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「お前が自由に動ける以上、竜帝はぎりぎりまで様子見するじゃろ。で、クレイトス側も動けん。女王がまだ目覚めとらんし、聖槍があれじゃあのう。うかつに手も出せん。どうせ、アルカは全員いっしょくたにしとるはずじゃ。もめさせたくてな」
はあ、とジルは頷き返した。
「どこを開戦とみなすかは、あっちで線引きするじゃろ。ま。無難に皇妃候補の軍が国境を越え、サーヴェル家と戦闘になったらっちゅうとこが妥協ラインじゃろうな」
ほう、とふくろうか何かが鳴いている。鬱蒼と草木が生い茂る山中は身を隠しやすいが、日が沈んでしまえば手持ちのカンテラと月明かりだけが頼りになる。登山道からははずれた獣道を歩くのは注意が必要だ。皆が言葉少ななのは、緊張と、足元に集中しているからだろう。
「アルカの目的はラーヴェから軍がきたと誤認させることじゃ、夜の襲撃は効果が薄い。そのうえ、夜戦を戦うような技量もない。奴ら、戦争の素人じゃからな。出陣はどんなに早くても夜明けと同時。それまでが勝負じゃ」
「その前に、ロルフ。どこに向かってて、どうしてここにいるんですか」
カンテラを持って先頭を進んでいたロルフが顔をしかめた。
「そんな説明、いらんじゃろ」
「必要ですよ! なんか生徒たちもいるし……! 街は封鎖されてるはずですよね!? その街も陛下も放置して、どこに向かってるんです!?」
生徒たちを率いてアルカの拠点から馬車を走らせ数時間、やっと街の城壁が見えたときはもう夕刻だった。鉄道沿いの古びた倉庫を見つけ、そこで今後の方針を立てようとしたら、その倉庫の床があいて、街中に残っているはずの生徒たちが顔を出したのだ。
再会に喜ぶ生徒たちから、変なじいさんに地下の逃げ道を教えてもらって、と聞いたときからなんとなく予感はしていたが、案内された先に待っていたのは、ロルフだった。
そして唐突に始まったのが、夜の山登りだ。
「そもそもいつの間に知り合いになったんです? あの子たちと」
「なーにが知り合いじゃ。公爵邸の周囲で竜帝を助けにいくとかいかないとかもめとったから、余計なことをするなと声をかけただけじゃ」
「いきなり茂みから出てこられてめっちゃびっくりしたけどな……」
「ふん、女王を返しにくるような連中、何しでかすかわかったもんじゃなかろう。これ以上状況をややこしくされてたまるか」
「つけられたって全然気づきませんでした……!」
「レールザッツの地下の逃げ道、すっげえの。この爺さん、全部覚えてるんだって!」
「先生、竜妃の騎士の三人目はお爺さんだって教えておいてよ~間違っちゃった」
道中、何か色々教わったのか、ロルフへ向けられる視線は概ね好意的だ。とにもかくにも、生徒たちが無事でよかったとジルは息を吐く。
「じゃあ、レールザッツの地下から皆で逃げてきたってことですか」
「昔、この周辺一帯は大きな遺跡があったそうじゃ。レールザッツはその遺跡の上に建てられたんじゃよ。一部は地下水路になり、残りも再利用されて残っとる。何かあったとき、住民が地下から郊外に逃げられるようにな」
「そう……だったんですか。知りませんでした」
かつてジルはレールザッツを攻める側に回ったことがあるが、籠城したレールザッツ公は最後、街の爆破を選んだのだ。――あれはひょっとして、住民を逃がしたあとの目くらましだったのか。
「俺も知らなかったぞ、ロルフ爺さん。ラーヴェ皇族も知らないって結構問題じゃないか?」
殿を務めているロジャーから苦情があがる。ふんとロルフが鼻白んだ。
「レールザッツにとって最大の防衛機構じゃぞ。知られたら意味がなかろうが。街の連中でも年寄りが伝え聞いとるくらい、地下水路の業者がごく一部知っとるくらいか。さらに道も正確に知っておるのは、儂くらいのもんじゃろ。子どもの頃ここでよくうるさい追っ手をまいてやったわ」
ひっひっひと笑う子どものロルフを追いかけた当時の人々の苦労がしのばれた。
