第三次ラキア聖戦【よくある少年の話】
――ロレンス・マートンの人生は『よくある話』だ。
この魔術大国で魔力の少ない伯爵家の跡取り息子として、お約束の人生を歩んだ。
魔力は女神からの愛により授けられたもの。クレイトス王国の民たる者、魔力を持つのは当たり前だ。魔力の高い者ほど、女神に愛されているのだと尊重される。
逆説的に、魔力の低い者は、女神に愛されていない。
女神がそうと宣言しているわけではない。
けれど世の中はそういう解釈で動くし、魔力があることを前提に社会が作られている。
記憶力がある、理解が早い、知識が豊富、そんなものは女神の愛という絶対的な基準の前には武器にならない。国内の最高学府は、クレイトス王国魔術大学だ。
魔力が少ないだけで人生の選択肢は狭まり、歴然とした差が開く――たとえば、爵位を継ぐべき父親が、マートン伯爵邸の片隅に追いやられてしまったように。
魔力が少なかった父は、魔力の高い妻を娶ったものの、最初に生まれた娘でさえ魔力が決して高くなかった。次に生まれた息子の魔力のなさが決定打で、マートン伯爵家の出来損ないと呼ばれていた父は爵位を弟に譲り渡し、伯爵邸の隅で人目を忍んで暮らすことになった。
もしお約束と違うとしたら、家族仲はよかったことか。
「ロレンスは父さんに似てしまったんだな」
よく父は、そんなふうに言った。自慢げに、あるいは自嘲気味に。
父は魔力のなさを学力で補ってきた工学者だった。だが、最高学府で学ぶこともできない父は学者としても半端者だ。
けれど、ロレンスは父を尊敬していた。
誰でも使える道具を作る父は、魔術士よりも不可能を可能にすると思っていた。母はもともと体が強くなく顔もおぼろげな頃に死んでしまったが、写真立てに飾られた自分を抱く笑顔は素敵で、幸せそうだった。
「いや、父さんよりも頭がいいかもしれないな?」
「そんなことないよ。今のは父さんが見落としただけ」
「おっ言うじゃないか」
「お父様とロレンスは負けず嫌いなところがそっくりよ。さあ、ふたりとも手を洗って」
何より、年上の美しくて優しい姉がいたから寂しいとも思わなかった。
姉が作ってくれた素朴な味のパイを、みんなで切り分けて頬張る――魔力がなくても、そういう普通の、幸せな家庭だった。時折邸内ですれ違う叔父一家が侮蔑の目でこちらを見ても特に気にならなかったし、不満なんてなかった。
雲行きがおかしくなってきたのは、姉が十四をすぎ花盛りを迎えた頃。
美しい姉に、愛人だの後妻だの、魔力が少ない女性には破格の条件だという求婚がやってくるようになった。父もロレンスも当然、猛反対した。だが姉は父と、特にロレンスの今後を考えて悩んでいたようだった。
ロレンスは街の初等教育学校で基礎学問も魔術理論も他の追随を許さない成績をおさめていた。高等学校への推薦も決まっていた。魔力がなくてもこんな街から出て、姉と父にいい暮らしをさせてやれる。気の進まない結婚などしなくていい――そう姉を説得した。姉はロレンスの頭をなでながら、「あなたならできるわ」と信じてくれた。
そして、小さな花しか持ってこられない平民の青年と恋仲になった。ロレンスが設計した井戸の汲み上げポンプを作ってくれた、優しい大工職人だった。
姉が選んだ恋人に不満がなかったと言えば嘘になる。姉をまかせるにはどうにも頼りない気はしていた。だが、魔力がどうこうなどと言い出さず、姉を大事にしてくれていた。だから反対しなかった。
そういう妥協がよくなかったのだろうか。
ある日、街で大きな事故が起こった。大きな商店の、改装中の建物が倒壊したのだ。安全装置だった魔法陣が働かなかったせいで、大勢の怪我人と死人を出した事故の調査は難航した。
魔法陣の不備を最初に看破したのが、魔力の少ないロレンスだったからだ。
店の主人も工事現場の会社も、ロレンスの指摘を頑なに取り合わなかった。如何に魔力が高い者があの魔法陣を描いたのかを語り、魔法陣を故意に壊した者がいると主張し始め、その犯人に姉の恋人を名指しした。
