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やり直し令嬢は竜帝陛下を攻略中  作者: 永瀬さらさ
正史/神降暦1270年~1296年

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アンサス戦争【その花は、夢も葬る】

 大切な証拠である文書を預けてくれたのは、いずれフェアラート公、レールザッツ公となるあのふたりからの最後の希望であり、信頼だ。しっかり懐に入れて、兄がいるという後宮に足を踏み入れる。


「兄上はどこにいる」

「に、西の庭で散策を――あのゲオルグ殿下、こちらは男子禁制で」

「カサンドラ義姉上にはあとで私が詫びる。緊急だ、通せ」


 アーベルとラースを連れ、有無を言わさず押し通る。後宮の門を守る衛士はそれでも追いすがろうとしたが、ラースが人差し指を立てて微笑すれば、固まったように動かなくなった。

 後宮の妃たちの宮殿を横目に、西の庭へと続く石畳を大股で進む。


(確かこの先は、竜妃宮)


 竜帝しか使うことを許されぬあの場所は、廃墟じみていて使えたものではない。だがその前庭は竜の花が咲く美しい場所で、夜になるとまるで白く小さな花々が灯りのように浮かび上がるのだ。


「これが竜妃宮なんですね」


 アーベルは興味がなさそうだが、初めて後宮に足を踏み入れたラースが魅入ったように一度だけ足を止める。だが、すぐについてきた。

 誰もが目を奪われる幻想的な光景。それを、兄は柵を挟んで後宮の庭からよく眺めていた――まだ皇太子だったときは。

 そして皇帝になった今は、さびれた柵を越えて白い花畑に佇み、竜妃宮を見あげている。


「――兄上」

「なんだゲオルグか、どうした」


 酒を含んでいるのか、血色のいい顔で兄が振り向いた。

 手入れが入らない竜妃宮の敷地には、当然、灯りがない。だが月明かりとそれを吸い込んだ白い花々のおかげで、視界に不足はなかった。

 三百年前、竜妃が不貞を犯したとかで竜葬の花畑とも呼ばれる場所だ。周囲には誰もいない。けれど声を荒らげないよう、ゲオルグは無言で懐に入れた文書を差し出した。


「これは、本物ですか」


 兄は文書を受け取り、苦笑いを浮かべた。


「――どこから手に入れた? クレイトスからか」


 はっとゲオルグは兄の顔を見る。兄の眼差しも口調も、落ち着いていた。


「では、これはクレイトスの罠――」

「情報漏洩とは。案外、クレイトスの国王も手綱がとれておらぬのだな」


 文書を突き返された。呆然としたゲオルグを押しのけるようにアーベルが前に出る。


「陛下、これはどういった文書なのですか。本当に、陛下がクレイトスから間諜を手引きなさったのですか」

「余が許可したのであれば間諜ではあるまいよ。協力者だ」

「なぜ!」

「余が真のラーヴェ皇帝となるためだ!」


 それは、自分たちの望みだった。


「お前たちにはわかるだろう……! 三公をのさばらせたままでは状況は変わらぬ。そして、三公をつぶすには劇薬が必要だ」

「だからゲオルグ殿下が帝国軍を建て直しておられるんですんでしょう! 三公と対等に渡り合えるよう」

「三公にそれをわからせるには何が必要だ? 戦争だ」


 帝国軍は、軍なのだから。

 当たり前で、それでいて自分たちがまるでわかっていなかったことを、兄はあっさり告げる。


「三公が役に立たず、帝国軍の活躍でラーヴェ帝国が守られる。そういう戦争が必要だ」


 兄が、ゲオルグを見つめた。優しい、兄の眼差しだった。


「お前が必ず、英雄になれる戦争だ。そこからラーヴェ帝国が変わる」


 じわりじわりと、ゲオルグの胸の裡に理解が広がる。

 三公の内部に間諜を潜り込ませ、情報を抜く。皇帝が三公を監視し、制御するためならば必要なことだ。何も間違ってはいない。

 その協力を申し出た相手が、情報を渡す先が、敵国でなければ。


「――っそのあとはどうされるんです、帝国軍が見事クレイトスの侵攻をしりぞける。結構だ、ですがそれはクレイトスの自作自演の勝利です! 今度つぶされるのは三公ではない、ラーヴェ帝国だ!」

