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魔力の光で前が見えない。けれど、魔法陣に挟まれたこの球体の中にラーヴェがいるのは明白だった。同じことを考えているであろう聖槍が、上から球体に切っ先を捻り込んでいく。
ジルも同じだ。竜妃の神器の剣先を、力一杯押し込んで、切り開こうとする。
『放、せェ……!』
聖槍が唸る。目の色が変わる、というフェイリスの言葉を思い出した。
『人間風情ガアァァァァァ!』
いきなり足元に魔法陣が輝いた。アルカでよく見たそれにぎょっとしたが、ジルの魔力が吸われる気配はない。魔力の球体から、黒槍のほうに魔力が移動していく。
『そうやって、そうやって、お前らハいつモ、おニイさまを、クレイトスだって、平気で、喰いモノに、しテエェェッ!』
ぴしり、と魔法陣にひびが入るのがわかった。最後の抵抗なのか、魔力の爆風が吹き荒れる。
ジルはもう剣を握っているだけで精一杯だ。だが、クレイトスはひるまない。
『オ兄様がお前ラを許しても――クレイトスは絶対、許サナイ!!』
愛の女神が、その切っ先を阻むものすべてを貫いた。
ジルは手を伸ばして、愛するひとの育て親をつかむ。
二つの槍が光り、魔法陣ごと爆発した。
「ラーヴェ、ジル!」
「陛下、ラーヴェ様を!」
ラーヴェをハディスに押しつけ背に庇い、ジルは女神のほうを見た。さすがに息が切れているのか、朝日に輝く髪から見える細い肩が上下している。
――そう、女神は黒槍の姿ではなくなっていた。
神話からそのまま抜け出てきたような出で立ち。すらりとした手足は抜けるように白く美しく、陶器のようになめらかだ。空に吹く風に飛んでしまう花びらのように儚く、それでいて日の光に溶けきらぬ美しさ。
飾りは、頭上の花冠ひとつきり。
「あー……嬢ちゃん、面倒かけたな。すまねえ」
ラーヴェの声が響いた。泣き出しそうな声で、ハディスが名前を呼ぶ。
大丈夫だよと言い置いて、いつもどおりラーヴェがハディスの肩に乗る。一度だけ嘆息して、向き直った。
「……クレイトスも。久しぶりだな」
ハディスもいつものように全身で警戒していない。そうだろう、少なくとも今回に限ってはクレイトスは助けてくれたのだから。
だが、ジルは竜妃の神器を手放せない。その切っ先を、クレイトスから動かせない。
言葉にはできない。ただ、肌がちりついている。
「助けてくれたことには、礼を言う」
「……誰」
クレイトスが唇を動かした。ラーヴェがまばたき、ハディスは眉根をよせる。
ジルは柄を握り締めた。頭の中で警報が鳴っている。あの雪の日の夜、聞いたのと同じ。
女神は子どものように、ぼうぜんと、つぶやく。
「あなた、だぁれ……?」
――時が巻き戻る、鐘の音が聞こえたような気がした。
 




