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やり直し令嬢は竜帝陛下を攻略中  作者: 永瀬さらさ
正史/神降暦1270年~1296年

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アンサス戦争【平和を望む者】

 さいわい、ゲオルグには本当に戦闘の才能があった。ラーヴェ帝国では珍しい魔力にくわえ、体格のよさ。あっというまに同世代たちを追い越し、十二歳になる頃には帝都のラ・ジェード士官学校の入学を決めた。

 その頃には、兄は亡き父の跡を継いで皇帝になり皇太子も生まれていて、皇子ゲオルグが軍人になることを反対する者など皆無だった。そもそも進退を気にする者は兄以外いなかった。


「きたな、ゲオルグ」

「兄上に呼ばれるのなら、いつでも。ですがいい加減、後宮に呼び出すのはやめてください」


 すでに後宮への出入りは、はばかれる年齢だ。出入り口で待っているゲオルグの方向へと、兄がやってくる。


「ここがいちばん気兼ねなく話せるもので、ついな。荷造りは終わったか。明日から士官学校の寮に入るんだろう」

「はい」


 そこまで言って、ゲオルグは兄の背後、ぎりぎり後宮の敷地内に立っている第一皇妃の姿に気づいた。


「義姉上。お久しぶりです」

「ゲオルグ殿下。ラ・ジェード士官学校へのご入学、おめでとうございます」

「有り難うございます。義姉上も、お元気な姿を見られて安心しました」


 同じフェアラート公縁ということもあり、彼女が皇太子妃だった頃から顔見知りである。祝辞を送る義姉の微笑みは、義弟に向ける親しみがこもっていた。


(顔色は……いいみたいだな、よかった)


 以前会ったのは、まだ皇太子妃だった彼女の第一子の葬式だった。初産で母子ともに危険な状態になり、生んだ赤子は産声をあげなかったのだ。兄のはからいで第一皇女として名前を与えられ葬儀が執り行われたものの、ひっそりとしたものだった――ほとんど同時期に、のちの第三皇妃が第一皇子を生んだからである。


「ゲオルグ殿下が帝国軍人としてラーヴェ帝国の支えになれば、メルオニス様も心強いでしょう。ご活躍される日を、心待ちにしております」


 ゲオルグは素直に頷き返した。

 他の三公から嫁いできた皇妃たちと違い、皇帝たる兄のうしろにいつも付き従う、落ち着いたこの義姉をゲオルグは好ましく思っていた。兄の味方で、義姉だと思える皇妃は今のところ彼女だけだ。第一皇子誕生と新皇帝即位にわく裏で、第一皇妃とは名ばかりだと日陰に追いやられても、妃としてゆらがぬ彼女の生き様は尊敬できた。

 気の弱いところがある兄を馬鹿にするでも操ろうとするのでもなく、辛抱強く話を聞き、一緒に考え、助言をするに留める思慮深さ。竜帝誕生の役目は自分こそがと息巻く女たちがひしめく後宮で、こんな女性が第一皇妃であったのは兄にとって幸運だろう。

 だが、次の皇太子は第三皇妃の生んだ第一皇子になるだろう。第三皇妃はレールザッツ公の娘だ。何度か顔を合わせているが、物静かなカサンドラとは対比にいるような女である。あの自負の高さと立ち回りのうまさは弱気な兄を助けることもあろうが、香水のように不和を振りまいて歩くようなずる賢いあの女に、国母がつとまるのだろうか。

 もし、竜帝を生むならばカサンドラであってほしい。ついついそういう期待をしてしまうゲオルグを知ってか知らずか、カサンドラはいつも微笑んでいる。


「餞別を気に入ってくださるとよいのですが」

「餞別ですか?」

「カサンドラ、まだ内緒だ」


 兄にたしなめられた義姉は、まばたいたあと苦笑いして「失礼しました」と一歩さがってしまった。こうなるとカサンドラからは何も聞き出せない。上目遣いで兄を見ると、まるで悪戯っ子のような顔で笑みを返され、ついてこいとうながされる。

