく。かろうじて姿勢を保っているのは、ゲオルグの赤竜くらいか。だがそれも重力に逆らえないとばかりに落ちていく。小さな竜に至っては、脅えたように王都から離れようと逃げ出していた。
「なんだ、竜が」
「撤退だ、撤退命令を出せ!」
竜の姿勢をなんとか制御して、王城のバルコニーにおりたロルフが叫ぶ。ちょうど捕虜の扱いに指示を出していたアーベルが振り返った。
「今、王城を制圧したばかりだぞ! 竜のことなら原因をさぐって――」
「いいから今すぐだ、どうせすぐとんぼ返りする予定だっただろ!」
クレイトス王国には転送装置がある。機密扱いでどこにどれだけの規模のものがあるか把握されていないが、少なくとも領地を持つ貴族は王都と転移できるようになっているのはわかっている。国境の防衛をまかせられているサーヴェル家なら中隊程度の人数を瞬時に王都へ転送できてもおかしくない。
それらを見越して、王都は占拠したと見せかけるだけの作戦にしていた。ここで撤退しても、ほとんど予定に狂いは出ない。王都奇襲の報を受けてこちらに向かうサーヴェル家と、綺麗に行き違うための工夫は必要になるが、それは自分が先導すればいい。
「竜がもっとおかしくなる前に、船に戻せるものは全部戻すんだ」
「だがまだ、クレイトスの王太子と王女が――」
きいんと耳をつんざくような音が響いた。咄嗟にロルフも、その場にいた全員が耳を塞ぐようにして身を縮ませる。王都の上空に、黄金の魔法陣が現れていた。
(――転送魔術!)
飛び出してきたのは、馬車だ。竜が落ちていく空を、馬車が走っていく。乗っているのは小さな女の子と、青ざめた顔で王都を見おろしている少年――アーベルが叫ぶ。
「ルーファス王子とローラ王女だ、追え!」
「無理です、竜が……っ竜が、動けません!」
地に墜ちて動かない竜、王都から離れようと必死になっている竜。とても追える状態ではないのは明白だった。空を駆けた馬車が地上におり、そのまま森の奥に消えていく。
「――撤退だ」
溜め息と一緒に、ロルフは繰り返した。アーベルは前髪をかきあげて唸る。
「ここまできて……」
「女神の国だってことだろ。今の魔術がもう一度こないとは限らない。傷が浅いうちに引くべきだ」
アーベルが唇を引き結び、頷き返す。
ロルフは周囲を見渡した。先ほどの光の衝撃で火はほとんど消し飛んでしまっている。そう簡単に王都は復興できないだろうが、こちらも竜が動かなければただ包囲されるだけだ。ただ、そろりと首を動かし始めている竜もいる――あの恐慌は一時的なものだったようだ。
(竜を墜とすなんて)
まるで竜帝のようだ。でも、クレイトスに? そんな馬鹿な。いやだが、女神が竜帝と戦うための装置として竜に対策を講じることはあり得る。
「なんでこんなとこに王都たててるんだかって思ったけど……さすが女神の国ってとこか」
空から攻めてくる竜に対する策はあったということだ。
しかし、そうまでしても斃れぬ竜帝というのは本当にどんな存在なのだろう。一度戦争でお手合わせ願いたいものだけれど。
「その前にサーヴェル家と鬼ごっこか……ああいうただ強いだけの集団って諦め悪くて、やなんだよな」
火の粉が薄くなった空を見て、息を吐き出す。
やはり、世界は一筋縄ではいかない。
■
欲を出して残った一部の軍から、王太子ルーファスが王都を奪還したのはそのわずか一週間後だった。
その手には、光り輝く恐ろしい武器が握られていたと、命からがら逃げ戻った兵が証言している。
しかし、王都アンサスはほぼ瓦解し、ラーヴェ帝国軍のほとんどはサーヴェル家の追撃から身をかわし、帝国へと逃げ戻った。
国王リチャードは、女神の園の焼け跡で眠るように息絶えていたという。
かくしてアンサス戦争はラーヴェ帝国軍の勝利で終わった。
一躍有名になったのは、王都アンサスを奇襲する策を立て、サーヴェル家の追撃をかわしきった十八歳のロルフ・デ・レールザッツ。だが若き英雄はそのまま雲隠れし、その名前と功績だけが伝説として語り継がれることになる。
その空白を埋めるように救国の英雄として祭り上げられたのは、ゲオルグ・テオス・ラーヴェ。
クレイトスとの協調路線を掲げていた皇帝の政策は頓挫してしまったものの、勲章を授ける皇帝は誇らしげで、惜しみなく弟への称賛を述べた――けれど。
(兄上はもう私と、目を合わさない)
冷たい勲章に触れて、ゲオルグは自嘲する。
それでも――それでも。
メルオニス・テオス・ラーヴェ皇帝の御代は続く。自分たちは間違っていない。
ラーヴェ皇族は、間違っていない。




