第三次ラキア聖戦【開戦】
サーヴェル隊の隊長はジルだ。サーヴェル辺境伯との縁ができるのは必然である――その訓練も。
愛の国の王子様が婚約者が気休めにサーヴェル家との国境監視任務に当たらせるというぽんこつっぷりを発揮したので、余計に逃げられなかったのだ。気休めというなら、ふたりで食事の時間をとったり、別荘地にでも連れて行ったらどうかなどとアドバイスする気は決して起きなかった。カミラやジークと一緒に「そうじゃないんだよあのポンコツ」と影で罵倒し続けた。
サーヴェル辺境領での訓練はいっそ戦場にいったほうがマシなのではという非人道的かつ過酷なものではあったが、ジルが見出した隊の面々はそれに耐え抜き、竜退治まで成し遂げた。見事、ジェラルドが望む功績をあげたと言える。ロレンスにとっても、ノイトラール竜騎士団で学んだ竜の生態が通用するのがわかったのは大きな収穫だった。
ジルを育てたサーヴェル家の住民のありようや訓練なども、見ている分には楽しかった。見ている分には、だ。ごくたまに「今日はアンタもよ」「おめーも参加しろ」とカミラとジークに肩をつかまれたりもしたが。
誤算だったのは「魔力がない」というロレンスの理論的な辞退を、サーヴェル家の面々がまったく意に介さなかったことくらいか。生まれて初めて、魔力が少ないことを配慮してほしくなった。彼らに言わせると、魔力はあってもなくてもいいらしい。それに勇気づけられる人間はもちろんいなかった。
とはいえ、ロレンスの役割は知謀だ。クレイトス一周の武者修行から帰ってきたというサーヴェル家の双子から世情を聞き、住民たちから国境付近の地形や防衛について聞き、いつかくる開戦に向けて準備をする。
特に、サーヴェル家に残っている対ラーヴェ帝国との戦いの記録は非常に参考になった。直近だとクレイトス王都が遷都することになったアンサス戦争の記録などは朝まで読みふけってしまった。
作戦立案と指揮はロルフ・デ・レールザッツ。現レールザッツ公の三男だという話だが、以後の記録が一切ないのが残念だった。まだ生きていてもおかしくない年齢なのだが、いったいどうしているのだろう――
「悔しがってましたよ、お父様たち!」
演習を終えたあと、はしゃいでジルに報告され、ロレンスは苦笑した。
今回の演習は、サーヴェル家当主ビリー・サーヴェルが率いる隊とジルが率いる隊の二軍で砦の防衛戦を行った。互いに砦があり、敵に落とされたら負けである。
基本的な戦闘力も経験も何もかも、サーヴェル家のほうが上だ。端から勝負は見えているようなものだった。真っ向からぶつかったのならば、自分たちの負けだっただろう。
「そりゃあ、ちょっと勘違いさせたからね。砦を奪ったら勝ちだって」
「へ? それ、別にただの条件ですよね……」
「ジルちゃーんよく考えて。アタシたちが勝ったのは、砦を奪ったからじゃなく、砦が無事だったからよお」
そう、真っ向からぶつかったら勝てない。だからロレンスは、戦うのではなくサーヴェル家の砦を壊しにかかった。自軍の砦に残っているのはロレンスだけ、ほぼ全軍を差し向けた。そして応戦したビリーの攻撃すら、すべて砦に向かわせた。戦場にさせられたサーヴェル家側の砦が崩壊するのは必然である。
「この狸坊やは、ジルちゃんのお父さんたちを自滅させたのよ」
「おかげで俺らは死亡判定くらったけどな……」
ジーク、カミラ、ジルまで死亡判定が出たところでサーヴェル側の砦が崩壊し、ジルたちの砦が無事だったことから、ジルたちの勝利となった。
「あ、ひょっとして怒ってます?」
おどけてロレンスは尋ねてみる。勝ったが、ジークとカミラは名誉ある戦死だ。演習だったからいいものの、という話ではある。
誰だって死にたくない。自分のためにならともかく、誰かのためになんて、夢物語だろう。使うならうまく使わなければ――裏切られたのではなく、自らの意思だと錯覚させるように。
「本番ではこんな作戦使わないので、見逃してもらえると」
「馬鹿かお前、本番でも使えよ、必要なら」
呆れた声がジークの返事に、ロレンスは口を閉ざす。カミラも笑って答えた。
