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「……聖槍が利用される、ですか。正直、納得しがたいんですけれど。ラーヴェ様だってそんなに間抜けじゃないですよ?」
協力という申し出に簡単にはだまされないぞという気持ちをこめてにらむと、フェイリスが今まででいちばんの笑顔になった。
「そうですわよね。わたくしもまさか、自分が言うことを聞けばわたくしが安全だと言われたからと、涙ながらに別れを告げられるとは思いませんでした」
「は? そんな、あからさまな敵の嘘にだまされるわけが」
「ジルさま。よろしければ一度、『竜神はこちら』という案内板を立ててみてくださいな、あの馬鹿の前に」
ついに女神をつけなくなってしまった。
「引っかかりますから」
「ひ……引っかかるん、ですか」
「文字だけでは疑うかもしれないので、シルエットなどをつけた立て看板があるとより確実ですわね。過去、竜神ラーヴェを騙る呼び出しにだまされてますので。どうです、愛の女神は純真でしょう?」
笑顔でこれ以上説明が必要かと、フェイリスが圧をかけてくる。
竜神ラーヴェだとて、そう威厳があるわけではない。しかし、女神クレイトスの人物像の崩壊はそれ以上だ。怖くなってきて、ジルはつい言ってしまった。
「その。た、たいへん……ですね」
同情が勘に障ったのか、フェイリスの笑顔がますます輝いた。
「竜帝はこちら、でも突撃するでしょう。竜神と竜帝に関しては目の色が変わります」
ベイルブルグでジルとやり合ったのは、目の色が変わったほうの女神なのか。どちらにしろ迷惑だ。
「――と、にかく。聖槍は、あてにならないと……」
「ならないのではなく、してはいけません。むしろいたら邪魔くらいに考えてください」
「貴女がそこまで言いますか!?」
「実際、今、わたくしたちの魔力封じに使われているではないですか、あの馬鹿は」
そもそもなぜジルが女神クレイトスをかばわなければならないのか。落ち着こうと言い聞かせて、顔をあげる。
「では、聖槍が見つかった際は、フェイリス様の無事を伝えればいいんでしょうか?」
「さすがに竜妃殿下の言うことは信じないと思います」
「そこは駄目なのか、めんどくさいな!」
「わたくしが折っ――いえ、言って聞かせるのが確実ですけれど」
今、絶対に折ろうとしていた。頬を引きつらせるジルの前で、フェイリスが考えこむ。
「問題は、聖槍の状態です。女神の器と引き離すなんて、今までのやり方と違う……」
「……今までのやり方というのは?」
「女神の力を掠め取りたいクズ共が考えそうな、お約束の蛮行です」
打って変わって静かな答えだ。しかし、フェイリスの口端には嘲りが浮かんでいる。
「わたくしは簡単には殺されません。時間はあります。ですからジルさま、まずはご自身の脱出を第一に考えてください。それとも、やはりわたくしを信じられませんか?」
「当然ですよ。今までが今までです」
「でもわたくしは、決して方舟教団を許しません。どうか、それだけは覚えてらして。――きっと、竜帝もです」
ハディスを語られることにむっとしたが、フェイリスの横顔を見て口を閉ざした。どこか遠くをはっきり憎むその瞳が、似ていたからだ。
すべてを燃やそうとひとり立っていた、かつてのハディスと――いや、ジルが考えるべきはそこではない。
「……事情はわかりました。協力しますよ。貴女の言うとおり間抜けな理由で女神が囚われているならいいですが、そうじゃないなら捨て置けません」
「女神が心配ですか? お優しいんですね、ジルさまは」
「聖槍がどうなろうと知ったことじゃありませんよ」
ただ、一時的だろうとなんだろうと聖槍を封じる術があるとしたら――それは天剣を封じる術にもなるのではないか。
(もしそうなったら、ラーヴェ様が……陛下が)
だが、わざわざ自分の懸念を教えてやる必要はない。
「何かあやしい動きがあれば容赦しない。裏切られたなんて逆恨みはなしだ。あなたはわたしの敵だからな」
フェイリスはゆっくりまばたいたあと、美しく微笑む。
「かまいませんよ。慈悲深い女神は裏切りをも赦します」
速度を落とし始めた馬車のゆれが、会話を止めた。馬車が停車してほどなく、ぎしりと外から重い扉をあけようとする音がする。
魔力がなくとも戦えるのは自分のほうだ。フェイリスを背にかばい、開いていく扉を睨めつける。
「――これはこれは、なんといたわしいお姿だ」
男の声と一緒に、暗い馬車の中に光が差し込む。
「すぐに湯浴みと、食事の準備をさせましょう。おふたりをご案内しろ、丁重にな。おふたりとも、動けますか? ああ、まず靴と毛布が必要ですね」
黙ったままのふたりに、従者に指示を出していた男が振り返り、頭をさげた。
「挨拶が遅れました。私はカニスと申します。どうか警戒なさらず――と言っても、無理でしょうか。モエキアの連中がずいぶん乱暴を働いたとうかがっております」
「そういうあなたも、方舟教団の人間ですよね?」
ジルの確認に、カニスは肩をすくめる。
「我々カルワリオ派は、あんな乱暴な連中とは違いますよ。まずは対話をこころみてこそ、知性ある人間というもの」
背後でフェイリスが小さく噴き出した。そちらを見たが、フェイリスの表情はちょうど影になっていて見えない。
「知性ある人間ですか。なら、腰を振る以外にできる芸があるのでしょうか?」
ただ、先ほど見たハディスに似た瞳の光だけが、妙にあやうく目にとまる。
「ご期待ください。竜神ラーヴェを討つ使命を帯びた女王よ。我々カルワリオ派は、よき友人となれるでしょう」
恭しく頭を下げるカニスの姿は臣下のようだ。だがその目は、慇懃無礼にジルたちをなめ回している。
「さて、竜妃殿下はどうされます? このままお帰りになりますか?」
「帰してくれるのか。つれてきておいて?」
「もちろんです。竜妃殿下は会談がおありでしょう? 女王も竜妃も行方不明では両国とも疑心暗鬼でもめますよ。会談前に修復不可能な状況になってしまっては大変です」
「フェイリス女王にも会談がある。わたしと一緒に解放してもらいたい」
「あいにく、女王にはご滞在いただきます」
ジルさま、とフェイリスが小さく呼ぶ。逃げろと言いたいのだろう。
「――悪いが、魔力がまだ戻ってない」
フェイリスが眉をひそめた。かまわず、ジルはカニスを見る。
「少し休ませてもらう。それとも、女王とお前たちの内緒のお話にわたしはお邪魔かな?」
きっとカミラたちがソテーに残した指示に従ってレールザッツに向かっている。大丈夫だ、戻ったときには開戦していたなんてことにはならない。
「とんでもございません。竜妃殿下ともいずれお話ししたいと思っておりました。それが今になって、なんの不都合がございましょうか」
可笑しそうに笑って、カニスは両腕を広げた。
「歓迎いたしますよ。神にヒトを売った淫売共、ようこそ、方舟教団へ」
会談は根回し、交渉ははったりだ。
ならばすでにジルとフェイリスの会談は、始まっている。
 




