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やり直し令嬢は竜帝陛下を攻略中  作者: 永瀬さらさ
正史/神降暦1270年~1296年

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アンサス戦争【若者の夢の道④】


 フリーデンが命じてもいないのに、高度を落とす。そしてその面差しにひれ伏すように、決してその風が線の細い身体を傷つけないように、静かに静かに地上へと降り立った。


「ゲオルグ・テオス・ラーヴェ様?」


 問われるままに頷いてから、我に返った。

 少し高めの声だった。かなりの距離があるのに、まるで鈴の音のように、耳に心地よく響く。


「すみません、お騒がせして」


 ふわりと一歩前に出る動作を見て初めて、目の前にいる生き物が人間で、男なのだと気づいた。ぎこちなく視線を周囲に動かそうとして、だができないことに気づく――吸い込まれるような瞳が、目が離すことを許さない。


「何事、だ」


 腹に力をこめ、手綱を握り直して問い返した。

 男が困ったように小首を傾げ、視線を背後に移した。自然と、男が指し示す方向へと視線が動くことで、やっと許しを得たように止め絵だった背景が動き出した。


「た……隊列を、乱したって」


 喘ぐように先に口を動かしたのは、新兵たちだ。そういえば目の前のこの男も、新兵を示す記章をつけている。


「じょ、上官が、こいつを連れていこうとして、だから」

「そ、そうです。こいつだけを執拗に責めたんです」

「横暴だと、思って……だから俺たちは、止めようと」

「い、言いがかりです、大佐! こいつは、許可なく魔力を使おうとしたのです! だから指導が必要だと」

「静かにしろ!」


 動揺しているのか、部下までまったく話が要領を得ない。そもそも報告をしろと言われて新兵から話し出すのが異常だ。軍の上下関係の厳しさは新兵であっても叩き込まれているはず。それが。


「僕が悪いんです」


 ――それが、この声ひとつで、規律も何もかもゆがませる。


「上官殿は至らぬ僕を指導しようとしてくださっただけ。同輩はよろけてしまった僕を支え、助けようとしてくれただけです。ですので、罰するのなら僕だけに」


 まぶたを伏せたその姿は、まるで殉教者のよう。なのに、誰一人触れられぬ気高さがある。

 供物を差し出されたゲオルグを、皆が見ている。まるで羨むように。

 一方で、ラース本人は眇め見るゲオルグの視線にも動じた様子はない。度胸は据わっているようだ。乾いた唇を動かす。


「お前……」

「ラースと申します」


 知りたいのだろうと、ささやくように答えが返ってくる。

 そこでやっと、かちんときた。


「上官の許しを得るまで答えるな」


 きょとんとラースと名乗った青年がまばたいた。そのあどけない表情は子どものようで、妙に愛くるしい。


(子ども――そう、子どもだ)


 今回入隊を許された新兵は全員、まだ十代。軍人の訓練を受けてきたはずなのに線が細く見えたのは、まだ成長しきっていない身体だからだ。

 確かにこの美しさには驚いたが、美しいだけの子どもに脅える道理などゲオルグにはない。


「報告はあとで聞く。今すぐ隊列を整えろ、新兵ども!」


 あたふたと皆が動き出した。部下も我に返ったようで、いつもどおり指示を飛ばし始める。

 ひとり、ぽつんと佇んでいるラースの肩を、ゲオルグはつかんだ。


「お前も並び直せ」

「――大佐、あれは皇帝陛下では?」


 問われ、振り返った。アーベルをつれた兄が、ゲオルグに手を軽く上げようとして、驚いたように足を止める。

 隣の男に驚いたのだろうと、わかった。

 だが次の瞬間、それ以上に驚くべきことが起こった。

 ラースがその場で跪いたのだ。


「メルオニス・テオス・ラーヴェ皇帝陛下」


 弾むような声だった。まるで運命のひとに巡り合ったときのような。


「お初にお目にかかります――ああ、陛下にこんなに早くお会いできるなんて」


 胸に手を当てて兄を見あげる瞳が、きらきらと輝いている。兄はぎこちなくゲオルグとアーベルに目配せした。


「いや――今日は、お忍びのようなものでな」

「左様でございましたか。すみません、感動してしまって。では騒がしくしてはいけませんね」


 ラースが跪いたまま困ったように笑う。兄もつられたように笑い、尋ねた。


「す、すまぬな。お前のような男は一度見れば忘れぬと思うのだが……どこかで会ったことがあるか?」

「いいえ、陛下はご存じないと思います。僕の一方的な憧れですから」

「……私を……?」

「はい。当然でしょう? 竜神ラーヴェから至尊を授かったラーヴェ帝国の正統なる皇帝陛下」


 歌い上げるような声で兄を讃えて、ラースが深々と頭を垂れる。


「我らが皇帝陛下。至らぬ我が身ではございますが、これより帝国軍人としてお仕えさせてください」


 目を見開き、頬を紅潮させた兄が口元を押さえたあと、何度も頷く。まばゆい王冠を授けられたように。

 呆然と一連の流れを見ていたゲオルグは、ラースが立ち上がったところで我に返る。驚いていたことを気取られぬよう、にらみつけた。


「勝手な行動は控えろ」

「申し訳ありません。嬉しくて、つい」


 無邪気な声色にも、明るい笑顔にも、嘘は感じられなかった。

 この男はラーヴェ皇帝たる兄に会えて本当に感動しているのだ――誇らしい気分になると同時に、気を引き締める。問題を起こした新兵だ。甘やかしてはならない。

 早く隊列に戻れと肩を押す。よろけることなく、ラースは歩き出した。体幹はいいようだ。身つかんだ肩も決して薄くはなかった。何よりもラーヴェ帝国では珍しい魔力を感じる。

 ――掘り出し物かもしれない。


「いい子ではないか」

「……あれが、軍人ですか? あの顔……というか、存在感というか……向いていないのでは。文官ならまだしも」


 兄がにこにこしているのとは対称的に、アーベルは困惑している。


「鍛えてはいるようだ」


 立ち去る背筋も綺麗にぴんと伸びて、足運びにも無駄がない。


「私の部隊に入隊できるのだ。無能ではない。お前だとて、成績なり技能なり最低限のチェックはしているだろう。身元も」

「……それはそうですが……問題しか起こさないのでは、あれは」


 確かに、整列して上官からの訓示を聞くというだけの行事が、この混乱だ。


「――ともかく話を聞いてからだ」


 ゲオルグの答えが聞こえたように、ふとラースがこちらを振り返る。潮風に吹かれて微笑む姿は、やはり美しかった。


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