商店の主人の息子は姉に求婚したひとりで、工事現場会社の社長はひそかに後妻にと声をかけてきた男だった。あからさまな濡れ衣だった。
姉の恋人は狼狽し、ろくに反論できない有り様だった。男の家族からも泣きつかれ、ロレンスの指摘を信じ、姉の恋人への疑いを晴らすため戦い出したのは、父だった。
幼いロレンスはともかく、かつては爵位継承者だった父の話を、簡単に無碍にはできない。魔法陣の不備に関する論文と事故の詳細な資料を作り、父は国にも奏上した。
伯爵家領内の出来事ならまだ叔父一家がもみ消すこともできるが、国となればそうはいかない。
結論はすぐに出た。
姉の恋人が、魔法陣を壊したと突然自白したからだ。
ロレンスの父に、偽証してやるから無実を主張しろと言われた。だが女神の元へ偽証を届けるなんて罪悪感には耐えられない――そう告白した彼の勇気は讃えられ、反対に父の悪辣ぶりが取り立てられた。
聞くに堪えない恋人の言い訳に姉は「そう」とだけ返し、なんにも悪くないのに父とロレンスに「ごめんなさい」と謝り、夕飯の支度を始めた。姉さんは悪くないというロレンスの言葉は果たしてどれだけ届いたのだろう。その日の夕飯は、やけに塩辛かった。
すっぱり忘れて生きていこうなんて、自分たちが思っても周囲が許さない。伯爵家の居候の分際でえらそうに、姉は男をたぶらかして食いものにする魔女だ、弟は父親そっくりの嘘つきだ――姉は物陰からものを投げつけられ、ロレンスは高等学校への推薦を取り消された。
父は一気にふけこみ、寝込むことが多くなった。自分が余計なことをしたばかりに子どもがと、毎日嘆いていた。けれど、ロレンスたちに決して誰も恨むなと言い含めた。
「だまされた父さんが悪いんだよ」
そう笑って、ある朝、天井から首を括って死んでいた。
姉には『しあわせになってくれ』
ロレンスには『父さんのようにはなるな』
そう遺書を残して。
「ロレンス、ロレンス、見てはだめ」
天井から吊り下がった、父だったものを見あげているロレンスの両目を、美しい姉の手が覆う。
自分だって恐ろしいだろうに、震える両腕でしっかりロレンスを抱き締めて言う。
「大丈夫よ、ロレンス。姉さんがあなたを守るからね。あなたは悪くない。あなたは賢い子なんだから、決して無駄になんてさせない」
――姉が南国王の後宮に連れていかれたのは、その直後だ。父の葬儀代と、ロレンスの高等学校への学費の工面ができる。そう笑顔で告げられ心配したその次の日にはもう、姉はいなくなっていた。
南国王の後宮から下賜されたはずの姉の代金は、叔父たちに支払われた。父が魔法陣の事故で偽証したその慰謝料を支払ってもらったのだと、叔父たちは言った。恥知らずな父の葬儀などできるわけがないと、笑った。
魔力のないお前に高等教育など無駄だ。さっさと働いて出ていけ。
なるほどそうですね、とロレンスも笑ってみせた。
父と姉が、大変ご迷惑をおかけしました。
俺は父のようにはなりませんので、どうかどうか、ここに置いてください。ご恩をお返ししたいんです。ええ、使用人としてで、かまいませんので。
ご挨拶し損ねてました!ロレンス正史、連載開始です~。
毎朝7:00更新で全12話、8/15に終わる予定です。
どうぞ楽しんでやってくださいませ~~!
そしてそして念のためもかねた商業のお知らせです。
7/25にコミカライズ版の最新刊7巻が発売しております~~柚先生の素敵な漫画をまだ手に取ってない方はぜひぜひ!
またアニメのほうも舞台情報など、10月の放映に向けて今後も色んな情報が出てくると思いますのでチェックお願いします!
その他、作者個人サイトやXなどが情報早いと思います。KADOKAWAさんのサイトはほらうん、今、サーバー攻撃で大変なので……。
感想・評価・レビューなども本当に励みにさせていただいております。正史は書籍版なくてここだけの話なので特に……(笑)
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