アンサス戦争【若者の夢の道①】
問題は翌年に起こった。
国境付近で、ノイトラール竜騎士団が荷を運ぶクレイトスからの不法入国者たちを処分、捕縛したのが発端だ。不法入国者とされたのはフロリス商団というクレイトスでも大きな商団だった。
死亡者も出したこの事件は、ラーヴェ帝国の竜騎士団がクレイトスの商団・民間人を誤射したとして、兄の大きなつまづきとなった。
ノイトラール竜騎士団は、不幸入国相手への防衛であり誤射ではないと譲らなかった。一方で商団のほうは、今後も貿易をしたければ、ノイトラール竜騎士団を即刻国境から引かせろと要求してきた。
ラーヴェ帝国としては、サーヴェル家と渡り合うノイトラール竜騎士団を国境の警備からはずすなど絶対に呑めぬ要求だ。そもそも本当に迷ったのか、誤射を誘発したのではと憶測と疑惑が飛び交った。
結局、手打ちに持っていったのはレールザッツ公だ。
商団には遺族への賠償金を払い、関税を一定期間だけかけない措置をとる。そのかわり国境の警備はこれまで以上に厳しく、入国審査も徹底する。
結局、兄の作った自由貿易の条約は、形だけを残し中身が瓦解した。
いや、遺族への賠償と関税の件を考慮すれば、負債を作っただけだった。
貿易という形で形だけ整えておきながら、いざ事件が起きたときに調整ができなかった兄への批判でさえ、フェアラート公が取りなす形になった。
それだけではない。
誤射と認めぬレールザッツ公に反発したクレイトスの商人は、自然とベイルブルグに集中することになった。かろうじてクレイトスとの関係は残ったと思いきや、レールザッツ公の手駒で有名なベイル侯爵は、せっせとその排除に動く。これでは友好も何も築けたものではない。
さすがにクレイトス国王から直々に苦情がきてもおかしくない頃合いに、仄暗い目をしてアーベルがゲオルグの執務室を訪ねてきた。
「父から爵位を取りあげます」
兄のはからいで、アーベルは大尉になったゲオルグ付きの文官になっていた。兄との連絡も密にとれるし、いずれ私軍を持つため軍に一度は身を置いて人脈を作っておきたいというアーベルの希望とも一致している。
「クレイトスから何か言ってきたのか?」
「まだです。まだのうちに、手を打たねば。あれをベイル侯爵にしておいても、もはや我々の害にしかならない」
「気持ちはわかるが、兄上は反対するだろう」
爵位を取りあげるには、皇帝から剥奪されるか自ら返上するしかない。すなわち現ベイル侯爵に何かしら罪を着せるか、最悪儚くなっていただくか。どれも、優しい兄が賛成するとは思えなかった。
「大丈夫です、すでに父上に自ら退いてもらうよう動いています」
「どうやって」
「表向き仲のいい親子なんですよ、うちは。ご存じでしょう。私は出来がいいですからね、欠点は妾腹の子であることだけですよ」
皮肉っぽく笑うアーベルが父親といるところを見たときは、ゲオルグも正直目を疑った。いかにもベイル侯爵子息らしく、物腰低く、三公にも敬意を払う。ゲオルグも丁寧な挨拶を受けて、背筋が粟立った。兄はそんなゲオルグが面白かったようだが、ゲオルグとしては思い出すだけで渋面になってしまう。
「父親はあとは由緒正しき血筋のご令嬢と結婚して子さえなせば、血筋もそろって完璧だと私を認めてますので。とはいえ父ももう高齢です。くたばるまで待つつもりでしたが、父おすすめのご令嬢と結婚しさえすれば爵位を譲っていただくのはたやすいでしょう」
「いいのか」
貴族の子息たる者、政略結婚に今更異などなかろうが、アーベルの父が勧めるご令嬢ということは、アーベルのやりようを認めないと考えたほうがいい。下手をすれば、レールザッツ公からの干渉がますます激しくなるかもしれない。
このまま一生、アーベルが家族に本心を見せずに生きていくことを考えると、哀れだった。何より、アーベルには恋人がいたはず――
「いいのですよ」
思いがけず優しい声でアーベルは言い切った。
