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なるほど、とジルは笑った。
背中の冷や汗は隠して、不敵に。
「わたしごと女神を斬る。そういうことですか。――最初からそのつもりで、わたしを竜妃にしたのですか?」
『違う――ってのは嘘になるよな。少なくとも俺はこの展開を想定はしてた。……俺は、理の竜神だからな』
自嘲気味なラーヴェに、先ほどのハディスの姿が重なった。
自分など好きになるな、というあの背中も。
「だったら、わたしをどうして守るんですか」
理の竜神は沈黙した。ジルは続ける。説得しかここから出る方法はない。
「この中でわたしを守ることと、女神の囮にすることと、行動が矛盾しています」
『……嬢ちゃんを守って女神の怒りを煽るためかもな』
「それなら既に喧嘩を売ったのでご心配なく。結界をといてください。そうすれば女神がわたしを狙いにくる。閉じこめる必要なんてどこにもない。どうしてそうしないんですか?」
『どうしてだと思う?』
「それを聞いているのはわたし――」
ふっとひらめいたことにジルは詰問を止めてしまった。
恋も愛もわからない。――そんなことを言って、たったひとりで向かって行った、あの竜帝は。
『馬鹿だよなあ、あいつ。わからないはずがないんだ。こんな簡単に、女神を殺せる方法が目の前にあるってことに』
「……」
『どうするつもりなんだろうな。俺もなしに聖槍とガチでやり合うなんて、ただじゃすまないってわかってるはずだ。そもそも、嬢ちゃんを嫁にしたのはなんのためだ? 女神からの盾になってもらうためだろ』
そうだ、ハディスの行動はおかしい。本当にジルを利用する気なら、今使うべきなのだ。
『気づいてないんだよ』
優しく、その守護者である竜神は、すべてを斬り捨てる剣の姿のままで言った。
『でも、俺までそういうわけにはいかねぇだろ。俺はあの馬鹿を守ってやらないと』
「――だったらなおさら、わたしをここから出してください!」
立ちあがったジルを警戒するように、剣の切っ先がさらに近づいた。
『だめだ、嬢ちゃんがただの女の子じゃないってことはもう知ってる。本気で逃げられたら追うのも大変だ。だから結界にいれることに俺は同意した』
「逃げません、わたしが女神を退けます!」
『無理だ。女神の聖槍と戦えるのは竜帝の天剣だけだ』
「じゃあわたしがあなたを使えばいいじゃないですか!」
ほんの少し剣がたじろぐ気配がしたが、すぐに反論がきた。
『それでも無理だ。いや、嬢ちゃんの膨大な魔力なら、ある程度は俺を使えるだろうが、それ以上に、女神に勝つ条件が――』
「御託はいい、さっさといくぞ!」
焦れたジルは怒鳴って天剣を手にする。驚いたらしく、刀身が生意気にも左右に暴れた。
「時間がないんだ! それをぐだぐだぐだぐだと! 女神をたおせばいいんだろう! それで万事解決だ!」
『け、結論が雑すぎるだろ!』
「わたしは未来を知ってる!」
ぴたりと天剣が――ラーヴェが動きを止めた。
「ベイルブルグが壊滅するだけで終わらない。皇太子派がジェラルド王子と結託して陛下を追い詰めにかかる。いずれクレイトスとも開戦する。なのに陛下は国を守りながら、周囲に疎まれ続けるんだ。そんな未来を許していいのか!?」
『……』
「ここで止めるんだ。信じられないならそれでもいい。わたしが女神に負けたら、その場でうしろから突き刺せ!」
ただし、とジルは手にしたラーヴェを見つめる。
「それまで協力しろ」
『……いいのかよ、それで? 俺らは嬢ちゃんを囮にしようとしたんだぞ』
「そのほうがマシだった!」
あっけにとられたらしく、ラーヴェがおとなしくなった。
ジルは勢いのまま怒りを吐き出す。
「なんで最後までわたしを利用しなかったんだ。それならいつものことだ。すぐさま見切りをつけてやった! なんでわたしを守ろうとする。――わたしはどうして、囮に使われたことじゃなく、助けてくれと言われなかったことに一番怒ってるんだ!」
黙ったラーヴェを手にして、そのままテラスへと戻る。
城門前に住民達が集まって、丸太を運んでいた。城門を破るつもりなのだろう。さすがに城内まで乗りこまれたら、死者が出る。
だが今ならまだ間に合う。
『……嬢ちゃんさぁ、まさかハディスを……』
「怒ってますよ。狡猾な女って言ってましたよね。親しげに」
『い、いや、すげぇ嫌ってるからそこは! 子どもの頃から迷惑してるから!』
「長いお付き合いなんですね。愛と憎しみは紙一重って言いますよ。現に、わたしのことを少しも見ようとしなかった」
ラーヴェが沈黙を選んだ。正しい判断だ。
何を言ったってジルの癇に障るだけだ。
(――ああもう、どうしてわたしは先に好きにならないなんて決めたのか)
恋をしていい相手かどうかなんて、まだわからない。
でも、好きだから助けに行く。それが間違っているだなんて、神にも言わせない。
『……あのさ、ハディスが嬢ちゃんの名前を呼ばなかったのは、嬢ちゃんの存在を少しでも女神に気取られないためだからさ』
こりずにラーヴェが話しかけてきた。
『本当は呼びたかったんだよ、あいつ。俺だってそうだよ』
そんなことをすれば女神が余計に怒るのがわからないらしい。本当に神でも皇帝でも、男はどうしようもないと思った。
そしてそんな馬鹿な真似を愛おしく思う自分もやっぱり、どうしようもないのだろう。