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立ちはだかる両開きの扉を見つめ、ジルは深呼吸した。
ここに辿り着くまで、数々の妨害があった。まず肝心の獲物が毎度のお約束のようにぶっ倒れ、看病すらも警戒され、それよりもと戦闘の後始末や会談の準備に追い回された。なんなら実父の見舞いに行けと追い出されたこともある。その実父からは「あんな男の看病なんぞせんでいい! それより訓練をしよう」と誘われ、ついうっかり本気になってしまい、気づいたら一日が終わっていたこともあった。
ちなみに竜の王であるローは、騎士団の竜たちによって竜舎の奧に大事に大事に囲い込まれており、出てくる様子はない。体調を確認したいだけだとジルが説明しても、竜たちが涙目で懇願する有り様だ。マイネに仲介を頼んだら、何も聞こえないふりをされた。
しかし、獲物が起き上がれる状態なのは確認済みだ。
この戦いを避けることなどできない。そう、今後の夫婦生活のためにも。
「たのもーーーーーー陛下、殴られる覚悟はできてますね!?」
「待ってたよ、ジル!」
エプロン姿の夫が、ジルとの間にある丸テーブルのクロスを剥いだ。
出てきたのは輝かんばかりの料理の数々だ。
肉厚たっぷりのパテを挟んだハンバーガー、とろとろの半熟卵とかりかりのベーコンが乗ったトースト、フルーツサンド。生クリームが添えられた焼きプリンも、大きなシュークリームもある。ひょっとして鍋に入っているのはポタージュか。いやそれよりも唾を飲んでしまうのは、苺がぎっしり詰まったミルフィーユだ。
目を輝かせてしまったジルは、はっと我に返った。
たまたま用意できるものではない。これはジルの怒りの矛先をそらそうという、ハディスの高度かつ緻密な作戦だ。
「だ、だまされませんよ」
お盆に料理をのせてハディスが近づいてきた。頑張って見ないようにしているジルの前にわざわざしゃがみ込み、教える。
「ちなみにシュークリームの中身には、初挑戦の苺クリームが入ってます」
「――勝ったとは思わないでください!」
「はい、あーん」
「あーん!」
思えばこの数日、口にしていたのは保存食ばかりだった。それにくらべてこの口の中に広がる甘さと柔らかさの、なんと幸福なことか。
「おひいい~~~! ほんとに苺クリームだ、苺の味がします! あっ、こっちはカスタードと生クリームが半分ずつですか!?」
ハディスが手を引いて、ジルをテーブルまで招いてくれた。ぴょん、とジルはハディスが引いてくれた椅子に飛び乗る。
「急いで食べちゃ駄目だよ、はい、お茶も飲んで。こぼさないようにね」
「はい! あ、これ、チョコレートだ~~~!」
「……嬢ちゃん」
「あっラーヴェ様。調子は戻りました? おいしいですよこれ」
「俺が言えた義理じゃないけどな……もうちょっと頑張れなかったか?」
口いっぱいに幸せを詰め込んでいたジルは、はっと我に返る。
「陛下、わたしは怒ってるんですよ!」
「両手にシュークリーム持って言っても説得力ねーんだわ……」
「ラーヴェ、余計なことを言うな。――ジルはどうせ僕とは別れてくれないんでしょ」
苺味のシュークリームを噛まずに飲み込んでしまった。
でも、今のは悪くない回答だ。ちょっと溜飲がさがった――少なくとも、ハディスはもう、ジルが裏切ったとは安易に考えないのだ。
ハディスが寝台に腰をおろしたので、盆いっぱいに料理を山盛りのせて、ジルも寝台に移動した。靴を脱ぎ捨て、寝台に乗る。
「ここで食べるのは、お行儀悪いよ」
「いいんですよ、わたしは明日の会談に向けて力をつけないといけないんです! だから陛下も早く元気になるために食べなきゃ駄目ですよ。はい、あーん」
「許してくれる?」
首をかしげてハディスが尋ねる。ごほんとジルは咳払いした。
「今回の陛下の作戦は、一応、わたしを信じての行動ですから……あ、でもミレーさんを皇妃候補にしたのはむぐっ」
いきなりフルーツサンドを口に突っ込まれた。
「これも自信作なんだ。あ、彼女とはなんにもなかったからね」
「……。でも、ミレーさんは口説かれたって」
ハディスの手が今度はローストビーフサンドを突っ込もうとしたので、直前で食い止めた。
「話を、ごまかそうと、するんじゃない……!」
「え、ぜんぜん? ぜんっぜん誤魔化そうなんて考えてないよ。おいしいよ、これ」
「浮気してないのはわかってますよ、でも勘違いさせたんでしょう、陛下のことだから!」
「僕は本当に何もしてないよ! 皇妃候補にしたのは、周囲から注目させて動きにくくさせるためだったし、向こうも困ると思ったの!」
「どこまでほんとですか、ラーヴェ様」
「全部ほんとだな。手を取って皇妃になってほしいってお願いしたくらいで」
「ぃたたたたたたたた!」
ハディスの手を取り、そのまま腕ごと捻り上げる。もちろんビーフサンドは口に放り込んで食べた。
 