 宮殿を抜け、見えてきたのは帝国軍の駐在する区画だ。皇帝がこんなところにとゲオルグは顔をしかめるが、兄の足は止まらない。訓練場を横目に通りすぎ、兄が足を止めたのは竜たちが羽を休める竜舎だった。

 既に話がいっているのか、兄とゲオルグの姿を見るなり敬礼を返した帝国軍人が、中から一頭の竜を抱えてくる。まだ人間の子どもくらいの大きさの竜のぱっちりした目は、金色だった。だが小さな身体を、翼を覆うその鱗の色は。


「赤竜……!」

「私の竜の仔だ」


 兄の竜は黄竜の雌だ。番に選ばれたのも、同じ黄竜だった。この場合、黄竜になるか下位の竜が生まれるのが通常である。

 だが、竜は自分より上位の子竜を生むことがある。突然変異だとか先祖返りだとか理由は解明されていないが、いずれも珍しく、しかも赤竜となればおそろしく低い確率での誕生になる。


「合格祝いだ。お前が挨拶してみるがいい」

「いいのですか。兄上の竜の子なのに」


 子竜は、成竜よりも挨拶を返す確率が高い。世話をすれば、その確率はさらに跳ね上がる。ラーヴェ皇帝なのに赤竜ではなく黄竜に乗る兄をひそかに笑う声もあったはずだ。

 だが兄は、一笑した。


「私は彼女だけで十分だよ」


 竜舎から連れ出された子竜を心配するように、兄の竜がこちらの様子をうかがっている。


「だが幼くとも赤竜だ。了承してもらえるかわからないぞ?」


 笑われ、むっとしたゲオルグは咳払いをして、一歩踏み出す。

 地面におろされた子竜は、脅えた様子もなく周囲を見回し、ゲオルグに目を向けた。

 自分よりはるかに小さな身体だ。だがじっとこちらを見る目には、静かな威圧感があった。

 こんな子竜でも襲い掛かられたら怪我をするし、火でも吐かれたら一大事だ。

 深呼吸をし、ゲオルグは胸に手を置いて跪いた。ちょうどそれで子竜と視線が同じ高さになる。だが頭を垂れ、さらに視線をさげた。


「どうか、ラーヴェ皇族の安寧のために」


 赤竜がいれば竜騎士団をまるごとひとつ手に入れたようなものだ。


(竜神ラーヴェよ、俺に力を)


 天剣を見失い、竜帝も誕生せず、ただただ三公の言いなりにラーヴェ帝国を動かすだけ。竜神より預かった皇帝の冠が、ただの飾りになってしまう前に。

 さげていた頭に、重みが増した。頭を小さな爪でつかまれ、よじ登られる。遠慮なく移動した重みは、やがて肩のあたりで止まった。


「ギャオ」


 前を向け、というように後頭部の髪を引っ張られ、顔をあげる。背後を見ると、子竜が肩車の要領で乗っかっていた。

 竜の挨拶の返し方は様々だ。それぞれの竜の個性が出る。だがひとつ、変わらぬものがある。認めなかった人間には、逆鱗と呼ばれる、顎の下にある逆さの鱗を決してさわらせない。触れれば子竜だろうが怒り狂う。

 その竜の逆鱗が今、ゲオルグの頭の上に乗っている。

 しばし考えて、顔を輝かす。


「兄上!」

「まあ、お前なら認められるか」


 苦笑い気味の言葉に立ち上がろうとして、だがすぐに転げ落ちてしまいそうな子竜のことを思い出し、慎重に慎重に動く。ころん、と子竜はゲオルグの両腕に落ちた。が、すぐに小さな翼を動かして浮き、地面に着地した。


