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カニスが両開きの扉を閉めた瞬間、また見知らぬ魔法陣が輝いた。
盗聴か、いずれにしても監視用の魔術だろう。
「その魔術も、破ればレールザッツで自爆テロなんでしょうね」
床に座っていたロレンスが立ち上がる。その両手首からはらりと縄が解け落ちた。
「拘束も格好だけ、身体検査も雑。竜帝陛下に至っては縛られてませんし」
「ここから誰かが出ても、奴らは爆弾を抱えて突っこむ。そういう連中じゃ」
「そして俺たちが囚われている限り、レールザッツ竜騎士団も動けない。俺たちはレールザッツなんて知ったことかと動いてもいいんですけど……」
ぴりっと殺気を見せたのは、カミラとジークのふたりだ。最初から横長のソファに腰かけているイゴールは、穏やかに笑ってみあせる。
「動けんでしょう。女王の姿が見えませんぞ」
「お察しのとおりです。まだ眠りからさめなくてね。ひょっとして聖槍があの状態なのと関係があるかもしれないなと思い始めているところなんですけど」
ちらとロレンスに見られて、ハディスはそっぽを向いた。
「知ったことか。そっちのほうが詳しいだろう」
「天剣は使えるだろう、みたいなこと言われてましたけど、実際どうなんですか?」
「教える必要性を感じない」
「――まあ、そういうお答えになりますよね。拘束もせず我々をまとめてここに閉じこめるのは、互いに心の底から協力するわけがないからです。なんならあっちは武器を持って争ってほしいくらいでしょう。そうすればわざわざ皇妃候補がクレイトスに攻めこむなんて手間もかけずに、開戦してもらえる。ということで、我々はここでおとなしく外交をしましょう」
「外交って、何をするのよ」
「今後の展開と、それに対する対処法の交渉ですな」
穏やかに応じたイゴールの真正面の席に、ロレンスが腰をおろした。
「まず、皇妃候補が宣戦布告を出し、各地から反応がくる前に出立するでしょう。ただ、ラーヴェ帝国軍を偽装するにはアルカだけでは心許ないはずです。何が軍の主力になっているかですね」
「竜でしょうな。どう調達するかはともかく、ラーヴェが攻めてきたとわかりやすくクレイトス側に目撃させるにはそれが一番だ」
「同感です。そして竜の大軍がきた瞬間、サーヴェル家の迎撃が始まります。そこを開戦とみなして対応します、よろしいですか?」
「しかたありますまい」
ちょっと、と割って入ったのはカミラだ。
「冗談でしょ、そんなことで開戦しちゃうわけ!? あんたもあんたよ、こっちは攻めこむ気なんてないってわかってるのに、なんとかしなさいよ!」
「ただし国境を越えなければ、皇妃候補の宣戦布告は聞こえなかったものとしましょう」
「それがよろしいでしょうな、そちらのためにも」
カミラの肩をジークが叩く。カミラが疲れたような顔で溜め息を吐いた。
「これだからお偉いさんの会話って嫌いよ、まだるっこしい……」
「そういうわけでよろしいですか、竜帝陛下?」
こちらを見ようとしたロレンスの動きを、どんという床を叩く杖の音が止めた。
「お疲れのようですなあ、マートン殿。竜帝陛下などここにはおられませんよ」
しわだらけの顔で笑うイゴールに、全員が息を呑む。
「お約束できるのは、すべてレールザッツ公である私の独断です。此度のこの騒ぎも、皇妃候補の暴走も、すべて私の不徳の致すところ。ここにおられぬ竜帝陛下は、何もかもを反故にしてそちらに攻めこんだってよろしいのです」
「そのようなことが通じるわけがないだろう!」
黙ってやり取りを聞いていたビリーが声を荒らげる。そちらに見向きもせず、イゴールはまっすぐロレンスを見て笑った。