「ずっと考えていた手ではあります。ここでクレイトスの信を失うほうが、のちのちに響く。相手はいかにもきちんと躾けられた貴族の女です。金と子種をやって面子を保ってやれば、邪魔はしないでしょうよ」
「……もし、お前のやりように口を出すような女性であれば」
「父よりは簡単でしょう。陛下には女は鋭いぞなどと言われましたが、まあうまくやりますよ。――でないと、陛下がお疲れになるばかりだ」
「まさか、兄上に何かあったのか?」
「後宮の後継争いがね。レールザッツの女狐がずいぶん派手にやっています」
ああ、とゲオルグは相づちとも呆れとも取れぬ声を吐き出した。
「義姉上はどうしておられる」
「なんとか大事にならないよう手を回してらっしゃいますが、いかんせん相手が馬鹿すぎます。最近は皇太子は自分の息子なのだから第一皇妃は自分であるべきと言い出す有り様ですよ」
「そんな馬鹿な理屈があるか。慣例にすらない」
「でなければ竜妃にしろと」
啞然とした。ゲオルグの表情が面白かったのか、アーベルも微苦笑を浮かべる。
「三公が陛下に竜帝と同等の神威を認めるというなら、悪くない案ですがね。さすがのレールザッツ公も頭を抱えているようですよ。娘の教育を間違ったとね。いかんせん息子の出来がよすぎるものだから、娘を甘やかしたのが敗因です。レールザッツ公の評判まで落ちているのがせめてもの救いですが、陛下はそう思いますまい。ここでもし、クレイトス国王にまで切られてしまっては……」
兄は優しい分、繊細だ。心が弱いところがある。ゲオルグもアーベルの懸念を笑い飛ばせなかった。
「最近は竜帝が生まれれば、などと弱気なことをおっしゃる有り様だ。もちろん、陛下が竜帝の父となられるならそれはそれでめでたいことなのですがね。後宮もおとなしくなるでしょうし」
「何番目の皇子だろうが、竜帝であればその子が皇帝となるからな」
「――そういえば、ゲオルグ殿下の子が竜帝になる可能性はあるのでしょうか?」
思いがけない質問にゲオルグは目をまばたかせた。アーベルでなければ兄を愚弄するのかと怒るところだが、アーベルは純粋に思案しているようだ。
「ラーヴェ皇族から生まれる、という枠組みで考えれば、可能性がないとは言い切れないが、前例はないな」
「それか、前例が消されたかですね」
竜帝の父となった者が皇帝でなくてはおかしいと、逆算された――そんな歴史が隠されていたとしても、特に驚かない。
それほどラーヴェ帝国にとって、竜帝という存在は重い。
「……私は子などなさぬほうがいいのかもな」
真剣につぶやいたのに、アーベルが噴き出した。
「ゲオルグ殿下の子が竜帝であったなら、そのときは陛下の子として養育してもらえばいいだけのことでしょう。あなたはそうできる。できぬ場合にトラブルになるのです」
「……それは、そうだな」
「そうです。陛下が心配しておられましたよ。ゲオルグ殿下は仕事ばかりで浮いた話のひとつもないと。それでは困るとね」
ゲオルグは眉間に皺を刻む。
「結婚など、策のひとつだろう。兄上かお前が決めればいい」
「……こうなるとあなたが順調に出世しているのだけが頼りですね。赤竜フリーデンに騎乗する若き皇子というのは、帝国軍強化に格好の宣伝材料です。あなたに憧れてライカから帝都の士官学校へと入学した者もいるとか?」
「サウスのことか? あれなら軍人になるのはまだ先だ」
以前、ライカ大公国で大公に不満を持つ輩が小競り合いを起こし、大公の要請で鎮圧に向かった。ライカ大公国にも帝国軍はいるのだが、役に立たなかったのだ。本国から左遷されたとその鬱憤を晴らすためか横柄に振るまい、反発を買っている有り様だった。優秀な軍人を輩出するラ=バイア士官学校の卒業生が、三公の竜騎士団に引き抜かれてしまうのも道理というものだ。
圧倒的戦力を見せつけ敵の士気こそ挫いたが、肝心のライカ大公が頼りない。祝宴での話題も今後の防衛ではなく、兄メルオニスに娘を嫁がせたいという話しかしなかった。
