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 今が本当に六年前ならば、まだクレイトス王国はラーヴェ帝国と開戦していない。

 だから今、この人物は敵ではない。

 わかっているが、ジルはこの皇帝の圧倒的な力を戦場で目の当たりにした記憶が生々しく残っているせいで、警戒がとけない。

 そんなジルの様子をわかっているのかいないのか、ハディスはつかつかと歩いてきて、目の前にしゃがみ込んだ。

 時計の秒針の音が響くだけの、沈黙が部屋中にひろがる。

 人並み外れた美貌にひたすら見つめられ、頬がひきつらないよう頑張っていると、ややあってハディスが言った。


「もう一度求婚してほしい」

「……はい?」

「これが夢じゃないと確かめたい」


 警戒も忘れて呆けてしまった。

 だがハディスはジルからじっと視線をそらさず、返事を待っている。その一途な瞳に、実家にいる牧羊犬がなぜか思い浮かんだ。


(ろ、六年後とずいぶん印象が違うような……)


 どうしたものか迷っていると、怪訝そうにハディスが眉をよせた。


「どうして返事をしない? ……ひょっとしてまだ具合が悪いのか?」

「え……あ……わ、わたしは、どうしてここに……き、記憶が曖昧で」

「気絶したんだ。……まだ無理はさせないほうがいいな、失礼」

「へっ!?」


 突然、抱きあげられた。そのまま有無を言わさず、先ほどの寝台まで運ばれる。


「眠れないかもしれないが、横になっていたほうがいい」


 丁寧にジルを寝台におろすハディスの動作は、気遣いに満ちていた。


「それとも、何か軽く食べられるものでも用意したほうがいいか? ああ、起きているならこれを。足元が冷えるだろう」

 寝台のすぐそばに置いてあった室内靴を手に取り、ハディスがひざまずいた。

 ぎょっとしたジルに、靴をはかせようと素足を取る。さすがに悲鳴をあげそうになった。

 この男は皇帝だ。子ども相手でも、戯れがすぎる。


「こ、皇帝陛下にそこまでしていただかなくても、自分でできます!」

「遠慮しなくていい。僕は妻にはひざまずくと言っただろう。じっとするんだ――ほら、できた」


 満足げに下から微笑まれ、雷に打たれたような衝撃が全身を襲った。

 他に類を見ないような美しい男の微笑とくれば、もはやそれは攻撃である。撃ち抜かれた胸をおさえてジルは内心で歯ぎしりする。


(お、男は顔じゃないとはいえ、正直、好みの顔だ……どこにも隙がない! しかも顔だけじゃない、線が細く見えるが筋肉のつき方も姿勢も素晴らしい、全身が強い……! どうしてこんな男がわたしにひざまずいて)


 はっと我に返った。自分はこの男に求婚したのだ、そして――どうなったのだろう。


「あのっ……」


 だが、乱暴に開かれた扉の音がジルの質問を遮った。

 鎧の音がひびき、両開きの扉を挟むようにして兵隊が並ぶ。物々しい雰囲気に、跪いていたハディスが立ちあがった。


「向こうも君の目覚めを待ち構えていたようだな」

「え……」

「ジル・サーヴェル! どういうことか話を聞かせてもらおうか」


 挨拶もなく部屋に踏みこんできたのは、ジェラルドだった。ハディスが目に入っていないのか、荒々しい歩調でまっすぐこちらへ向かってくる。


「君は何を考えている。私の話も聞かずに逃げたあげく――」

「ジェラルド王子。目覚めたばかりの彼女をいきなり質問責めにするなんて、無粋だろう」


 横からハディスがわって入った。ジェラルドが冷ややかに応じる。


「失礼。ですが、ラーヴェ帝国には関係のない話。あなたに用意した客間は別にあるはずですが、なぜここに?」

「婚約者が倒れたら心配して見にくるのは当然じゃないか」

「あなたと彼女は婚約などしていない。国王陛下も、彼女の両親も認めないだろう。それに、彼女と婚約するのは私だ。そう内々に話が決まっていたのだからな」


 びっくりして顔をあげた。そんな話、聞いた覚えはないのだが――ああでもと両親の顔を思い浮かべた。


(絶対に忘れてるな、お母様もお父様も……)