「でなければ私は、ついうっかりあの魔術を破ろうとして、レールザッツごと女王を葬ってしまいたくなるでしょう。――竜帝に手が届くなどくれぐれも思わぬことだ、小童。レールザッツを、三公を舐めるなよ」
「……なるほど」
顎を引いたロレンスが、ちらりともう一度ハディスを見る。
「いい臣下をお持ちになりましたね。あなたがノイトラールで料理長をやっていたなんて、悪い夢のようだ」
「で? これからどうするんだ。ぐちゃぐちゃ言ってるが、あの皇妃候補を止める方法、なんかねーのか。止められるのがお互い、一番いいんだろ」
ジークの質問に、そろいもそろって皆がまばたく。噴き出したのはロレンスだ。
「ああ、うん、そうですね。それはそうですよ、確かに」
「お前、頭いいのに考えすぎてたまに馬鹿になるよな。そこの爺さんも、まずそこ考えろよ」
「年寄りがするのは後始末だ。その辺の荒事は若いお前らがなんとかせい」
「逃げるのがお得意なレールザッツとは思えない言い分ですな」
ふんと鼻を鳴らし、ビリーが乱れた服の裾を整えて背筋を伸ばした。
「荒事については儂が指揮をとりましょう。他に適任はおりますまい」
「おや、また追いつけもしない軍をしつこく追い回すおつもりですかな? さすがサーヴェル家、アンサス戦争から何も学んでおられない」
「はっはっは、そういえばそちらの弟君の姿が見えませんがお元気ですかなあ! お会いするのを楽しみにしていたのですが、さすが逃げ足だけはお早い!」
笑顔のビリーとイゴールの間で火花が散り出した。「筋肉ダルマ!」だとか「卑怯者!」だとかとても大人の会話とは思えない罵声が続く。そういえばあのふたりは、クレイトス旧王都アンサスが遷都することになった戦争に関わっているのだったか。
やや距離をとって、カミラたちが眺めている。
「あのふたり、引き離したほうがよくなぁい?」
「ほっとけほっとけ、手が出ない限りは」
「サーヴェル伯が手を出したら止められるとは思いませんけどね……とにかくやれることを考えましょうか。といっても、やれる仕込みはしておきましたけど」
「はあ!?」
「だってあの皇妃候補、あからさまにあやしかったじゃないですか」
いい笑顔のロレンスに、カミラとジークが頬を引きつらせている。
「引かないでくださいよ。そっちだって、鶏とくまのぬいぐるみ、見当たらないじゃないですか」
「言っとくけど陛下と一緒にいたはずよ。アタシたち知らないから、ねえ」
三人にそろってこちらを見られたが、ハディスはそっぽを向く。ロレンスが肩をすくめた。
「まあ、心配いりませんよ。アルカは戦いをさせるばかりで、するのは素人。既に致命的な愚も犯してます。竜妃殿下を外で自由にさせている。竜帝陛下が竜妃殿下の行方不明を頑なに伏せた理由はこれですよ」
ロレンスは聞こえるように言っているのだろう。
「行方不明を認めたら捜索を始めなければならない。皇妃候補に、竜妃殿下の行方を知らせないためだ。だからあなたは竜妃殿下を隠した。違います?」
答える義理はない。きっと皇妃候補は気づいてもいないでしょうけど、という言葉もどうでもいい。
窓近くの椅子に腰かけて、薄いレースのカーテンの向こうで輝く魔法陣と、その中心に突き刺さった黒い槍を見る。
(ラーヴェ、どこまで動ける?)
(さすがにちょっときついなあ。……でも、おかしいぞあれ。女神の気配がしない)
嘆息して、ハディスは目を閉じる。本当は、レールザッツを犠牲にして逃げるのが一番なのかもしれない。イゴールが自分の責を宣言したのは、必要ならばそうしろという覚悟が含まれている。
(罠かな。慎重にいったほうがいい。嬢ちゃんが、気づいてくれりゃいいが)
(大丈夫だよ、ジルなら)
でも、待つことにする。――お嫁さんがくる、それまでは。
 