「そういうわけで、住民の避難は気にせんでいい」
決して歩く足は止めず、どこで拾ったのか大きな葉のついた茎を振り回しながら、ロルフが断言する。
「今朝、鉄道が爆破された。犯人をさがすためと安全のため、街は封鎖。レールザッツ公爵邸は竜帝が結界を張った――そこまではまあ、住民も納得する。じゃがな、レールザッツ竜騎士団ではない見知らぬ連中がえらそうにうろうろ見回り、とどめにあの公爵邸の上にある黒い槍じゃ。あれは不信がられる。黒い槍は聖槍、不吉の象徴じゃからな」
ちら、と視線を横にやると、木の陰から遠く、レールザッツの街が見えた。夜になってからも、上空に留まる魔法陣とその中心にいる黒い槍は輝き続けている。
「しかも会談っちゅう話じゃったのに、いきなり新参の皇妃候補がクレイトスに攻めこむときた。レールザッツ公でもない奴らにその準備を手伝えと言われて、素直にそうですかと信じるほどレールザッツの民は馬鹿ではない」
「まさか、戦うつもりですか?」
「そんななんの得にもならんこともせん。のらりくらり、時間かせぎじゃ。逃げる準備をしながら、ノイトラール待ちじゃろうな。クレイトスに攻めこまれるのは、大体ノイトラールとレールザッツのどちらか。有事の際は連絡とれるようになっとる」
そういえば、レールザッツにクレイトス軍が駐在しているとノイトラール公が知って、いらぬ疑念が起こったことがあった。あれは悪い方向に働いてしまった例が、本来はこういったときのためにある情報網なのだ。
「すごいですね、三公って! サーヴェル家、そんなのなかったです」
「そりゃ、サーヴェル家の機動力と戦闘力についてこられるとこがないからじゃ。とにかく、街はあとまわしでいい。アルカも街に長居せん。皇妃候補が国境をこえたら目的達成、他の三公や帝国軍がくる前に撤退するじゃろ。――じゃが国境をこえさせるわけにはいかん」
ぽいっとロルフから地図を放り投げられた。レールザッツ交易都市と国境付近までを入れた縮図だ。いくつか×が書きこんであるが、その意味はジルにはわからなかった。
「今、向かっとるのは、その×の中でいちばんレールザッツに近い場所じゃ。奴らはそこから出立する」
「……街からじゃなくてですか?」
「街の竜は魔法陣で動けん。魔法陣を一瞬でも解除すれば、あのぴよぴよ竜の命令で竜が一斉に敵に回る」
曲がりくねった獣道の周囲に、低木が多くなってきた。標高が高くなってきたのだ。
顔をあげると、少し遠いが、レールザッツの街が見下ろせることに気づいた。改めて黒い槍を目視して、ジルは足を止める。
あれだけの巨大な魔法陣を維持し続ける魔力。ロルフたちからは、竜殺しと魔力封じの魔術が展開されているとも聞いた。竜殺しの術が結局竜を眠らせることにしかなっていないのは、竜の王たるローがいるからだろうが、逆に言えばローでもふせげなかったということだ。竜帝であるハディス、竜神ラーヴェでさえ、今は自由に動けないのだろう。
そんな真似ができるのは女神クレイトスでしかあり得ない。なのに、あれ、と思った。
間違いなく巨大な魔法陣の中心はあの黒い槍だ。感じる魔力も桁違い。神の魔力でなければ説明がつかない――なのに、何か、違う。
生きていない。
「おいどうした、ぴよぴよ。時間がなくなるぞ、さくさく歩け」
「あ、すみません。――今は国境侵犯を防ぐほうに戦力をさくって話でしたよね。でも、大丈夫なんです?」
立ち止まったついでに地図を畳んで返す。ロルフが地図を胸元に突っこんで再び前を向き、歩き出した。登り道は迂回する形になっているので、街は遠ざかっていく。
「今回の作戦は、おそらくお前があっちこっち拠点を潰して回ったせいで、急いで決行せざるを得なくなったもんじゃ。あっちこっち穴だらけじゃろうよ。大した動員人数でないのも確認しとる。あるいは、この作戦自体が実験的なもんなのかもしれん」
「実験って、あの結界とかもですか……?」
「竜もな。――ほれ、当たりじゃ」
ロルフがカンテラを消し、小さな崖上で足を止め、下を示した。