「無駄死にさせられるのは御免だけどね。アンタはそんなことしないでしょ。無駄、嫌いじゃない?」
「……はあ、まあ」
「じゃ、アンタの策は死んでもやり遂げる価値があるわよ」
「まさか、本気で俺の策を信じて死ねるって言うんですか?」
半ば呆れての問いかけに、自信満々に答えたのはジルだった。
「ありますよ! わたしは死にませんけど!」
「……うん、君は確かに……いや、そういうことじゃなくて」
「根拠はありますよ! ロレンスの策で犠牲にしなきゃいけない誰かをわたしが守れば、全員助かります!」
胸を張って断言されて、脱力した。
「……それは本末転倒の理想論がすぎるね、さすがに。君の手が回らないと判断したから、犠牲を出す策を立てるわけで……」
「でもロレンスは本当は、そんな作戦立てたくないんでしょう?」
「俺が?」
目を丸くして問いかけると、大きく頷き返された。
「もうちょっとわたしたちを信じてくださいよ。いつも他人のことばっかりで、自分の気持ちを後回しにしちゃうんですから」
「……面白い冗談だね。どこからそんな評価がきたんだい」
他人に騙されないために一番大事なのは、他人を信じないことだ。あり得ないと一笑すると、今度はジルが目をまん丸にした。見ると、カミラもジークも笑っていない。不気味な反応に戸惑っていると、ジークにまず両肩を叩かれた。
「お前、自分で思ってるよりいい奴だから、詐欺とか気をつけろよ」
身に覚えがなさすぎる警告に、頬が引きつった。
「なんですか、それ。俺の信条は」
「わかってるわよぉ。でも……ね、ジルちゃん」
「はい」
ジルまで神妙に頷き返している。いたたまれず、ロレンスは声を張り上げた。
「なんですか、そろいもそろって。言っておきますけど俺、ここにいる全員から全財産巻き上げる自信ありますよ」
「やめろ、洒落になんねえ!」
「俺を信じるっていうなら、それくらいの誠意みせてくださいよ」
「増やしてくれるならいいわよぉ」
「それは面倒なので嫌です」
「ほらみなさいな」
カミラは笑っているが、わけがわからない。その横で真剣な顔をしたジルがきりっと妙に凜々しい顔つきをする。
「誠意は大事ですよね……わかりました、わたし、ロレンスに全財産、預けま」
「やめてくれる君の全財産にはもれなくジェラルド王子がついてくるから」
半眼で止めると、ジルが目をぱちぱちさせたあとちょっと嬉しそうに頬を染めた。むっとした気がするが気のせいだ。ついてこられたら困るだけだ、あんな愛の国の王子様。
まったく、こんな自分を信じるお人好しな三人の先行きが心配だ。
「まだ戦争が始まっていないからって、あまり気の緩んだこと言わないでくださいよ」
「まだって。始まるって決まったわけじゃないですよね」
「始まるよ」
ロレンスの断言に、さすがに神妙な空気になる。
竜帝がラ=バイア士官学校という生徒たちを反逆分子として処分したことが、大きな衝撃を持って連日伝えられている。士官学校とはいえ、在籍する多くの生徒はまだ子どもだ。ほとんど生き残らなかった子どもたち。子どもの犠牲は常に有益なプロパガンダだ。
同じ刃を竜帝がクレイトスに向けないという保証はあるのか。クレイトスと戦争をしなかった竜帝はひとりもいないのに――国内の反戦論は一気にしぼみ始めていた。
「……犠牲が出るのは覚悟してくださいよ。竜帝はそんなに甘くない」
「あっ天剣! 天剣持ってるって本当ですかね!?」
なぜそこでわくわく目を輝かすのか、我らが隊長は。
「だーかーらー……」
「ジル姉、あとロレンスさんもいる!?」
ロレンスのお説教を遮り、ジルの弟アンディが飛び込んできた。どうした、と姉らしい受け答えをするジルに、アンディが答える。
「戦争が始まった」
マイナード・テオス・ラーヴェ、亡命政権を樹立。ジェラルド王太子はこれを支持し、真のラーヴェ帝国との友好な関係を目指す。苛烈な粛清を繰り返し恐怖を煽る竜神は、竜帝は、もはや理すら失ってしまった。
愛でもってゆがんだ理を救うのだ――ラーヴェ解放戦争と称されたこの戦いは、正しさと愛に満ちた言葉で始まり、クレイトス王国軍が撤退し皇太子ヴィッセルが帝都を占拠するまで、約二年間続いた。