「クレイトス国王はそのようなことは望んでおられない」

「そのような保証がどこにありますか!」

「条項に盛り込んだ。その後、クレイトスとラーヴェは併合を目指す」


 あっけにとられたゲオルグたちに、悪戯が成功したような笑顔で兄が続ける。


「まず皇太子と、あちらの妹姫の婚姻を結ぶ。そしてその子どもが、プラティ統一帝国の皇帝となるのだ。無論、統一に時間はかかるだろう。だが、誰かがやらねばならぬのだ。余はそのためのラーヴェ皇帝となる」

「何を夢見がちな! おわかりか陛下、これは売国――」


 言いつのろうとしたアーベルを片腕で押しとどめて、ゲオルグが前に出た。兄が、わずかにうしろにさがる。


「兄上。お気遣い、嬉しく思います。兄上が私のことを考えてくれた故の策なのですね」


 ほっとしたように兄が表情をゆるめる。それがまた、悲しかった。

 兄はわかっているのだ――自分のやっていることは売国に等しいと。とてつもない、奇跡のような希望的観測の上で、自分の願望を語っていると。


「ですが私は、クレイトスに勝利をお膳立てしてもらわねばならぬほど、おちぶれてはいない」


 見開かれた兄の目に、自分はどう映っているだろう。裏切り者だろうか。


「この文書はなかったことにさせていただく、兄上」

「なぜだ、ゲオルグ。お前は……!」

「兄上の気持ちはわかります。さぞ、悔しい思いをなさってこられたでしょう。ですがそれでも。三公とクレイトス、どちらかを飼い主にしなければならないなら、三公のほうがましなのです」

「そのようなことはない! クレイトス国王は余を支持してくれている。ラーヴェ皇族を案じておられる!」

「では、このような密約ではなく、ラーヴェ帝国に訪れ、人前で兄上に跪き、併合の会談を申し込んでくるべきです。兄上は、本物のラーヴェ皇帝なのだから」


 そうしないのは、兄をそういう相手と認めていないからだ。兄の瞳がゆらいでいる。

 それを見て、はじめて怒りがわいた。兄にではない。

 兄の苦しみに付け込んだ、狡猾なクレイトス国王に。


「ご安心ください。クレイトス国王には、それ相応の報いを受けていただきます」


 兄に、売国などさせない。

 兄は、ラーヴェ皇帝なのだから。


「……ゲオルグ……お前、まさか」


 兄の目にうつる自分が、ぼやけた。


「三公に、余を売るのか」

「は?」

「皇帝に、なるつもりか。お前が」


 意味と受けた衝撃をゲオルグが自覚するより先に、兄が声を立てて笑い出した。


「そうかそうか、そういうやり方もあるか! だがどんなに三公に媚びたところで皇帝などむなしいものだぞ」

「兄上、私は」

「皇帝など、所詮竜帝を生むためだけの種馬よ!」


 何度も自身を蝕んだだろう言葉を吐き出し、兄が嗤う。目尻をにじませた涙が視界をゆがませるのか、足をもつれさせ転びそうになる。支えようと伸ばしたゲオルグの手は、はねのけられた。


「好きにすればよい」


 大した強さなどなかったのに、拒まれた手のひらがじんと痛む。


「……メルオニス様は、お疲れなんですよ」


 そっとゲオルグの腕を押さえたのは、ラースだった。


「ここは僕におまかせください」


 時間がないだろう。そう目配せで示され、ゲオルグは奥歯を噛み締めたあと、頷く。


「兄上――いえ、皇帝陛下。いってまいります」

「……」


 兄は何か答えようとして、顔をそむけた。アーベルに袖をひかれ、ゲオルグは踵を返す。


「メルオニス様、休みましょう」

「ラース……お前は、わかってくれるか」

「ええ、わかりますよ。大変なお役目です。おつらいでしょう」


 錆びた門扉をくぐろうとしたとき、風が吹いて、名残のように振り返ってしまった。

 ラースが兄の肩に手を置いて微笑む。微笑むだけで、白い花々の光がかすむ。月の輝きも翳る。あの男の前に出ることを、恥じるように。


「でもその苦しみこそ、他の誰でもない竜神ラーヴェ様が、あなたを皇帝と認めている証ですよ」


 兄があえぐように、すがるように、両膝を突いて泣く。

 その姿を見ないようにして、ゲオルグは早足でその場を離れた。きっと兄も見られたくないに違いないとわかっていた。


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