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山崩れでも起きたのか、削り落とされた急斜面の先に、広い平野が広がっていた。
月明かりに照らされ、下から白い花びらが舞い上がった。花畑があるのかもしれない。
だが今は、黒い靄をまとった竜に踏み荒らされていて、見る影もない。
生徒たちが口を塞いで、何人か後ずさった。ジルは拳を握る。
「あれ、は……」
――竜の花冠祭で現れた竜。ラーヴェに答えない、竜だ。
ロルフが喉の奥で笑う。
「大当たりじゃあ。なんともまあ、他愛ない」
「あの竜は、アルカが、作ったんですか……」
「さあのう」
ロルフはこの光景にまったく驚いた様子がない。興味深そうにしゃがみ込んで、黒靄を帯びた竜の群れを見おろしている。
「おそらく基礎は操竜笛と、クレイトスの魔獣を呼び出す魔術理論じゃな。だからどこが作ったのかと言われたらわからん。きっかけはマイナードが乗ってきた竜じゃろうし……まあ今はっきりしとるのは、あれは魔力で作られとるっちゅうことじゃ。聖槍は、竜神ラーヴェに従わない竜の軍を作るために奪われたんじゃろ」
「ね、ねえ。あれって倒せるものなの……?」
生徒のひとりが問いかける。ロルフが笑った。
「魔力で作られた、っちゅうたじゃろうが。つまり、竜の炎で焼ける」
よっこいしょ、とロルフが立ち上がった。
「っちゅうことで竜がいりゃ楽勝じゃろ。どうにか用意せい」
「そこ何か策はないんですか!? いきなり乱暴すぎません!?」
「竜妃じゃろうが、情けないこと言うな! まあ、どうしてもっつうならこれじゃな」
すっと腰に下げた鞄からロルフが親指の爪ほどの鱗を、何枚か出した。
「あのぴよぴよ竜の鱗じゃ」
いつの間にそんなものを手に入れたのか。若干引いたジルの前で悪びれず、ひっひっひっと笑いながら、ロルフがマッチも取り出す。
「これに火をつけて、あの集団に放りこんでやれ。今、あの結界のせいで竜の王と他竜は隔絶されとる。そんな最中、竜の王の鱗が燃やされた気配か臭いを察知すれば、勘違いした竜どもが怒り狂って集まってくるじゃろうよぉ、竜の大乱闘じゃ」
「ただの阿鼻叫喚じゃん!」
「なかなか見られんぞ。さて、時間がない。二手に別れるぞ。おい、そこの元皇子」
厳しい顔で崖下を見つめていたロジャーが、ロルフに指をさされて顔をあげた。
「アルカの外套を着ろ。そんでちょっと崖下におりて、転送装置持っとる連絡係とっ捕まえて、竜に乗れないガキどもと一緒に街に戻れ。無事出発したと情報を流して、街からお引き取りいただけ」
「ちょっと崖をおりてこいって、また無茶言うなあ……そううまく信じてもらえるかね?」
「信じるさ。ラーヴェでは、転送装置なんぞアルカ以外持っとらん。連絡係がどこに現れるかも決まっとるはず。そもそもあやつら、この場所がバレるとも思っとらんだろうよ。見ろ、見張りを立ててもおらん」
竜の間から見え隠れする団員たちは、武器を持っている。だが篝火の前で談笑しているし、緊張も警戒も感じられない。いちばん大きな天幕の前に立った見張りはあくびをしている。
一息吐いたロジャーが、生徒たちに振り返った。
「よし、行くぞ。竜に乗れる奴は残れ、残りはまずアルカの服を着て崖滑りだ」
はい、と生徒たちが背筋を伸ばして返事をする。
竜に乗れる人間はそう多くない。だが、竜の乱闘を仕掛けるなら、ジルと残るのは少数のほうがいいだろう。
「お前の敵はあれじゃ、ぴよぴよ」
ロジャーたちを見送ったあと、崖上にあぐらをかいているロルフがそう告げた。その横に立って、ジルは天幕から出てきた人物を見る。
ひとりは赤い外套をまとった男――カニスだ。そしてもうひとりは、三つ編みの輪を、左右でゆらす少女。
皇妃候補になったミレーだ。
「男のほうは見覚えがあります。――もうひとり、脅されている可能性は?」
静かに尋ねると、ロルフが低く笑った。
「ないのう。紫の外套は、アルカ総帥の証じゃ」
ミレーの手に、黒槍が握られているのが見えた。あれは、とジルは瞠目する。
魔力は感じない。無機質なただの槍に見える――けれど、一度対峙した敵を、ジルは見間違えたりしない。
「……そうですか。困りましたね」
――勝手にジルを囮にしない、ひとりで敵に突っこんでいかない、転職もしない、ためさない、変な連中とも付き合わない、毒も飲まない。
そして、浮気もしない。
「最初からミレーさんをあやしんで罠を張っていたとなると、陛下を殴りづらいです」
「せいぜい頑張れよ、竜妃」
ジルの左手の指輪を見て、ロルフが口角を持ち上げる。
「クレイトスの王都を二度も滅ぼすのは、面倒じゃ」
 




