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黒光りする小さな鱗は、篝火の炎と交差するように落ちていった。
竜たちに踏み荒らされて散った花弁に燃え移るでもなく、ほんの少し煙をあげて地面の上で燻ること数分。効果がなければ、竜なしで突撃だ。静かな闇夜に腹を括ろうとしたとき、咆哮が響いた。
「攻撃開始じゃあ! 竜に踏まれて死ぬなよぉ、ガキ共!」
崖下が騒がしくなると同時に、靴底でえぐるようにして崖を滑り落ちる。あちらは突然現れた野生の竜に気を取られて、気づいていない。
竜が炎を吐き出す。教団員がよけたその炎は、黒い靄をまとう竜に燃え移った。金属音のような鳴き声をあげて、アルカの用意した竜が一頭、燃える。
「応戦しろ、ただの竜だ! 対空魔術、用意!」
前に出た教団員たちが、三人がかりで対空魔術の魔法陣を描く。それを背後から生徒がぶん殴って止めた。その間にも竜が現れて、混乱が伝染していく。
「おい、レールザッツへの連絡係がやられてるぞ!」
「火が燃え移る、今すぐ飛ばせ!」
妙な音が聞こえた気がした。同時に、黒い靄をまとった竜たちが次々に浮かび上がる。団員も合わせて飛び乗る。逃げるのがうまい、というのは本当のようだ。戦おうとしない。
「目標、天幕の前です! ――うわっ」
「援護入れ、ついてこられる奴だけわたしとこい!」
まっすぐ天幕を目指す。入り口の前で、ミレーが振り向いた気がした。
地面を蹴ったその横から、杖が振り下ろされる。
「ッ!」
杖が沈んだ先が、重力で押しつぶされたように潰れる。咄嗟に方向転換し飛ちよけたジルは、杖の持ち主を見あげた。
「よくここがわかりましたねぇ、竜妃殿下」
カニスの背後で、ミレーが黒靄の竜に飛び乗り、浮かび上がった。地面を蹴ろうとしたジルの頭上に、再び杖が襲い掛かる。
「竜妃の相手なんて、荷が重すぎますよ。私はただの交渉係なんですから、ねっ!」
横から不意を突こうとした生徒の攻撃をよけ、振り払う。この男、見た目より武闘派のようだ。生徒では心許ないかもしれない。その迷いが判断を遅らせた。
小さく詠唱したカニスが、くるりと回り、杖を振るう。
ずん、と音がして周囲の地面が沈んだ。上からの重圧――違う、逆だ。地面の魔法陣に引っ張られている。魔力を吸われているのだ。範囲内にいた生徒たちが倒れこむ。
「いやほんと、魔術の天才ってすごいですよねえ。大した魔力も使ってないのに、魔法陣をちょっと組み替えてこの効果。ですが――」
ジルの蹴りをよけて、カニスが苦笑いを浮かべる。
「竜妃殿下には物足りませんか。いやいや、これで動けるってどういう魔力量なんです?」
「お前らとは鍛え方が違うんだよ!」
魔力なしで動けばいいだけだ。だがどうしても動きがにぶい。あちこち転移で動くカニスを、捕らえきれない。
「先生、先に……っ!」
「おっとぉ、そうはいきません。行けばこの子たちをミイラにしちゃいますよ。生徒って可愛いですよねえ、私も大学の先生やってるんで、わかりますよ」
生徒のひとりに杖先を突きつけて、カニスが喉の奥で笑う。
「ここで私とおしゃべりしましょうよ、竜妃殿下。そうだ、竜帝陛下のお母上の話とかどうです? 竜帝の価値も理解せず何もかもうまくいかないのはお前のせいだと殴る蹴るの八つ当たり! あの馬鹿さ加減は、あんな女に懐かないよう竜神が仕組んだと思わなければとても理解できませんよ」
「耳を貸すな、この男の常套手段だ」
顔をあげた生徒に警告した。だが、カニスの口は止まらない。
「今の竜神は、実は竜帝を傀儡にしたいんじゃないですかね? でなければ竜帝が母親に疎まれ、辺境に送られ、皇太子が何人も死んでから引き戻されるなんて最悪な状況、許されませんよ! そう、竜神ならなんとかできたはずだ、救えたはずだ! 竜神なら――」
そのよく動く口を、声を、横から叩き込まれた炎が吹き飛ばした。一緒に巻きこまれ仰天したジルだが、すぐに何も熱くないことに気づく。服も、生徒たちも燃えていない。炎を纏って地面に転がったのはカニスだけだ。
それは竜の加護があるからだ。
「――マイネ! お前、どうして……!」
魔法陣を焼き切ったマイネの頭上から、夜明けを呼ぶ鶏の雄叫びが響く。生徒たちが飛び起きた。
「ソテー先生! ……と」
「やっべえ、くま先生だ! 全員退避!」
「コッケエェェェェ!」
ソテーがハディスぐまをぶん投げた。それはちょうどカニスの前に落ちる。火を消し杖を取り直したカニスが、薄汚れた頬を引きつらせた。
「な、なんです、このぬいぐるみ――」
「先生、あとはまかせて!」
「おじいちゃんきちゃだめ、戻って、死ぬから!」
皆と逆方向にジルは走り出した。その横に翼を広げたマイネがつく。既にミレーたちは見えなくなっていた。
急いで鞍に飛び乗ると、指先に引っかかりを感じた。鞍に小さく何か魔法陣が書きこまれている。よく見ると小さな紙片が挟まれており、見覚えのある字が殴り書きされていた――『ご武運を』
ロレンスの字だ。なぜマイネが街から出てこれたのか不思議だったが、そういうことか。
どうせこれもロレンスの計略のひとつだ。けれど今は、有り難く手綱を握らせてもらう。
マイネが大きく羽ばたいて、速度を上げた。あの竜がなんなのか知らないが、金目赤竜の翼だ。追いつけないわけがない。まして、マイネはジルの竜だ。
闇夜に紛れようと飛ぶ、最後尾が見えてきた。なかなかの大軍だ。対して、こちらはジルとマイネのふたり。だが、問題ない。
こちらに気づいた殿が反転する。
「いけ、わたしの最強の黄金翼!」
マイネが闇夜を引き裂く火炎を吐き出した。
一瞬で蒸発した黒い靄の竜から、憐れな団員が落ちていく。陣形も組まず縦長に並んで飛んでいたため、炎が届く範囲までまるごと撃墜され、動揺から列が横に広がった。薄くなった真ん中に割りこむように、先頭を飛ぶミレー目がけて突っこませる。それでも気概のある団員が体勢を立て直し、こちらに銃口を向けた。
鞍を蹴って飛んだ。鞭に変えた竜妃の神器でミレーの持つ黒槍を狙ったが、弾き飛ばされてしまう。頭上を飛ぶジルと目を合わせたミレーが、困ったようにつぶやく。
「……竜妃殿下」
「投降すれば、命までは取らずにいてやる」
着地点に滑り込んできたマイネの上に立ち、行く先をふさぐ。
「それとも、アルカ総帥ミレー。お前はわたしより強い女か?」
 