 おっとりした両親は政治力にとにかく欠ける。だから、サーヴェル侯爵家は功績のわりに裕福ではない。

 しかし、すでに内々に決まっていたことだと言うのなら、ジルがジェラルドを拒むのは相当困難になる。

 政治の問題だけではない。

 王太子であるジェラルドの面子をつぶしたことになるからだ。


「知った顔で我が国の事情に踏みこまないでもらいたい。内政干渉だ」

「内政干渉? ただ、君がふられて悔しいという話だろう」


 薄く笑ったハディスに、ジェラルドが眉をつりあげた。

 ぴりぴりした空気に、ジルがはらはらしてしまう。今の時点で、ジェラルドは既に武人と名高く、兵も連れている。何かあれば一対複数だ。分が悪いのは目に見えている。

 だがハディスは落ち着いていた。


「そんなことよりも、もっと大事なことに目を向けるべきだろう。君はいずれ、この国の王になるのだから」

「忠告はありがたく受け取っておこう。呪われた皇帝陛下の手腕では、参考にできないが」


 苛立ちと侮蔑をこめた口調でジェラルドがやり返す。

 対するハディスは、あくまで不敵な笑みを崩さない。


「わかってくれたなら結構。勝てない相手に刃向かうのは愚かだ。君と僕では格が違う」

「言ってくれる。私を侮辱する気なら――」


 ふっと目をさましたように、ハディスが金色の瞳を見開く。雰囲気が一変した。


「さがれ」


 瞬間、部屋全体の重力が増した。

 がしゃがしゃと壊れるような音が響き、武器を落とした兵士達が次々と膝を突く。立っていられないのだ。中には気絶したのか、卒倒した者までいる。


(ま、魔力じゃない。ただの威圧感だけで……!)


 抗いようのない、圧倒的な覇気だ。正面から圧を受けていないジルでさえ、総毛立ってしまう。

 その場から飛びのきたい思いをこらえながら、ハディスの横顔を見た。脂汗をかきながらも立ったまま睨めつけているジェラルドに向けて、ハディスが手を伸ばす。


「後始末はまかせよう」


 ハディスに肩をたたかれたジェラルドが、そのまま尻餅をついた。


「噂通りの、化け物が……っ」


 歯ぎしりするジェラルドに、ハディスは穏やかに微笑む。

 そうすると、空気を吸うことも許さないような重圧がいきなり消えた。

 ほっと息を吐き出したジルを、ハディスが抱えあげる。


「すまない、驚かせた。場所を移そう」


 高鳴りに似た高揚感をおさえて、ジルは頷く。


(やっぱりこの男、強い……!)


 さぐるようなジルの視線を受けて、ハディスが破顔した。


「平気そうだね。やはり僕の目に狂いはない」

「あれをやりすごせなくては生き延びられ――」


 答えそうになってはっと気づいた。今の自分は軍神令嬢ではないのだ。

 だがハディスは気にしていないようで、死屍累々になっている兵士の間を悠々とすり抜け、廊下に出た。


「しかし、ここではゆっくり話ができそうにないな。ジェラルド王子があれで諦めるとも思えない。……しかたないか、愛は困難をともなうものらしいし」

「あ、愛……?」

「大丈夫だ、君に手出しはさせない」


 顔がいい男が言うと思わず頷いてしまう。だが、はたとした。


(……今のわたしは、十歳なんだよな?)


 そしてこの男は今、二十歳前後のはずだ。


(政治的な理由もなく大人の男性が十歳の子どもと婚約するなんて、幼女趣味でもない限りありえないんじゃ……!?)


 一気に頭から血の気が引くと同時に、視界が一変した。


「君の魔力が安定していないようだし、移動は船にしよう。念のため持ってきてよかった」

「は!? え!?」


 急いで周囲を見回す。先ほどまで高かった天井が一気に低くなっていた。

 寝台はひとつ、小さなテーブルと椅子もある。決して小さくはないが、広くもない部屋だ。小さな丸い窓が特徴的で、板張りの床がぎしりと軋み――いや、ゆれた。

 転移したのだ。

 呆然とするジルを置いてけぼりにして、ハディスが微笑む。


「大丈夫だ、魔力で飛ばせば数時間でラーヴェ帝国の領土に入る」


 ええええええとジルが絶叫したときは既に船は海面をすべるように走り始め、丸い窓から見える故国の港はあっという間に小さくなっていった。



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