「あっおい」


 なんだ、と問うように振り向かれた。その目ははっきりゲオルグを認識している。ほっとすると、小馬鹿にするように鼻を鳴らされた。いささか頭にきたが、こんな子竜に怒るのも大人げない――いや、まだ自分も子どもと呼ばれる年齢なのだが。


「――俺は、士官学校に入学する。卒業まで寮住みだ。だが、できるだけ顔を出す」


 じっとゲオルグを見つめていた子竜は「ギュ」と返した。そして用は済んだとばかりに、母竜が待つ竜舎に歩いていく。

 子竜だというのに、不遜な態度が赤竜らしい。きっとふてぶてしい竜に育つだろう。笑ってゲオルグは兄に振り向いた。


「貴重な機会を譲っていただき、有り難うございます、兄上」

「なんということはない。――来年、クレイトスとの貿易条約が結べそうだ」


 ゲオルグは思わず一歩前に出た。


「本当ですか!」

「ああ。アーベルがずいぶんクレイトスへの根回しを頑張ってくれた。私より一回り年下だというのに、頼もしいことだ。いずれベイル侯爵となり、三公とも渡り合ってくれるだろう」


 クレイトスとの窓口は主にレールザッツが引き受けている。独占状態だと言ってもいい。そこにベイルブルグが入りこむのは、大きな転機になるだろう。

 レールザッツ公が鉄道を開発し、フェアラートが軍港都市となってから、竜だのみだったラーヴェ帝国の交通網は飛躍的に発展している。特に海運、船の開発は、水上都市ベイルブルグを重要拠点に様変わりさせるだろう。いずれその領地を継ぐ人物が、兄の方針に賛成し味方になってくれているのは心強い。


「いずれお前もアーベルと引き合わせよう。癖のある男だが、頭は回る。ベイルブルグを強くするためには私軍がいると、そちらの話にも興味を示していた」

「楽しみにしています。――兄上の時代になっていきますね」


 クレイトスに留学でもしたらどうだと一笑された兄は、本当に留学した。逃げたと笑う向きもあったが、兄はラーヴェ皇太子としてクレイトス国王とも友誼を深め、帰国し、即位した。この流れが今、兄の強みになっている。


「……だといいのだが。クレイトスの国王の言っていたことが引っかかっていてな」

「何か条約締結に不穏要素でも?」

「忠告されたよ。しょせん、我々は神のさだめから逃れられない者同士だ、と。――条約締結は、クレイトス国王の私への同情によるところが大きい」


 兄に対して不敬だ。しかも女神クレイトスと竜神ラーヴェがプラティ大陸を共同統治するはずだった経緯を差し引いても、それぞれの戴くのは違う神。なのに『我々』とまとめてしまうとは。


「クレイトス国王には、何かたくらみが――まさか方舟教団アルカと関係が?」

「そういうことではないのだよ。ただ互いに戴く神が、偉大すぎるという話だ」

「怖じ気づくことはありません」


 まっすぐに兄を見つめて、ゲオルグは告げる。


「我々は竜神ラーヴェの末裔。竜帝にかわりラーヴェ帝国を治めるラーヴェ皇族です。天剣戦争を起こし、同じ末裔でありながらラーヴェ帝国の統治をまかされなかった三公どもとは違う。兄上がラーヴェ帝国の発展のためと思われたなら、それは正しいのです」

「――もし間違っていたならば、竜神ラーヴェが許さぬ、か」

「そうですよ。しかも兄上の騎竜は赤竜を生みました。兄上の治世を、竜神ラーヴェが後押ししているようではありませんか」


 竜は竜神ラーヴェの神使だ。竜神ラーヴェの意に背く者には、決して頭を垂れない。


「そういえば、あの竜の名前は? 決めているのか」

「フリーデン」


 兄がいちばん望むものだ。即答したゲオルグに兄が目を丸くしたあと、破顔する。


「励めよ」


 頷く自分を見守る兄の目は、晴れた空よりも澄んでいた。

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