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槍さらい~~という情けない声が空に響いていた。
『どこいくのよぉ、クレイトスなんにもしてない~! えっとどうしたんだっけ……あ、そう、ラーヴェ帝国に行くんだった、フェイリスと一緒に! 勝手にしゃべらない、動かない、暴れないって約束、ちゃんと守るって指切りげんまんして』
首から聖槍を吊り下げたマイネが、ものすごく嫌そうな顔をしている。おそらくラーヴェと同じで女神クレイトスの声は通常の人間には、聞こえない。だが、それは人間だけで動物や竜は別なのだ。
無視だ無視、という気持ちをマイネを見返す視線にこめて、ジルはまっすぐレールザッツ目ざして飛ぶ。
『そしたらなんか変な黒マントの集団が、言うこときかないとフェイリスをいじめるって言うから、クレイトス、フェイリスを守らなきゃって、フェイリスとお別れして……か、悲しかったけど、フェイリスは友達だもん……!』
余計な言葉を発しないよう、引きつる頬をなんとかこらえる。
『でも、約束を守らなきゃいけないからじっとして……そのあと……ええと、どうなったんだっけ? なんかいっぱい術をかけられたような……す、すごく痛かったけどクレイトス、頑張ったのよ! えらい?』
「えらいわけないだろうが!」
つい怒鳴ってしまった。修業がたらない。
「なんで抵抗しなかった、馬鹿か!? いや被害者なのはわかってるが、限度ってものがあるがろうが……ッおかげでこっちはお前の行方を巡って大騒ぎだったんだぞ!」
『え、ええ!? クレイトス、また何かしちゃった……!?』
「もう黙ってろ、ちゃんとフェイリス女王のところに帰してやるから……!」
『ほんと!? 約束よ!』
声が聞こえなくなった。拍子抜けして、ジルは尋ねてしまう。
「……仲がいいんだな、フェイリス女王と」
『そうなの、友達なの!』
マイネの首から吊り下げられていた槍が、ひょっこり鞍の横に飛び乗った。竜妃の神器に縛られていても動けるらしい。魔力が戻り始めているのか。
『フェイリス、私を助けるって言ってくれたのよ。私はなんにも悪くないって。間違ってるのは世界のほうだ、ふたりでやり直そうって。嬉しかったなあ……フェイリスだって、まだ十四歳の女の子で、誕生日にあんな目に遭ったばっかりで……』
どの誕生日か、わかってしまった。十四歳の、あの日だ。
『だからね、クレイトスはもう嫌だったけど、つらかったけど、もういっかい、頑張ろうって思ったの。時間を巻き戻したのよ』
あなたならわかるよね、と無邪気に女神は告げる。
『ただ、心配なの。巻き戻ってからフェイリス、未来を変えるんだっていっぱい勉強して、体弱いのに……女王になって無理ばっかりしてる……ジェラルド王子のことだって本当に――あ』
突然固まった聖槍に、ジルはまばたいた。
「なんだ」
『――こ、こんなことべらべら喋っちゃだめだよね!?』
「そこ考えてなかったのか!?」
うう、フェイリスに怒られると嘆いて槍が曲がる。しょげているらしい。
くそ、とジルは毒付いた。余計な情を抱いてはいけない。でなければ女神に与した竜妃たちの二の舞だ。
目的地のことだけを考えろと前を向いたそのとき、正面から魔力の光が襲ってきた。
『な、なになに!? 何が起こってるの!?』
「たぶん、レールザッツで、お前の偽物が暴れてる。陛下が応戦してるはずだ」
『え、偽物? なんで!?』
「お前、今、魔力がからだろう。アルカがお前から抜き取った魔力を使って、聖槍もどきを作ったんだよ」
『そ、それって、クレイトスが悪い!? また怒られ――』
ふっと騒がしい声が消えた。前を見ている。レールザッツの空。
飛び交う二本の槍と、撃ち合う銀と黄金の光。どうっと大きな音を立てて放たれた白銀の一撃を、青い槍が魔法陣を展開して吸い込んだ。
『あれ、クレイトスの、神紋の……逆?』
「陛下! マイネ、急げ!」
背後を赤い槍にとられたハディスが、押し返せずに弾き飛ばされた。その右手から、世界でいちばん美しい神のつるぎが滑り落ちる。
ラーヴェ、と叫ぶハディスの声が聞こえた。
赤い槍と青い槍が、弾き飛ばされた天剣を取り囲む。魔法陣が展開する。見たことがある形だった。本物かどうかはわからない。ただロジャーの声が蘇る。
――アルカは、ラーヴェとクレイトスの神紋を復元しようとしている。
(まさかまさかまさか)
アルカの目的は神の排除だ。――人間が神を殺すだなんて、そんな日が、いつかくるとしても、今、くるわけが。
『お兄様!!』
一瞬で竜妃の神器を消し去った愛の女神が、飛び出す。
ジルもマイネの鞍を蹴って、空を翔る。
 