ゲオルグたちに救出された子どもたちは感謝と尊敬の目を向けてくれたが、親を亡くした子も多かった。その中でサウスという少年が、ゲオルグに恩返しをするため仲間たちと一緒に軍人になりたいと言い出したので、士官学校へ口利きをしてやったのだ。
「ですがあなたの人気はうなぎ登りだ。本当に、すぐ暴力沙汰を起こしていた子どもがよくぞ成長したと思いますよ」
「どうした、お前が素直に評価するなど」
「まったくです。疲れてるんでしょう」
傲慢な男の珍しい弱音に、ゲオルグは唇を引き結び、再び開く。
「まだまだ時間はかかるだろうが、帝国軍はまかせておけ」
士官学校を首席で卒業し、皇帝の後押しと赤竜を持つゲオルグは、いくつか階級を飛ばして異例の出世をし、すでに隊を持つ身だった。身内贔屓という声はすべて実績で握り潰していく。それだけの実力が自分にはある。
そしていずれは三公に頼らずともクレイトスと渡り合える、そんな帝国軍を作ってみせる。
「それで、どうするのだ。ベイル侯爵と軍属の兼任は難しいだろう。やめるのか?」
「……ああ、そうなりますね」
初めて気づいたというような顔に、ゲオルグは呆れる。
「さっきも言ったように軍は私にまかせておけばいい。だが、まだお前も配属されたばかりだ。ほしい人脈は得られたのか」
「いえ……」
「では本末転倒ではないか。それに私も今、お前がいなくなると困る」
アーベルの事務処理能力は高く、隊を持ったばかりで不慣れなことも多いゲオルグの補佐を立派に務めてくれていた。
「ベイル侯爵の件は確かに問題だが、レールザッツ公だとて馬鹿ではない。限度はわきまえて諫めるだろう。三公だとて、クレイトスと事を構えたいわけではないだろうからな」
「……それは、そうですね」
「爵位を継ぐ件はもう少し考えてみてはどうだ。急いては事をし損じるともいうし」
深く息を吐き出したアーベルは、やっと両肩の力を抜いたように見えた。
「……私としたことが、焦っていたようだ」
「気持ちはわからないでもない」
「わかっていただかなくて結構」
切り捨てたアーベルに、ついゲオルグは笑ってしまう。
「調子が出てきたではないか」
「……今はひとまず、あなたを手伝うことを優先します。あなたがうまくいっているのだけは確かだ。ここでつまづかれては本当に台無しです」
「つまづきなどしない。それで? やめるのか、やめないのか」
「いつでも手を打てるように、婚約者と顔合わせだけはしておきます」
そう抜け目なく安全策をとっていくほうが、アーベルらしい。
「そうか、わかった。好きにすればいい」
「言われずとも。それこそ、私よりあなたの結婚のほうが使え――」
途中で止まったアーベルに嫌な予感がした。大体、アーベルがこうして考えこむのは悪巧みをしているときだ。
「なんだ、今度は何を思いついた」
「――ラーデアですよ」
「ラーデア?」
北はノイトラール領、南はレールザッツ領にはさまれた竜妃の所領だ。竜妃がいない場合は、皇帝の命令でラーヴェ皇族が代理領主になることが多い。だが、あまりうまみのない領地だ。ラーヴェ皇族の左遷先と揶揄されることもある。
だがゲオルグはアーベルの狙いを正確に読み取った。
「私に、ノイトラールとレールザッツに一任されているクレイトスへの牽制をになえということか。クレイトスと対等な関係を維持するために」
「ええ。そうすればこの間のような事件でも、また別の解決がとれます」
ノイトラール竜騎士団を引けという相手の要求は絶対に呑めないものだった。だがもしゲオルグがラーデア公で、大きな軍事力を持っていれば、ノイトラール竜騎士団を一時的に謹慎させるくらいはできたはずだ。
「陛下に提案してみます、よろしいですね」
「かまわないが、まさか私の結婚相手も見つけてくる気ではあるまいな」
「ラーデア公は一代限りで世襲ではありませんよ。――安心されました?」
小馬鹿にしたように言われ、むっとしたが口を閉ざす。いつもの嫌みったらしい笑みを浮かべられるようになったなら、結構なことだ。よかった、などとはもちろん口にしないが。




