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想定より早かった。だが想定の範囲内ではある。
三角巾とエプロンをはずし、ハディスは堂々とソファに腰かける。毛布とクッションが用意されているあたり、親切だ。
レールザッツ公であるイゴールの私室は利便性を優先して書斎と応接間がつながっており、豪華なベッドが置かれた寝室や水回りを扱う部屋のカーテンを取っ払ってしまえば、大広間ほどの広さがある。
とはいえ、部屋の主であるイゴールに加え、ジーク、カミラ、ロレンス、ビリー、これだけ雁首をそろえれば、どんなに広さがあってもむさくるしい。ここに閉じこめられるなんて考えるだけでも憂鬱だ。
「安心してください、竜帝陛下。ほんの二日ほどの我慢ですよ」
ハディスの心境を読んだように、赤の長衣を纏った男がにこやかに教える。そのうしろには黒の長衣を着て顔を隠した面々が、銃口をいくつも向けて並んでいた。
女王が戻ったのが一昨日、目覚め次第すぐ会談ができるようクレイトス側と細かい調整をしたのが昨日、そして今朝、鉄道が爆破する音と一緒に、レールザッツ公爵邸の真上に一本の槍が落ちてきて、魔法陣が輝いた。同時に黒いフードで顔を隠した集団が、朝早くからパンを焼くため厨房にいたハディスを取り囲み、この状況だ。
「あなた方はこれから、皇妃候補がクレイトスに攻めこむのをただ黙って見ていてくださればいい。そのあと泥沼の争いを繰り広げてほしいので、我々はあなたに危害をくわえません。ま、ろくな抵抗はできないはずですが」
「聖槍を媒介にした魔力封じか」
窓の外をちらりと見て、ハディスはつぶやく。
空中で止まった槍から半球の透明な結界が生じており、それが屋敷を包んでいる。おそらく結界内にいる人間は魔力が使えなくなっているはずだ。だからこの部屋に、ひとりで竜騎士団をも殲滅できそうなビリーも捕らえられてしまっている。
「それだけではありませんよ。お気づきでしょう。竜の王が苦しんでおられるのはなぜか」
男がちらりとハディスの両腕に抱かれた小さな竜に目配せする。先ほどからぐったりとして、目を覚ます気配がない。ハディスと一緒に空の魔法陣を見た瞬間、倒れてしまった。
「魔力封じだけじゃなく竜殺しの魔術も組み込まれてるんですよ。緑竜くらいまでなら即死するはずなのに、竜騎士団の竜が眠っているだけですんでいる――やれやれさすが竜の王、殺せないどころか、魔術を引き受けましたか。あなたも天剣がまだ使えますね」
「見せてやろうか?」
「ぜひ。ただ私が死んだら、あるいは上空の結界が解けたら、次に吹き飛ぶのは鉄道だけではすみませんよ。あなたがたの民だ。我々はいつだって爆弾を抱えて飛び込み、神殺しの英雄となれる瞬間を心待ちにしている。狂言ではないことは我々の歴史が保証してくれていると思いますが、その目でご覧になりたいです?」
「お前らが正気でないことなど、とうの昔から知っておる。神を畏れぬ痴れ者が」
小さく吐き捨てたイゴールに目をやって、男が笑った。
「いえいえ、方舟教団、我々カルワリオ派よりも竜神を畏れている人間はおりませんよ。その強さも威光もよぉく存じております。神格を落として消えたと思えば、眠りについただけ。神格を落とした分だけ力を失い姿も変われど、いずれは目覚める。同時に生まれる器は必ず竜帝としてラーヴェ帝国に君臨する。そうですよね、六代目竜帝陛下」
呼びかけに答えないハディスや周囲を気にせず、男は口を動かし続けた。
「竜帝かなどと疑う動きもあったようですが、馬鹿馬鹿しい。天剣を振るうあなたは竜帝以外ありえない! そして竜帝が生まれた以上、竜神も必ず目覚めているはずだ。消えてなどいない。ふふ、姿が見えなくなるほど力を落としたのは僥倖ですが――本当に、竜神ラーヴェはどれだけ知恵を重ねても、ヒトに殺されてくれない。死は理と謳いながら、大した矛盾だ」
「おしゃべりはそこまでにしろ、カニス大司教」
カニスと呼ばれた男が、紫の外套をまとった人物に振り返る。
「最近の若者はせっかちですねえ。三百年ぶりの竜帝ですよ。色々お話したいじゃあないですか。あなただって女神の器に会えば同じくらいテンションあがりますよ、きっと」
「あがらない。見飽きてる」
「ええー……まぁ女神クレイトスはどの時代でも器が存在してますからねェ……でも竜神ラーヴェは一度消えると次がなかなか出てこないんで、カルワリオ派は積年の思いでして……」
「いいから仕事をしろ、時間がない。これは方舟教団総帥としての命令だ」
「時間がないのは竜妃のせいかな」
カニスの隣で踵を返そうとした少女が立ち止まる。紫色の外套が、すらりとした出で立ちによく似合っていた。ハディスは苦笑い交じりにつぶやく。
「僕はもう少し時間があると思ってたよ、ミレー」
「どんなに時間があっても同じです。モエキア派大司教にして方舟教団アルカ総帥のこの私を口説こうだなんて、勘違いも甚だしい」
びっくりして咄嗟に何も言い返せなかった。そんなハディスを鼻で嘲笑したミレーが、さっさと出ていく。
ハディスは幾度かまばたいたあと、ようやく口を動かした。
「僕、口説いたっけ……いつ?」
ぶっと噴き出したのはロレンスで、長い溜め息を吐いたのはその周囲だ。
「陛下、あの子に同情しちゃいそうになるからやめて……」
「でも僕、口説いた覚えなんてぜんぜん……あ、疑ってることを気づかれないよう、気遣ったせい? えーでもあんなあからさまに警戒してたのに……」
「っははははは! さすが竜帝陛下。あなたの本当のお父上を思い出しましたよ」
ぎょっとした周囲を見回し、カニスが目尻の涙を拭いながら言う。
「目の色こそ違いますが、よく似ておいでだ。世間知らずの小娘なんてひとたまりもないでしょう。お父上のほうは老若男女を惑わす自分の魅力に自覚的でいらっしゃいましたが。私はあの御方が好きでしたよ。亡きゲオルグ皇弟旗下の帝国軍に入れるようお手伝いもしましてねー……話、聞きたいです?」
「興味がない」
それは残念、とカニスは肩をすくめて一歩さがった。
「では黙って去りましょう。そのかわり、くれぐれも総帥ミレー様の勘違いはそのままにしておいてやってください。竜帝たるもの、思春期の小娘の可愛らしい自意識くらい捨て置いてくださるでしょう?」
「本当に彼女が総帥なのか」
「ええ。魔術理論の天才です。神紋を復元してみせるほどのね」
口角を持ち上げて笑い、仰々しく一礼して、カニスが部屋から出ていった。




